旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただきありがとうございます。

 筆者が鉄道マンになった1991年は、まだまだ多くの国鉄形電機があちこちで走っており、今となってはなんとも羨ましくもなるような光景が見られたものです。特に筆者が勤務した電気区の管轄には、本区では新鶴見機関区が、梶ケ谷派出では八王子機関区(既に車両配置はなくなっていたが)があり、機関車の入出区が激しいだけあって、担務指定で割り当てられることも多くありました。保守作業などでよく出向いては新鶴見ではEF65EF66を、八王子ではEF64DD51を間近で見ることも多くありました。

 羨ましい、記録写真は撮らなかったのか?などと思われる方も多いかと思いますが、残念ながらこの当時はあまり記録をとることはしませんでした。

 というのも、線路内に入る仕事は常に危険がつきまとうので、構内にいる車両に気を取られていて作業をおろそかにしたり、入換などで走行する車両に気が回らずに事故を起こしたりするわけにもいかないので、当時は「仕事を趣味としない」と決めていたのでした。ですから、新鶴見に行こうが八王子まで行こうが、そこにある機関車たちへ興味を向けなかったのです。あくまで、自分たちの「飯の種」としてしか捉えないようにしたのでした。

 筆者自身、「ああなんてもったいないことをしたもんだ」と悔いることもありますが、それはそれで良かったと思っています。一歩引いた立場から俯瞰した当時の機関車たちのことを、技術的な側面からも語れるのは、当時のこうした姿勢があったからだとも思えるのです。

 とはいえ、作業の間合いで先輩から仕事のイロハを教わったり、同期と雑談を楽しんだりする中で、留置している機関車たちを見るのは楽しみでした。特に八王子では、昼食後の休憩は機関区の「クラ」と呼ばれる機関庫内にある畳敷きの広い部屋で過ごしていたので、庫内は自由に歩いて観察することができました。もともとは、機関車の交番検査などを行っていた建屋だったので、使われなくなったジャッキ*1などもあり、往時の活気のあった機関区を想像することができました。そして、そこには庫内に収容されたEF64(それも0番代)を間近で見たり触ったりしたものでした。

 さて、新鶴見でも様々な機関車を見ることができましたが、中でも興味深かったのはEF65 500番代でした。筆者が物心ついたときに鉄道に興味をもったきっかけは、EF65 500番代が牽くブルトレのパズルで、記憶している限りではEF65と同じ青15号に白帯を巻いた客車だったので、20系が九州ブルトレで活躍していた頃のものだったでしょう。非貫通の勇ましい前面にヘッドマークを誇らしげに掲げた姿は、PFやEF66とは違う力強さと華々しさを感じたものでした。

 そのEF65 500番代があたりまえのように新鶴見に留置されていると、さすがに幼き頃に感じた興奮こそはしませんでしたが、それでも筆者の鉄道に対する原点だったので、見かけると何号機なのかはぐらいは観察したものです。

 さて、一言で500番代といっても、大きく分けて2種類の異なる仕様でつくられました。全部で42両製作された(0番代からの改造も含む)500番代は、一見しただけではどれもが同じに見えるでしょう。車体は青15号に前面はクリーム色が多い「特急色」と呼ばれるもので、前面は非貫通、中央部には飾帯がつき、側面はルーバーと細長い採光用の窓が並ぶなど、まったく同じ意匠でした。

 しかし、機械的な面では大きく異なる仕様だったのです。

 そもそも500番代は、それまでEF60 500番代が担っていた東京駅発着の寝台特急の運用を継承させることを目的に設計製造されました。EF60は新性能電機では初のF級機で、出力425kWのMT52を6基装備し、定格出力2,550kWという当時としては強力な電機でした。主に貨物列車用として設計されたため、歯車比は低速寄りの1:4.44に設定されました。

 

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前部標識灯は白熱灯1個、側面のリーバーと採光用窓は旧型電機を踏襲した大きめの四角形のものが並ぶ、新型電機黎明期のスタイルが特徴的なEF60は、歯車比を牽引力重視の貨物用機だった。その性能で、20系客車を牽引する装備を追加した500番代は、連続高速運転を強いられる寝台特急の仕業は過酷で、フラッシュオーバーを頻発させてしまうことになり、牽引力、高速性能ともに優れた電機の登場が待たれた。(EF60 501[高二(最終)] 2012年7月 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影) 

 

 この歯車比の設定によっては、機関車は高速で連続走行できるか、それとも列車の引き出し時に必要な牽引力を得ることができるかの違いがあります。EF60は重量のかさむ貨物列車を牽くことを前提としたので、歯車比は低速寄り、すなわち牽引力を重視し高速性能は二の次とされました。

 一方で、同時期には客車列車用としてEF61も開発されました。こちらはEF60とは異なり、軽量な客車を引くことを前提としていたため、牽引力よりも高速性能を優先させたので、定格出力などの性能はそのままに歯車比を高速寄りとなる1;5,13に設定されていました。また、当時は客車列車に欠かすことができない冬季の暖房用蒸気発生装置(SG)を装備していました。

 しかし、ブルートレインの運用に充てられたのは客車用として高速性能に優れるEF61ではなく、高速性能より牽引力重視の貨物列車用のEF60に20系客車を牽くための特殊装備を追加したEF60 500番代だったのでした。

 ブルートレインの表定速度がいくら遅いとしても、それは機関車の付け替えによる必要な時間や、九州島内での線路形状などからくる速度制限などによって到達時間が伸びてしまうことに起因するもので、本州内は比較的長い時間を高速で連続運転することが多く、EF60のような性能の機関車にこうした運用は酷というものでした。実際、連続での高速運転を強いられたEF60 500番代は、運転中に過運転状態になりフラッシュオーバーを起こすことが度々ありました。運転中に機関車が故障してしまっては、ブルートレインは走ることはできず、結局は近隣の機関区などから救援機を送ってもらう羽目になり、ともするとEF60 500番代に栄光の仕業を明け渡した旧型電機であるEF58がやってくることもあったようです。*2

 結局のところ、寝台特急用に特殊仕様を施したとはいえ、もともとが貨物用の性能をもたされていたEF60 500番代にとってはこれ以上ないくらいに過酷な運用に終始し、これに代わる高速性能に優れた機関車が望まれていたのです。

 

《次回へ続く》

 

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*1:1987年の分割民営化によって、八王子機関区はJR貨物に継承されたが、既に車両配置がない乗務員区所となっていたが、中央東線八高線で運用される機関車の拠点機能は残っていた。

*2:機関車の故障などで運転不能に陥った場合は、可能な限り近傍の機関区などから予備機として待機している機関車が救援に差し向けられる。この場合、同じ形式であることが望ましいが、それが難しい場合は実績がある形式などが選ばれる。実際、筆者が乗客として乗っていた寝台特急を牽いていた下関所属のEF66が故障を起こしたときに、救援機として差し向けられたのはJR貨物に所属すEF66であった。