旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 壮観!民営化直前1986年の新鶴見機関区公開で並んだ国鉄電機たち【2】

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〈前回からの続き〉

 

 こうしたイベントに、筆者も含めて多くのファンや家族連れなどが訪れ、多くの人で賑わいますが、そのほとんどが鉄道会社や関連会社に勤める職員の方の「サービス」だということは忘れてはなりません。実際、貨物会社に入ってから新鶴見に勤務する同僚にこのことを聞いたことがありましたが、イベントに携わる職員は勤務外での対応だったそうで、公休日や明け番で運用に就いてない人たちによるものでした。後年、こうしたイベントに訪れるときに、機会があれば私鉄などの鉄道会社の人とも話すことがありますが、やはり同じように非番の日にこうしたイベントに対応しているとのことでした。

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1986年8月頃 新鶴見機関区(筆者撮影)


 さて、写真に写る国鉄直流電機たちが、新鶴見にずらりと並んだ姿を見たのはこのとき限りでした。筆者は貨物会社に入ったとはいえ、列車の運転や車両の検修といった運転部門ではなく、駅などの営業部門でもない、信号通信や電灯電力を保守管理をする施設電気部門の職員だったので、まったくといっていいほど縁のないできごとでした。ここに写る新鶴見の西機待線群も、保守作業などで普段どおりの光景を見ることはありましたが、やはりこれほど多種多様な電機たちが集うことはなかったのです。

 まさに壮観といえる一コマで、EF58 89号機については今更語るまでもないほど、多くの人が知る電機の一つでしょう。今見て驚くのは、1986年当時にEF60 501号機が特急色を身にまとい、しかも前部標識灯は多くがシールドビーム灯2個への改造を受けたいわゆる「ブタ鼻」になっていたのに対し、この501号機は原型の白熱灯1個のままでした。恐らくは翌年の分割民営化では新会社に継承される対象ではなく、1年以内に廃車になることが決まっていたため、改造の対象から外されたものと推測できます。その後、計画通りに廃車になりましたが、保存する計画があったのか解体は免れ、現在は群馬県碓氷峠鉄道文化むらに静態保存されているので、往時の勇姿を偲ぶことができます。

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EF60 501 碓氷峠鉄道文化むら 2017年7月8日(筆者撮影)

 

 この写真に並ぶ電機たちで、もう一つ注目したいのが右から2番めのEF65 1117号機です。1117号機は紀勢本線電化開業と旧型電機置換えを目的に、昭和52年度第1次債務予算で製作された第7次車の1両です。現実には第7次車はブルートレインを牽いていた500番代P形の置換え用で、総勢27両のうち1092−1095号機の4両が下関運転所に、1096−1116号機の21両が東京機関区に配置されましたが、1117号機と1118号機はブルートレインとは縁遠い貨物用機の牙城である新鶴見機関区に新製配置されました。その後、分割民営化で1118号機はJR東日本が継承することになることから、田端運転所に配置転換され、その後はレインボー色に塗り替えられて注目を浴びる存在となりました。

 しかし、同時期につくられた僚機たちがブルートレインジョイフルトレインを牽くという花形仕業を手にして活躍する傍ら、1117号機だけは新製から新鶴見配置のまま動くことなく、貨物列車を牽く地味な仕業をこなす日々でした。それは民営化後も貨物会社に継承されたことで、さらに目立つことのない存在になっていきました。

 1986年の新鶴見機関区公開イベントのときには、新鶴見配置の1000番代PF形の中から、実際にブルートレインを牽いていた第7次車の一員である1117号機が抜擢されたのでしょう、「はやぶさ」のヘッドマークを誇らしげに掲げてブルートレイン牽引を彷彿させる勇姿を披露していました。花形仕業を手にすることのなかった1117号機にとって、このときばかりは檜舞台に立った数少ない機会となりました。

 その後、第7次車として製作された僚機の多くが老朽化などによって廃車となっていった傍ら、1117号機は1983年に新製されて以来、約40年近くも経った今日も活躍を続けています。同じ新鶴見配置になり、後に田端へ移っていった1118号機は旅客会社へ継承されたことで檜舞台に立ったものの、御存知の通り車両火災という悲運に見舞われ廃車となってしまったのとは対照的で、ブルトレなどを牽く機会こそなかったものの、ある意味では「幸運の機関車」なのかもしれません。

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EF65 1117【新】(左) EF66 38【関】(右) 1986年8月頃(筆者撮影)


 いずれにしても、こうしたイベントは残念ながら今日では開かれなくなってしまいました。多くの鉄道事業者では、イベントを開くことによってファンサービスはもとより、沿線に住み、沿線住民や利用者たちへの謝恩の意味や、鉄道事業に対する理解を深めてもらい、さらには将来自社の鉄道を利用してくれるであろう潜在的な顧客となる子ども達へのアピールといった様々な意味を込めて開かれることが多くなったのとは対照的です。

 その理由としては様々ですが、前にお話したようにイベントの開催は非番や公休の職員によるボランティア活動の性格が強いため、職員の負担が大きかったようです。また、新鶴見は北海道や東北地方と西日本の太平洋沿いを結ぶ結節点という鉄道貨物の要衝であることから、こうしたイベントを開くことが困難になってしまったようです。もっとも、近年では広島車両所や隅田川駅などでイベントが開かれていることを考えると寂しい限りですが、イベントによる公開以外でも地域貢献の動きもあるようなので期待したいところです。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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