旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【2】

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《前回のつづきから》

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 上越線での活躍は、1037号機にとってはうってつけの役目だったといえるでしょう。それまで上越線の貨物列車の先頭に立っていた500番代F形は、特急貨物列車を牽くための特殊装備はもっていたものの、基本的には東海道山陽本線で運用することを前提としていたため、車両自体は暖地仕様でした。しかし、上越線は特に高崎以北の上越国境地帯では冬になると想像を超える大雪に見舞われる「豪雪地帯」で、しかも勾配がきついことから耐寒耐雪装備を強化し、かつ勾配にも対応した機関車が活躍してきました。

 EF65そのものは、上越線では水上までの運用でしたが、それでも上越国境の入り口になるところなので、やはり冬季は寒さが厳しく、そして雪の量も「同じ関東か?」と思わずにはいられないほどのです。そして、その寒さと雪の中で機関車を付け替えていたので、その作業は想像を絶する過酷なものだったといえます。

 その付け替え作業は、一番苦労したのは水上駅に勤務していた操車掛だったでしょう。そして、ここから過酷な上越国境超えを担う機関車たちを、常に最良の状態に維持し続けた水上機関区の検修掛も寒さとの闘いだったといえます。そして、これらの列車のハンドルを握る機関士も、水上での付替えは寒さとの闘いでした。

 というのも、当時上越線の貨物列車は電機の重連が基本でした。EF64のように前面に貫通扉が設けられている車両であれば、折返しのために運転台を移動する機関士は、機器室内を通って反対側の運転台まで行き、そこで貫通扉を開けて折り返し先頭に立つ車両へ移動すれば済みます。また、旧型電機は基本的にデッキつき貫通扉をもつ車体なので、動揺に車内を移動すればことは足りていました。

 しかし、500番代F形は非貫通の前面をもつ車両です。重連で水上までやってきて折返しとなると、反対側の車両の運転台まで一度機関車から降りて、線路上を歩いていかなければなりませんでした。

 それなら、別に降りて歩いていけばいいではないか?という考えもあるでしょう。

 しかしながら、電機に乗務する機関士は、基本的に狭い機関車の運転台で執務(ここでは、ハンドルを握って運転すること)をする職種です。雨天のようにたまにある気象条件であれば、傘をさすなどして対応できます。いえ、鉄道の構内で傘をさす鉄道マンはほぼいません。傘のようなものを指して線路を歩けば、入換などでやってきた車両に引っかかり、触車事故に発展してしまいます。そのため、機関士にも雨具は支給され、乗務する車両までは傘をささずに雨具だけで歩いて移動することが多いのです。

 また、施設や電気のように、線路内で作業をすることが本分の職員には、雨具だけでなく作業がしやすい防寒着や、降雪時に履くことができる安全靴などの装備が支給されます。車両に乗務する機関士には、そのような装備は支給されないので、大量の雪が積もった鉄道構内を移動するのは、かなりの苦労と危険が伴っていたのです。

 こうした理由などで、1000番代PF形は前面はEF64などと同じく貫通扉が設けられました。

 この他にも、500番代F形には、こうした冬の厳しい気象条件の中で運用するために必須である、耐寒耐雪装備をもっていませんでした。そのため、砂撒管などが凍結して作動しなくなる恐れもあり、屋根上に設置されているホイッスルも、雪が付着してならなくなる可能性がありました。また、雪が積もっている中を走るので、それを掻き分ける簡易な除雪装置であるスノープラウもありません。最悪の場合は、スカートで無理やり雪をかき分けて破損させてしまったり、雪の塊をつくってしまい走ることができなくなってしまいます。

 そこで、スノープラウの設置や、ホイッスルを覆うカバーの取り付け、さらにはトンネル内にできている可能性のある氷柱から前面窓を保護するためのつらら切りの増設など、簡単な耐寒耐雪装備をもたされましたが、それでも十分とはいえないものでした。

 

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〔出典:ウィキメディア・コモンズ ©​Japanese Wikipedia user Mgamp222, CC BY-SA 3.0,〕

 1000番代PF形は、こうした500番代F形の運用で顕在化した課題から、耐寒耐雪装備をもった電機として設計されました。ごく初期の車両にはありませんでしたが、1037号機にはつらら切りが窓上に設けられていました。また、ホイッスルカバーやスノープラウも設置されたのはもちろんですが、運転に必要な部分には凍結防止のためのヒーターも設けられていました。

 代わりに500番代F形に装備されていた、10000系高速化車を牽くための特殊装備は省略されました。これは、10000系高速貨車で運転される特急貨物列車は、東海道山陽本線ではEF66がその先頭に立っていたので、EF65にはその必要性がなかったのでした。そのため、連結器は並形自動連結器に戻され、自動複心装置も省略されるなど、汎用性も重視された装備になったのでした。

 こうした過酷な条件で、かつ耐寒耐雪装備が欠かせない上越線での運用に、必要な装備を持った1037号機にとって、楽とまではいえませんがこなすことができる運用だったといえるでしょう。

 宇都宮所に配置になった1037号機は、なにも過酷な貨物列車の先頭に立つことばかりではありませんでした。

 新製配置された翌年の1970年には、上野ー青森間で運転されていた寝台特急「あけぼの」の先頭に立つ運用が設けられました。実は、まだこの当時の東京ー九州間の寝台特急は500番代P形が充てられていた時期だったので、1000番代PF形が寝台特急牽引という花形仕業を手に入れたのは、実は東京機関区ではなく宇都宮所配置の車両たちだったのです。

 実際に、1037号機もほかの僚機とともに「あけぼの」の先頭に立ち、ソレオを記録した写真も多数見ることができます。上野ー黒磯間という短い距離ではありましたが、まさに栄光の花形仕業を手のしたのです。

 その後、宇都宮所配置の1000番代PF形は、田端機関区(民営化後の田端運転所)に配置転換されました。1037号機も同じく田端区に異動しましたが、運用は大きく変わることなく、「あけぼの」の牽引をはじめ、東北・高崎・上越線の客貨両用に使用され続けました。

 

《次回へつづく》

 

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