すっかり年の瀬になってしまいました。
2018年も残すところあと僅か。毎年のことですが、1年は本当にあっという間に終わってしまい、「こんなに早かったかな?」と思います。そして新しい年が明けるごとに「歳も取ってしまう」という現実に、思わず溜め息を漏らしてしまいます。
そんな年の瀬を間近に控えた12月20日。
ある特殊な貨物列車が、私の身近なところを走りました。
その貨物とは、鉄道車両です。
鉄道の貨物列車で鉄道車両を運ぶ?と思われる方もいらっしゃると思います。
何とも不思議で、少しややこしくも感じてしまうことかも知れませんが、意外と年間を通して多くの鉄道車両を運ぶ貨物列車が運転されています。
この鉄道車両を運ぶ貨物列車を「甲種車両輸送」と呼んでいます。
車両製造メーカーで造られたり、あるいは工事などを受けたりした車両を、納品先の鉄道会社に納めるために、JR線上を貨物列車として運ぶ列車がこの「甲種車両輸送」という列車なのです。
さて、12月20日のこの列車。神奈川県の横浜駅から海老名駅・湘南台駅を結ぶ相模鉄道が新しく造った車輌を運ぶ列車でした。
news.mynavi.jp 造ったのは横浜市内にある総合車両製作所。京浜急行の金沢八景駅に隣接した場所に工場をもつ会社で、首都圏に車輌製造工場を構えるのはこの総合車両製作所と東芝府中事業所の二つしかありません。
その総合車両製作所は、もとは東急電鉄の子会社である東急車輌製造という会社でした。東急車輌は日本で初めてのオールステンレス車両を世に送り出し、その後は日本で唯一のオールステンレス車の製造技術をもつ会社でした。
この東急車輌という会社、実は私にとっても馴染みのある会社でした。
鉄道車両を造ることはもちろんですが、JR貨物が保有する鉄道コンテナもこの東急車輌がつくっていました。貨物駅構内を歩いていると、コンテナホームに留置されたコンテナには、この会社の製造銘板シールを数多く見かけました。
ほかには分岐器(線路のポイントのこと)の製造も手がけていましたが、私たちの身近なところでいえばガソリンなどを運ぶタンクローリもこの会社がつくっていたのでした。
これだけ手広く事業を展開し、相応の技術をもっていた会社でしたが、景気の低迷が長引いた影響なのか、それともほかの理由があってのことなのか(私自身は、どちらかといえば後者だと考えています)、21世紀に入ってから業績不振が続いたようで、2012年に製造技術を供与したJR東日本に株式を譲渡し、同社の完全子会社となり、いまの名前に変わってしまいました。
ところで、もう一つ、私にとってなじみ深い理由は先ほどもお話しした工場の立地でした。
この総合車両製作所(←東急車輌)でつくられた鉄道車両は、工場の敷地から京急逗子線の上り線を通って、横須賀線逗子駅へ送り出されます。この逗子駅から京急逗子線を経て工場へ通じる線路は、この会社の専用線の扱いでした。
京急線内は京急電鉄が保守・管理をしていましたが、逗子駅構内の貨物用線路は私が鉄道マン時代に勤務した電気区(後に保全区)が管理をしていたので、私自身も何回かこの線路で作業をしたのでした。
さて、ずいぶんと前置きが長くなりましたが、12月20日の列車はこの総合車両製作所でつくられた車輌を、相模鉄道へ納品するために運転されました。
JRでの扱いは発駅は横須賀線逗子駅、着駅は相模線厚木駅です。
地図上で見ると、逗子駅と厚木駅はそれほど離れていません。
ところが、この列車はかなり遠回りをすることになります。この貨物列車の経路は次の通りでした。
逗子-(横須賀線)-大船-(根岸線)-桜木町-(高島線)-鶴見-(武蔵野線)-新鶴見信-(武蔵野線)-鶴見-(東海道貨物線)-横浜羽沢-東戸塚-(東海道線)-茅ヶ崎-(相模線)-厚木
▲12月20日の甲種車両輸送列車の経路。多くの制約があるために、このような神奈川県の東部を行ったり来たりするルートを走らざるを得なかった。(「レイルラボ」より引用)
逗子駅から厚木駅へ行くのに、ずいぶんとややこしくそして遠回りな経路です。
自分で歩くことができる人間のお客さんなら、わざわざこんな遠回りの経路ではなく、素直に大船駅で東海道線に乗り換えて茅ヶ崎駅に向かい、そこから相模線で厚木駅へと向かうでしょう。
しかし、貨物列車となるとそうはいきません。何しろ、駅で別のホームに歩いて移動をすることなできませんから、つながっている線路を行くしかないのです。
では、なぜこんなややこしく、そして遠回りの経路になってしまったのでしょうか。
逗子-大船
逗子を発車した列車は、そのまま横須賀線を走り大船へ到着します。
大船から東海道線へ入ることができればこんなことをしないで済みますが、実際にはそうすることが非常に難しかったのでした。
大船駅構内で横須賀線から東海道線へ移るための線路(これを「渡り線」といいます)がないのです。線路がなければ、列車は進むことはできません。代わりに、横須賀線から根岸線へ移る渡り線があるので、逗子から来た列車はそこを通って根岸線へと入ります。
大船-桜木町
根岸線に入った貨物列車は、石油精製工場のある根岸駅や、中華街の最寄りである石川町駅、横浜ランドマークタワーを初め超高層ビルが建ち並ぶみなとみらい地区などを通過して桜木町駅で貨物列車だけが通る線路へ入ります。
そのまま根岸線を走っていけば横浜駅ですが、その先で東海道線へ入る線路はないので、桜木町駅から海沿いを走る高島線へと進みます。
桜木町-鶴見
高島線を通過し、鶴見駅で再び東海道線と、根岸線から続いている京浜東北線と合流します。ここで東海道線へ入ることができればいいのですが、やはりここでも貨物線と旅客線はつながっていません。そうなると、横浜羽沢駅を経由する東海道貨物線を通すことが最善です。
鶴見駅で方向転換をして、東海道貨物線に進むことが考えられますが、ここで別の問題がありました。
鶴見駅は合流・分岐の信号場としての機能はあります。ところが、列車を方向転換させるためには、機関車を一度切り離して列車の反対側につけ直す必要があります(「機回し」という)。この機回しをして機関車を付け替える作業を、鶴見駅ではできないのでした。
その理由は、鶴見駅の線路に機回しをして機関車を付け替えるための線路がなく、そもそも鶴見駅でこうした作業をするための駅員(輸送係)の配置がないのです。
鶴見駅で方向転換ができない貨物列車は、そのまま武蔵野線に入って新鶴見信号場へ向かいます。横須賀線も同じところを走るので、一般には横須賀線の方が分かりやすいでしょう。
鶴見-新鶴見信
横須賀線は新川崎駅で停車しますが、貨物列車はそこより少し東京方にある新鶴見信号場で停車します。この信号場はもとをただせば新鶴見操車場で、かつてほどではありませんがそれなりの広さの構内と、数多くの線路が敷かれています。
逗子からやって来た甲種輸送列車は、ようやくここで方向転換のために機回しと付け替えをすることになります。
新鶴見信-鶴見
ようやく機関車を付け替え進行方向を変えることができた貨物列車は、いまをときめく武蔵小杉のタワマン群を後ろ目に見ながら新鶴見信号場を出て、同じ線路を逆に走って再び鶴見駅へ。鶴見駅からはぽっかり口を開けた地下へ通じる線路を進んでいきます。
鶴見-横浜羽沢-東戸塚-茅ヶ崎
この地下へ通じる線路が東海道貨物線で、横浜市内の住宅地の地下を走っていきます。途中、横浜羽沢駅で地上に出ますがそれも一瞬のこと、再び地下区間を走って行き、次に地上に出るのは東戸塚駅です。そこからは、東海道線の旅客線と平行に走る線路を西へと進み、大船観音が見下ろす大船駅を二度目の通過。今度は東海道線と平行に走る貨物線を行き、やっとの思いで茅ヶ崎駅へ到着します。
茅ヶ崎-厚木
この茅ヶ崎駅でも再び方向転換のための機回しをし、ここから相模線へと入ります。そして、相模鉄道の線路とつながっている線路(授受線)がある厚木駅に到着して、車両は発注者であり荷受人でもある相模鉄道に引き継がれると、この貨物列車の旅は終わりになります。
逗子駅から海老名駅は、地図上での直線距離は短くても、貨物列車として走るには多くの制約があるため、このように神奈川県の東部をぐるっと回るように走らなければなりませんでした。
甲種車両輸送という貨物列車は、その貨物の性質上、非常に特殊な列車の一つであるとともに、鉄分の濃い方にとっては非常に注目される存在です。
とはいえ、甲種車両輸送列車は立派な営業列車であり、発送人と荷受人がお客さんです。そのため、この列車の運転には多くの人が携わることになります。
▲甲種車両輸送列車の例。写真は京成電鉄の車両を、JR貨物のDE10形ディーゼル機関車が牽いている。(©金井庄戸 [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズより)
輸送の申し込みがあった時から、輸送する貨物(ここでは車両)が規定以内に収まっているのか、経路はどうするのか、どのスジで走らせるのかを検討し、貨物会社と旅客会社が協議して運転日とダイヤを決定します。
そして、列車が走ることが決定をすると、関係する駅や運転区所、そして保線や電気などの施設区所にも「達示」という形で知らせ、多くの鉄道マンが臨時の列車が走ることを把握し、安全にそして確実に運ぶことために最大限の努力をしているのです。