旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 赤い機関車・ED76

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 いつも拙筆のブログをお読みいただきありがとうございます。

 年度末の忙しさに息をつく間もないのですが、やはり体は「鉄分」を欲していて、仕事の合間に資料を見たり、写真を整理したりなんてことをしています(笑)。仕事・・・といっても、職場ではなく自宅でなんです。
 かつてのように、仕事はすべて職場で済ませて、自宅には持ち帰らないなんて余裕は微塵もありません。子どもたちが帰ったあとは、会議だ打ち合わせだ、職員作業だなんてことばかりで、それだけで勤務時間は終了。本来すべきことはすべて「時間外」か「お持ち帰り」というのが現実です。

 

 さて、鉄道の仕事はすべて「ダイヤ」に則って進めていきます。それは機関車も人も同じです。

 人のダイヤといえば、乗務員のダイヤは多くの人に知られていることでしょう。

 機関士(運転士)や車掌は、ほぼ1か月の乗務ダイヤが組まれ、さらには1日の行路も決められています。ある駅に着けば、折り返しの乗務までは休憩となり、1つの行路をこなせば、あとは自宅へ帰るだけです。

 筆者のように、運転系統ではない施設・電気系統の職員も、一日の作業ダイヤが定められています。基本的に日勤だったので、8:30に作業を開始すると、12:00から12:45の休憩を挟んで17:07までは作業となっていました。

 たまに夜勤が入ると、日勤ダイヤから一昼夜ダイヤに変更になり、翌日は8:00まで勤務して、それ以降は明け番でした。

 機関車もまた同じで、運用ダイヤが組まれています。

 写真のED76 1018を撮影したのは夕方。勤務が終わり、研修を担当してくださった助役さんにお願いをして、門司機関区構内で撮影したものです。

 両側のパンタグラフがおりているので、まだ待機状態でしたが、その前方にいるED76はパンタグラフが上がっているので、これから出庫するところというのが分かります。

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 ところで、以前、EF81についての特集を組んだ雑誌の記事を執筆させていただきました。できあがった雑誌を、いまも現役のJR職員である親友に見せたところ、とても分かりやすく書いてあるという感想をいただきました。

 この親友、以前は機関区勤務で、EF65の交番検査・台車検査を担当し、後に仕業検査こなしていました。仕業検査は、検査の中でもっとも周期が短く、特に長距離を走行することが常となる貨物会社の機関車は、自区以外でもこの検査を受けることがあります。そのため、機関区に出入りする機関車すべてについての知識が求められます。

 彼もまた、直流機については熟知していましたが、赤い車体の交流機や、ピンクの交直流機については門外漢だったので、「交直流機について、ここまで説明できるとは驚いた」ともいっていました。

 まあ、それもそうでしょう。何しろ、筆者は施設・電気系統が長かったのですから。

 それでも、短い勤務期間でしたが、よく勉強したのを覚えています。

 さて、筆者が最初にまともに機関車を触ったのが、このED76でした。

 小倉車両所(JR九州の小倉工場(当時)内に併設)に全般検査で入場してきた1016号機です。交流機は、変圧器と整流器が最も重要な機器です。そして、九州のED76には、もう一つ重要な機器として蒸気発生装置を積んでいました。

 そのため、交流機の標準形式となったED75と比べると、どうしても機器が多い分だけ重量も重くなります。特に蒸気発生装置は、燃料となる重油と蒸機を発生させるための水も積むので、どうしても重量が嵩みます。重量が重くなって、車輪の数が変わらないと、1軸あたりにかかる重量も重くなってしまいます。

 そうなると、軌道の構造があまり強固でない路線では、軸重の制限を受けて入ることができなかったり、入ることができても速度の制限を受けてしまいます。強引に入ろうものなら、最悪の場合は軌道が崩壊して列車が転覆する大事故につながるのです。

 そこで、中間に軸重だけを負担するためだけの台車を追加して、1軸あたりにかかる重量を軽くしてやるのです。ED76はこの軸重を負担する、動輪ではない台車を装備しているので、ED75と比べると車体も長くなり、動輪が6個あるF級機のように見えるのでした。
 九州では、鹿児島本線以南と、日豊本線大分以南は輸送量が低いことから、線路等級も低いのでこうした装備は不可欠でした。

   ところで、ED76が開発されるより前には、九州向けにED72とED73が開発されました。どちらも交流機黎明期の機関車で、ED72が蒸気発生装置を装備した客貨両用で、ED73はED72から蒸気発生装置を省略した貨物用機でした。

 しかし、運用を分けると効率性に乏しくなり、ED73は九州南部への乗り入れができないなど、課題も多いものでした。増備として製造されたED75 300番代も同じく軸重制限に苦しむことになります。

 それらの課題を解決し、九州一円で使える機関車として誕生したのがED76でした。

 さて、筆者が初めて本格的に触った、いえ、バラバラにしたのが1016号機です。

 20系客車や10000系貨車を100km/hで牽くことを前提に、電磁ブレーキ回路や元空気溜め引き通し管など、これらの客車・貨車を牽くための、特殊な装備をもった高速列車用の区分の一員でした。

 1016号機はこれらの中でも、もっとも最後に製造されたグループで、1979年に鹿児島に新製配置されます。0番代の最終グループの製造が1974年なので、ED76の中で一番最後に製造されたのです。

 国鉄時代は鹿児島機関区に配置され、鹿児島本線日豊本線の貨物列車をはじめ、客車列車、さらには寝台特急の先頭に立つこともあったそうです。とはいえ、花形の仕事はそう多くなかったようで、多くは0番代と変わらない仕事をこなしていました。

 同じ高速列車用に開発されたEF65 500番代とは異なり、せっかくの装備も宝の持ち腐れということもあったようです。ただ、そもそもがブルトレ用ではなく、あくまで「高速列車」を牽くことを目的としたので、貨車としては異例の空気バネ台車を履き、電磁ブレーキを使う10000系貨車だけは、この1000番代ではないと本領を発揮できないので、そちらでの活躍が多かったとか。

 しかし、そんな特殊な装備が災いして、メンテナンスに手間のかかる10000系貨車は、国鉄の終焉が近づくとその数を減らしていきました。鮮魚輸送用のレサや混載貨物用のワキは、貨物会社に引き継がれることはなく廃車となり、残ったのはコキだけでした。
 そのコキも、民営化後は「必要なコンテナ貨車の数が足りないし、新車を作るにもそんなに予算は割けないから、新車で賄えるようになるまで仕方なく使う」というもの。実際、検修の現場からはコキ10000はあまり歓迎されず、全検で入場する時には、検査長から特段の注意を求められました。

  高速装備をもちながらも、それを活用する仕事はそれほど多くなかった1016号機は、1987年の分割民営化を前に鹿児島機関区から門司機関区へと異動になります。それとともに、客車列車から電車への転換が進んだことや、貨物列車の大幅な削減のために、九州各地にいた僚機たちは仕事を失い廃車という運命を辿っていきました。

 その中で、比較的新しい、というより最終グループだったので1016号機は門司で民営化を迎えることになります。

 民営化後は、貨物会社に所属する機関車として、門司から九州島内に出入りするほぼすべての貨物列車を牽く仕事に就きます。一部はコキ10000が使われていましたが、この頃の主役はコキ50000。電磁ブレーキのような特殊な装備がなくても95km/hで運転できるので、機関車も選びませんでした。

 1016号機のもつ装備はますます宝の持ち腐れ…になるに見えましたが、新たに登場したコキ100系は、なんと電磁ブレーキを装備していたので、ここに来てようやく本領発揮となったのです。

f:id:norichika583:20110504153735j:plain ところで門司機関区に所属する機関車は、すべて貨物会社が所有するので、基本的には貨物列車を牽くのがお仕事です。ところが、民営化間もない頃には「例外」というのがありました。

 それが、門司港西鹿児島を結んだ急行「かいもん」と急行「日南」でした。

 どちらも12系+24系で組成された夜行急行です。旅客列車なので、運行の主体は旅客会社でしたが、この列車に限っては機関車はなんと貨物会社の受け持ちでした。もちろん、乗務員も貨物会社の受け持ちという、国鉄時代を彷彿とさせる全国でも珍しい運用があったのです。そのため、1016号機もこの夜行急行の先頭に立ったこともありました。
 変わったところでは、故障した旅客会社のED76に代わって、ピンチランナーとして貨物会社のED76が宛がわれることもありましたが、これはあくまでもイレギュラーのお話。1016号機も宛がわれたかも知れません。

 1995年頃になると、さすがに製造から30年近くも経とうとしていたので、さすがにあちこちにガタがきています。1016号機の全検入場は1991年5月だったので、その次の全般検査は検査の周期を考えると1999年頃になるでしょう。

 1016号機はほかの僚機のように、更新工事を受けることになります。

 配管や配線の交換や主電動機のコイルまき直し、車体の徹底的な補修と冷房装置の設置、さらには乗務員室出入扉の交換などなど、あげたらキリがないくらいに徹底的なリフレッシュを施すのです。

 この更新工事で、20年程度の延命を図ることにしたのです。

 まあ、この手の工事は直流機でも行われていたので、これといって珍しいことではありません。

 貨物会社としては、できれば省電力性に優れて効率のよい新型機関車を欲していましたが、とんでもなく高価な機関車をおいそれと大量生産できるわけがありません。国鉄なら、必要とあらば借金をしてでも右から左に買ったでしょうが、一応まがりなりにも民間会社になったのですから、必要だからという理由だけで、国鉄のように借金してでも買うわけにはいかないのです。

 この頃はまだEF210は量産の軌道に乗ったばかりで、それでも年に数量ほどだけの発注だけに留まっていました。

 そのため、機関車はある程度の数は揃えておかなければならないので、苦肉の策として国鉄から引き継いだ機関車たちを、延命工事を施して使えるまで使おうとしたのでした。

 こうした理由もあって、ED76にも延命を目的とした更新工事が施されていったのです。 

 リフレッシュを施された1016号機は、所定のメニューにある工事のほかに、かつて客車に暖房用の蒸機を送るために設けられた蒸気発生装置を撤去し、代わりに同じ重量分ぐらいの死重をつんでいました。

 それからというもの、今日に至るまで黙々と九州で貨物列車を牽く仕事を続けていました。

 筆者は既に関東に帰り、貨物会社も退職して別の仕事をしていましたが、ある日、この1016号機と偶然の再会をします。

 といっても、筆者が九州に行ったのでもなく、1016号機が関東にやって来たのではありません。ある日、授業で図書室にいると、教え子から図鑑に貨物列車が載っていることを教えてもらいました。
 子ども向けの書籍なので、「ああ、あれかな」とイメージを持たれる方も多いと思います。

 筆者も「どれどれ」なんて言いながら、図鑑を覗き見ると、なんとあの1016号機が写っていたのでした。

「ああ、この機関車なら、バラバラにしたことがあるよ」

 筆者の返事に、教え子は目が点になりぽかぁんとしてしまいました。

 そりゃあそうでしょう。電気機関車をバラバラにしたことがある、学校の教員なんて滅多にいるものではありませんから(笑)

 

 製造から既に40年以上が経った1016号機は、2020年現在も門司機関区にいます。

 直流機と違って、交流専用機は九州だけにしかない少数派なので、後継機の開発もままなっていないのかも知れません。

 まだまだ活躍を続けてほしい気もしますが、後数年で誕生から半世紀になるので、そうもいかないでしょう。それ故に、後継機がどうなるかも気になります。いずれにしても、最期まで無事故で走り続けて欲しいことを願ってやみません。

 直流機の影に隠れて、交流機は資料も記録も少ないので、いずれ交流機のことを詳細にお話できればと思います。

 長いお話になりましたが、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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