旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・現場へ向かう公用車の運転は若手の仕事【2】

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現場へ向かう公用車の運転は若手の仕事【2】

 公用車、純粋な民間会社ならば社用車とも呼ばれる会社の持つ車。今でこそどんなに安く売られている商用車でも、それなりの装備はもっているもの。パワーステアリングにパワーウィンドウ(運転席だけでも)、エアコンもあたりまえのようについている。そして、いまやオートマチックしか売られていない。

 ところが、私が若い頃はいまの「当たり前」はそうではなかった。
 電気区に配属になって公用車の運転を任されたとき、一番最初に驚かされたのは公用車として使われている車に、パワーウィンドウはもちろん、パワーステアリングすら付いていない、文字通り車体にエンジンと最低限の走るための装置が取り付けてあるといってもいいほどの車だったのだ。
 これには正直まいった。


前回までは

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  私が自動車の運転免許を取ったのは高校3年生の初めの頃。教習所で乗った教習車は、すべてパワーステアリングを装備していた。だから、車が止まっていてもハンドルを回せば、楽に回すことができる。

 ところが、本区にあった公用車といえばそれがない。
 車が止まっているときにハンドルを回そうとすると、車の自重がすべてハンドルにかかった状態になるので、かなりの力を入れなければハンドルを回すことができないのだ。

 現場から詰所のある横浜羽沢駅に帰ってきて、構内の指定された駐車エリアに公用車を駐めるとき、教習車や実家の車のようなハンドルさばきは不可能だった。だから、少しだけ車を前進させたり後退させたりしながら、力を入れてハンドルを回さないと、切り返しや車の向きを変えることができなかった。

 最初の頃はそれすら難しく、車を駐車エリアに入れるのだけでも一苦労したものだ。時間が経つにつれて公用車にも慣れてきたので、どうということもなくなったが、やはりその頃買ったマイカーに比べれば、運転には何倍もの神経と腕力を使った。

 電気区の本区に配置されていたのは2台のライトバンで、1台は日産のADという車だ。日産は当時の貨物会社にとって大口のお客さんで、新車を車運車という貨車に載せて貨物列車として運んでいた。ほかにも専用のコンテナを開発して、同じく新車を運んでいた。そのためもあってか、会社が必要とする公用車は、民営化以後はほとんどが日産車だった。

 もう1台は国鉄から引き継いだライトバンで、トヨタのマークⅡ。マークⅡのライトバン?と思う方もおられるかも知れないが、その昔はライトバンステーションワゴンもあったのだ。
 そのライトバン仕様のマークⅡは、内装こそ高級車のマークⅡに通じるものがあり、日産ADのような商用車チックではなく落ち着いたものだった。それでも、座席のモケットはビニールレザーではあったものの、広さもそれなりにあるので乗っていて疲れる車ではなかった。
 ところが、このライトバンのマークⅡには、エアコンがついていなかった。
 エアコンの操作パネルはついているが、エンジンルームにエアコンのユニットが装備されていないので、夏場になると涼しい風など出るはずもない。さすがに、90年代の初めなのにこんな車があるとは予想もしなかったので驚くばかりだった。

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▲電気区本区に配置されていた、国鉄から引き継いだ公用車・マークⅡライトバンと当時の筆者(私)。かなりの年代物の車で、1990年代に入ってもエアコン非装備というのには驚かされ、夏場にこの車に乗っての現場への出動は暑さとの闘いでもあった。写真は横浜羽沢駅構内で、後方には引き上げ線、その後ろには東海道貨物線が写っている。ちなみに私が着ている制服は、上着は旧国鉄の一般職のものにズボンは民営化後のもの。現場での作業が多いのにもかかわらず、支給された数が初年度は2着だけだったので、先輩からいただいたものを着て凌いでいた。もっとも、私はこの古い制服の方が鉄道らしくて好きだった。(1991年頃)


 このエアコンのついている日産ADとエアコンのついていないトヨタマークⅡ。
 どちらが多く使われてていた・・・というより、電気区の職員たちがどっちを好んで使っていたかといえば、それはエアコンがついている日産ADというのは想像に難くないだろう。実際に、夏場になれば現場の作業があると日産ADの鍵はすぐに確保され、施設区の配置で空いているエアコン装備の車が使われていた。

 トヨタマークⅡのライトバンといえば、夏場はあまり使ってもらえずに詰所の近くで昼寝をしていることが多かった。
 だから私のような若い職員だけで外出となると、有無を言わさずこのマークⅡに乗るしかない。
 もちろん、若い職員だけで出かけることもあったが、時にはすべての車が出払っていて、このマークⅡだけが空いていたから、この車で先輩たちと一緒に現場の作業に出ることもあった。

 ところがこれだけ人気のない車も、信号を専門にしている先輩はどういうわけかマークⅡがお気に入りだったらしく、夏の暑い日でもマークⅡに乗っていることが多かった。
 特に猛暑が厳しいなどは、現場の作業で汗ビッショリになってしまうのが常だが、詰所と現場の往復の車もエアコンがないので汗ビッショリ。詰所に戻る頃には制服のシャツは汗が乾いて塩がふき、ズボンも蒸れて気持ち悪いことこの上ない。早く詰所に帰って、風呂に入ってサッパリしたいなどと考えたものだった。