旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 壮観!民営化直前1986年の新鶴見機関区公開で並んだ国鉄電機たち【1】

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  いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、鉄道に関連した様々イベントが中止あるいはオンライン開催されるなど、実車を間近で見て触れる機会がなくなってしまいました。鉄道を趣味とする人としても残念ですし、元鉄道マンとしてより多くの人に鉄道という公共交通機関の素顔を見ていただく事ができないのも残念です。加えて、多くの子子ども達に実物に触れる絶好の機会なので、「ただ好き」から「理解できたから好き」という教育者としても残念でなりません。

 一日も早く、こうした状況が好転して、いつでも気軽に鉄道に触れることができるようになればと祈らずにはいられません。

 さて、このブログでも幾度となくお話させていただきましたが、筆者は幼少の頃から鉄道貨物に縁が深いところに住んでいました。特に、小学生から高校生にかけては、我が国でも有数の大規模操車場である新鶴見操車場の近傍に住んでいたので、ここで全国各地へと向かう貨物列車に仕立てるために、DE11に押し上げられてきた貨車たちがハンプで切り離されて、幾重にも敷かれた仕訳線を転がり走り、操車場の操車掛が飛び乗ってブレーキを掛けて連結させるという、いまでは考えられない命がけの作業があたりまえにされているのを、跨線橋からよく眺めていたものです。

 その操車場の中には、ここで活躍するDE11や、組成された貨物列車を牽く電機たちが集う新鶴見機関区がありますが、この頃は機関区を公開するということはありませんでした。ですから、鉄道雑誌で運転区所を公開するイベントの記事が載ったときなどは、新鶴見でもこうしたイベントが開かれないものかなぁなどと思いもしたのでした。

 しかし、1980年代も中頃に差し掛かる頃、国鉄の財政は既に天文学的数字とも言われた莫大な債務を抱え、加えて国民の国鉄に対する厳しい視線と、残念なことですが国鉄内部の規律の乱れと相次ぐ不祥事は、分割民営化の方向へと進み始めていました。

 そのような中において、国鉄で働く職員にも危機感はあったようで、できる範囲で信頼の回復とイメージの改善を図る努力をしていました。その一つが、機関区による地域貢献として、国鉄が販売する乗車船券を会社や自宅まで無料で配達するサービスでした。そもそも機関区は運転区所であり、新鶴見は首都圏の貨物用電機の牙城でした。およそ、旅客営業とは縁遠い区所だったのですが、背に腹は代えられないとでもいうのでしょうか、地域貢献をして国鉄の利用促進とイメージ改善を目指していました。かくいう筆者も一度だけ利用したことがありますが、紺色の制服を着て制帽をかぶった方が乗車券を届けにきてくださった職員の方は、とても親切で丁寧だったという印象でした。ヘタなみどりの窓口マルス端末を扱う営業掛よりも親切で好印象をもったものです。

 そうした努力の一環だったのでしょうか、あれだけ公開イベントとは縁遠かった新鶴見機関区が、1986年の夏の終り頃に公開することになり、ついにこのときがやってきたかと喜び勇んで、カメラを片手に馳せ参じたものでした。

 

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 写真は、その公開イベントのときに撮影した1枚です。この写真は、以前に公開した記事でも使った1枚です。今回は、同じ写真ですが少し視点を変えた記事をお届けします。

 

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 機関区構内の「西機待線群」と呼ばれる場所です。この場所自体は今も健在で、武蔵野線を経由して中央・高崎・東北・上越常磐の各線へ向かう貨物列車を牽く機関車たちが待機する留置線なので、運転取扱上とても重要な線路のひとつなのです。

 その要衝の線路、しかも5本の線路を日中とはいえ、かなりの長時間に渡って線路閉鎖するのは非常に難しく、機関区やその職員たちにとっては言葉通り「大盤振る舞い」の一大イベントだったといえるでしょう。*1

 さらには、写真の通りに当時のスターともいえる機関車を集合させるのでさえ、同じ国鉄という組織であっても相当の苦労があったこをは伺えます。

 写真右からEF66EF65 1000番代PF形、EF65 500番代P形は、この当時は貨物機としても新鶴見にやってくることが多い機関車だったのですが、EF60 501号機やEF58 89号機はかなり注目を集めている車両だったので、イベントや団体列車の運転に充てるなどひっぱり凧状態だったことからも、この日のためにわざわざ手配してもってきた新鶴見の職員の意気込みのようなものが感じられます。

 

《次回へつづく》

 

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*1:後年、筆者が貨物会社に入り、新鶴見機関区で作業をする際には、短時間の保守検査であれば「間合い」で施行したが、長時間に渡る保全工事、例えば摩耗したトロリー線を張り替える工事では、必ず線路閉鎖を施行する「計画工事」として実施していた。本線とは違って日中あまり動きがないように見える運転区所構内でも、新鶴見のように機関車の入出区が激しい区所では、線路閉鎖が行える時間帯はごく限られ、しかも閉鎖した線路の代替となる線路容量によっては、車両留置のやり繰りが必要になるため、施行する施設・電気区所と駅や運転区所、そして輸送指令と電力指令、さらには会社が異なるので貨物会社の支社(国鉄時代の鉄道管理局にあたる)と旅客会社の支社または運行本部がかかわるなど、非常に複雑で多くの人が携わる。実際、新鶴見機関区構内東機待線のトロリー線張替工事では、早朝の僅かな時間帯だけを線路閉鎖として施行できた。