旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

貨車の色にも「意味」があった【5】 今も走り続けている赤ホキ

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《前回のつづきから》

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今も走り続けている赤ホキ

 ホッパ車と一口に言っても、運ぶ物資によって様々な形がああり、その分だけ形式も数多くありました。前回ご紹介したクリーム色4号のホキ2200は穀物類のばら積み輸送専用のホッパ車で、その外観はタンク車に近いものでした。分類としては「有蓋ホッパ車」となるのでしょう。それに対して、一見すると無蓋車や石炭車に似ている「無蓋ホッパ車」なるものがあります。

 その蓋のないホッパ車も、実に数多くの形式がつくられました。そのほとんどは私有貨車で、自社でつくる製品の原材料を運ぶために、運ぶ物資と工場などに備えている荷役設備、そして製造計画などに合わせた車両を作ったので、同じものを運ぶのでも全く異なる形式になることが多かったのです。

 例えば石灰石は、セメントを製造するのには欠かせない物資です。石灰石を産出する鉱山からセメント工場までの間を、貨物列車で輸送することは日常的に行われていました。

 例えば青梅線奥多摩駅近傍には、奥多摩工業という会社の石灰石鉱山があります。かつてはここで採掘された石灰石を、京浜工業地帯にある日本セメント(当時)に供給していました。どちらも旧浅野財閥系の企業で、前者は奥多摩電気鉄道、後者は浅野セメントという会社であり、いわばグループ会社といえる関係だったので、原料供給としてはありふれたものでした。奥多摩工業が産出した石灰石はホッパ車に積み込まれ、青梅線奥多摩駅から南武線を経て、神奈川臨海鉄道水江町駅へと運ばれていたのです。

 この石灰石を運ぶホッパ車は、奥多摩工業が所有したホキ4200が主力でした。30トン積み石灰石専用ホッパ車としては、ごくありふれた形状で車体上部の開口部から石灰石を積み込み、車体側面下部にあるあおり戸から積み下ろしする、無蓋ホッパ車としては一般的な形態でした。

 一方、同じ石灰石輸送用のホッパ車でも、九州の福岡県ではまた違った石灰石専用ホッパ車が運用されていました。

 ホキ8500は三菱セメント(現在の三菱マテリアル)が所有する私有貨車で、35トン積みと奥多摩工業が所有していたホキ4200よりも5トン多く積むことができました。ホッパ車の形態としては、開口部から積み込み、車体側面下部から積み下ろす方法で同じでした。一見しただけでは似たような貨車なので、筆者も石原町駅から黒崎駅まで石灰石を運ぶ列車に添乗したときには、南武線で見かけるホッパ車との違いがわからなかったものでした。

 このように、同じ物資を運ぶホッパ車でも、車両を製作して所有する会社や、製作した時期によって異なる形式のものが数多くあったのでした。

 一方で、国鉄も需要が旺盛な石灰石専用の無蓋ホッパ車を保有していました。私有貨車では保有する企業だけが使うことができ、それ以外の企業は使いたくても使えません。また、私有貨車だけでは需要を賄うことが難しいときに、利用者を問わずに使うことができる国鉄保有の車両があれば、私有貨車だけで賄えないときに運用に充てることができます。

 ホキ2500は国鉄保有する35トン積み石灰石輸送用の無蓋ホッパ車でした。荷役方式は側開き式で、側扉を開くことによって積荷の石灰石をその重さで落下させました。ホキ2500は汎用的に使うことができることを前提としたため、地上設備にあわせた設計がなされました。これは、石灰石用の無蓋ホッパ車として試作されたホキ2000(65トン積み)やホキ2900(50トン積み)が、輸送効率のみを重視した設計をしたため、あまりに大型になりすぎて地上の荷役設備に合わないなど、実際の運用に支障があったためでした。ホキ2500は積載荷重こそ35トンと貨車としては平凡で、車体長も10,000mmと短いものでしたが、このサイズにしたことで全国各地で運用できる汎用性を兼ね備えた貨車となったのです。

 このホキ2500は通常であれば国鉄の塗装規定に則り、黒一色で塗装されるはずが、赤3号で塗られていました。積荷である石灰石は特に熱など配慮しなくてもよく、石灰石専用の私有貨車は黒一色で塗装されているのが多いので、取り立てた他の色で塗る理由がないように思われます。

 製造も1967年からなので、国鉄の貨物輸送に対するイメージ一新といったような理由でもなさそうです。

 この理由として考えられるのが、石灰石専用の私有貨車と識別しやすいようにするためであるといえるでしょう。石灰石専用の無蓋ホッパ車は、その用途や荷役方式から概して同じ形状になりがちです。お話したように、ホキ2500は全国どこでも運用できる汎用性がもたされました。例えば東京西局に配置されている車両では需要が賄えなくなったときに、一時的に名古屋局配置の車両を貸出して運用することが考えられます。このときに、他の貨車と同じ黒一色では見分けがつきにくいので、あえて赤3号でわかりやすくしたとも考えられます。

 いずれにしても、ホキ2500が赤3号で塗装されていたのは、他の無蓋ホッパ車との識別を容易にするためだったと考えるのが妥当かもしれません。

 ところで、ホキ2500とほぼ同じ構造で製作されたホキ9500も、同じく赤3号で塗られていました。ホキ9500は末期は石灰石輸送に使われていましたが、そもそもの製造目的は全く異なっていました。

 

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「赤ホキ」ことホキ9500は、ホッパ車としては珍しい赤3号で塗られていた。これは、石灰石専用ホッパ車としての私有貨車もあり、形状もほとんど似ていたので国鉄所有車であることや、石灰石専用であることを容易に区別できるためだと思われる。国鉄時代には数多く見かけることができた赤ホキも、分割民営化後はセメント需要の低下による輸送量の減少や、輸送手段をトラックなどへ移行したことなどもあり、徐々にその数を減らしていった。私有貨車であるホキ9500も同様で、ホキ2500はすべて廃車・形式消滅し、ホキ9500も後継となるホキ2000の新製により姿を消していった。後を継ぐことになったホキ2000は、これら先輩たちの塗装を継承したので、今日でも赤ホキを見ることができる。(©Planetary, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 ホキ9500は1970年に製造されました。これは、ホキ2500よりも後のことです。この無蓋ホッパ車は、製造目的も発注者も、それまでの私有貨車とは全く事情が異なる特殊なものでした。

 発注したのは新東京国際空港公団、いわば国の特殊法人でした。ホキ9500は新東京国際空港(現在の成田国際空港)の建設に際して、建設資材である砕石輸送用を目的としていたのです。

 ところが、ご存知のように新東京国際空港の建設は、地元住民の反対運動が激しく工事に際してはかなりの困難を伴いました。空港建設反対派による過激な妨害や破壊活動が頻発していて、これに関わる鉄道も無事では済まされませんでした。例えば、都心と新空港を結ぶ連絡鉄道としてつくられた京成電鉄のスカイライナーAE形は、反対派によって放火され1編成が全損するという事件まで起きています。 

 新空港建設のための貨物列車とわかれば、たちまち過激化した反対派のターゲットになるのは火を見るよりも明らかです。そこで、ホキ9500は製造当初から、私有貨車でありながら明記しなければならない所有会社がありませんでした。また、積荷となる専用種別の標記もないなど、異例づくしの私有貨車だったのです。

 これは、国鉄の私有貨車としてはかなりの特例で、新空港建設が国の事業であるため、国鉄に特に認めさせたものといえるでしょう。記録写真を見て、登場時のホキ9500には所有者名も、専用種別標記もなく、代わりに「AC」を図案化したマークのみが記されていました。おそらくは、このマークは新東京国際空港公団の初代のもので、これだけが唯一私有貨車であることを示していたのでした。

 このようにホキ9500は製造時から特殊な扱いがされていたため国鉄内で識別しやすくするためと、新空港建設反対派のターゲットになりにくいように、ほぼ同じ構造のホキ2500に似せて赤3号で塗ることで、国鉄所有の車両とカモフラージュしていたものと思われます。もっとも、知る者が見れば分かってしまうため、カモフラージュの用をなしていたかはいささか疑問が残るとこでありますが。

 新東京国際空港が完成すると、ホキ9500はその役目を終えて余剰車となってしまいました。新東京国際空港公団としても、用済みとなった貨車をいつまでも持ち続けるわけにもいきません。

 余剰となったホキ9500は製造から10年も経っていたいので、そのまま廃車とするわけにはいきませんでした。国の税金を投入して製作したものなので、これを10年もせずに廃車としてしまっては、会計検査院が黙っていません。もしそのようなことをしようものなら、ただでさえ紆余曲折があった新空港建設に対して、批判を浴びるのは必至です。

 そこで、私有貨車ではよくある「譲渡」がされました。構造は石灰石輸送用のホキ2500と同等なので、石灰石輸送で必要な企業へ譲渡されたのです。譲受したのは奥多摩工業や矢橋工業小野田セメントなどセメント関連の企業や、日本石油輸送などもに譲渡されました。もちろん、これらの企業に所有権が移ったホキ9500には、国鉄の規定に則って所有する企業名とマーク、そして専用種別の標記もされました。その一方で、車体の色は黒一色にはならず、引き続き赤3号のままでした。おそらくは黒色に塗装し直したところで、石灰石という積荷の性質から黒一色では汚れが目立つこと、わざわざ塗り直す理由がないといったことから、引き継がれたものと思われます。

 そして、ホキ2200とホキ9500は、民営化後も車籍はJR貨物に継承され石灰石輸送に活躍を続けました。南武線青梅線石灰石輸送は1998年まで続けられ、美祢線宇部線の輸送は2009年まで続けられました。そして、矢橋工業所有の車両は後継となるホキ2000が登場しましたが、こちらも赤3号で塗られ、ホキ2500のDNAを受け継いだといったところでしょう。

 

《次回へつづく》

 

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