旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく国鉄形 産業を支え続けた石炭列車【1】

広告

 「消えゆく国鉄形」シリーズも書き始めてから2年近くが経ちました。

 とはいえ、185系電車のお話は途中で止まっており、いつか再開しなければ~なんて考えてはいたものの、本業が日に日に忙しさ(なんて言葉では済まされないほど、大量の仕事が捌けてないんです)になかなか手をつけられず、といった状態です。

 そこへきて、去る3月14日のダイヤ改正を目前に、長年走り続けてきた日本で最後の石炭列車も姿を消していきます。

 

 今回は、その主役でもあるホキ10000形にスポットを当ててみたいと思います。

 

f:id:norichika583:20200324001228j:plain

 

 ホキ10000形は、その形式からもお分かりになるとおり、ホッパ車と呼ばれる貨車です。ばら積みの粉体や粒体の貨物を積むための構造もつ貨車で、基本的には貨車の上部から積み込み、下部から取り下ろします。
 積み込みも取り下ろしも、貨車自体には特殊な設備をもたせなくても、重力の力でできるという優れ物でした。

 国鉄の貨物列車全盛期は、こうした物資別適合貨車がたくさんありました。もちろん積み込む貨車も多種多様で、セメント製造には欠かせない石灰石(ホキ2500、ホキ9500など)や私たちの食卓には欠かせない米や小麦(ホキ2200)、変わったものではビールの原料となる麦芽などなど、様々なものを運んでいました。

 しかし、時代とともに物資別適合貨車による貨物列車は数を減らしていきます。

 その要因として、1つは工場の立地条件が限られるということです。

 こうした貨車による原材料を運ぶためには、工場内に引き込む専用線路が必要でした。そして、この線路を接続させるためには、当然ですが近隣に貨物輸送を担ってくれる鉄道が必須です。

 大都市圏であれば、そうした心配も少なくて済みましたが、大気汚染などの公害問題、そこで働く人の人件費の高騰、さらには工場自体の設備の老朽化などもあり、工場そのものが移転していきました。

 そのため、役割を終えた(と見做された)貨物輸送は廃止になっていきます。

 

f:id:norichika583:20200222230525j:plain▲今日ものこる物資別適合貨車の一つ、ホキ9500。国鉄JR貨物保有したホキ2500と同等の構造で、石灰石を積んで産出する鉱山からセメント工場の間を走り続けた。車両自体の老朽化や、高速化し増発する旅客列車主体のダイヤ編成上、低速の貨車はネックとなった。写真のホキ9500は中京地区にある矢橋工業が所有する私有貨車で、石灰石輸送に使用された。(©Planetary / CC BY-SA Wikipediaより引用)

 

 もう一つは、貨車や荷役設備の老朽化でしょう。

 例えば青梅線奥多摩駅から南武線浜川崎駅まで石灰石を運んでいたホキ2500は、製造初年が1967年でした。後期形でも1969年です。重量のある貨物を積み込んで、比較的速い速度で走る貨車は、旅客車に比べて老朽化も早いものです。

 さらに一つは、列車の運転速度だと考えられます。

 これら物資別専用貨車は、どんなに速くて走っても75km/hです。それは貨車の構造に由来するもので、国鉄時代に製造された多くの貨車は、この速度が限界でした。
 また、1両の機関車が重量の嵩む多数の貨車を牽く貨物列車は、加速度も電車の比にならないほど遅いものです。パワーエレクトロニクスの発達により、民営化後に開発された機関車をもってしても、やはり加速性能は遠く及ばないのが事実です。

 ところが、周りを走る電車や気動車は、技術の発達とともに速度を増していきます。

 ホキ2500が走った南武線は、国鉄時代は旧型の72系電車でした。後に101系に置き換えられていきましたが、最高運転速度はどんなに速くても80km/h程度でした。

 ところが、それでは遅いと利用者や沿線自治体から「なんとか速くして」という要望が持ち上がり、JRも速達性の向上=サービスアップと考えて、最高速度を引き上げていきます。

 101系や103系と比べると加速性能も速度性能も優れる205系が走るようになると、95km/hに最高運転速度が引き上げられていきました。すると、足の遅いホキ2500で組成された貨物列車は、当然ですがダイヤ編成上厄介なものになります。
 しかも、沿線の人口増加によって利用者数も増え、混雑も激しくなると旅客列車の本数を増発しなければなりません。もはや足の遅い貨物列車が走る余地もなくなり、民営化後は会社も異なるので、旅客会社としてはできれば走ってほしくない存在だったと言えます。

 こうした環境の変化の中で、貨物会社としても、できれば運用や管理が煩雑になる物資別専用貨車は最小限にまで減らしたかったといえます。
 足が遅く、ダイヤ編成上ネックになるからと旅客会社に言われ続け、今日の貨物輸送の主流であるコンテナ輸送と比べると、往路は貨物を積んでも、復路は積荷がない空っぽの貨車を運転するというのは、効率の面でも好ましいものとはいえませんでした。

 貨物会社は2000年代後半から輸送効率の向上と、収益の増加をねらって貨物輸送のコンテナ化を推進しました。汎用性に乏しく、老朽化も進行し、運転速度の遅い国鉄から引き継いだ貨車による車扱貨物列車の淘汰を目指します。

 2008年3月15日のダイヤ改正で、石油類や石灰石など一度に大量輸送をするために同じ貨車で1列車を仕立てるものを除いた車扱貨物列車は廃止となり、鉄道開業以来続いた貨車1両単位での貨物輸送は、その歴史幕を閉じました。

 

併せてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info