旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 雪中での連結作業・電化直前の石狩当別駅

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 2020年4月23日に、まるで新型コロナウイルスに追われるようにして、当初の予定を繰り上げて一部区間北海道医療大学新十津川廃線になった札沼線。あまりにもあっけなく繰り上げ廃線になり、そのニュースに接したときは呆然としてしまいました。

 確かに、廃線や車両の引退になると、多くのファンが詰めかけて賑わいます。いままでなら、(マナーやモラルの問題は別として)それでも問題にならなかったでしょう。しかし、人が集まり密接に密集する環境は避けるべきご時世なので、残念ながら仕方ないと思うほかありません。

 さて、この写真は2011年に石狩当別駅を訪れたときに撮影したものです。

 

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 午前中の眩しい日差しが、軌道に積もった雪やキハ40の白い車体を眩しく照らしています。

 この当時、札沼線はまだ全線が気動車による運転でした。

 ただ、写真を見てもお分かりになるように、既に架線柱も建てられ、電車線を吊すビームも取り付けてあります。あとは吊架線とトロリー線を張れば電化工事は概ね完成するといったところで、電化工事も最終段階に入っていました。

 さて、まだ気動車による運転でしたが、運転系統は石狩当別駅を中心に、二つに分断されていました。というのも、札幌ーあいの里公園間は札幌市内にあります。そのため、札幌市の時候が増えるとともに、沿線はニュータウンとして開発が進み、多くの人が利用するようになっていました。

 一方、あいの里公園から北は札幌市から外れて、北海道医療大学までは石狩郡当別町、さらに先は樺戸郡や雨竜郡とのどかな田園風景の中を走っていました。そのため、利用者は極端に少なくなるので、列車の運転本数も少なく、1両編成で十分だったのです。

 そこで、この区間を運転する列車用に、特徴的な気動車が運用されていました。

 かつてはキハ56を両運転台化したキハ53 500番代が、札沼線石狩当別以北専用として運転されていました。これは、北海道用急行形で、2エンジン車であるキハ56を両運転台化して、1両編成での運転を可能にしたものでした。

 キハ53 500番代が老朽化してくると、代替としてキハ40が運用されるようになります。ただ、このキハ40も、他で運用される車両のままとはいかず、エンジンを220PSのDMF15HSから、同じ1機のエンジンでも450PSと倍以上の出力をもるN-DMF13HZDに載せ替えました。

 これは、運転本数が少ないがために、冬季には線路に雪が積もるため、排雪走行をしなければならないという過酷な環境で、従来の非力なエンジンではこれに対応できなかったからといわれています。

 キハ53 500番代では、エンジンを2機装備しているということで、これに対応しました。キハ40では、強力なエンジンに換装することで、過酷な環境のもとでも運転できるようにしたのです。

 ここに写るキハ40はどちらも苗穂運転所の所属でした。右側に写るキハ40は、側扉が地色である白色に塗装されているので、札幌と石狩当別の間を走るキハ40 300番代下記は48 300番代です。そして、左側で貫通扉を開けているのが石狩当別以北の閑散区間で運用されるキハ40 400番代です。

 この頃、札沼線で運用されていた気動車は、すべて苗穂運転所の所属でした。石狩当別以南で運用されている車両は、札幌まで営業列車として運転した後、回送列車として苗穂に戻る運用もできました。

 しかし、400番代は基本的には石狩当別駅に常駐していた。いくら常駐しているといっても、仕業検査や交番検査など、定期的な法定検査を受けなければならず、そのためには苗穂まで戻らなければなりませんでした。

 戻るとなると1両編成の回送列車として走ることが基本となります。ですが、それではあまりにももったいない、ということで石狩当別発、札幌行きの定期列車に組み込み、営業列車として運転した後、ほかの車両たちとともに苗穂へ戻っていたのでした。

 写真は、その苗穂へ戻るための列車に連結する作業を捉えたもの。

 車両の連結や切り離し作業も、夏場なら苦労も少なくて済みそうですが、真冬の北海道ではかなり厳しそうです。実際、この作業を眺めていても、筆者が貨物駅で見てきた(残念ながら、鉄道マン時代は運転系統では なかったので、実習も含めて連結開放の作業経験はない)のとは違い、足下は雪に捕られてしまいブレーキホースを連結させるのも一苦労といった感じでした。

 くわえて、作業に当たっていたのは若い職員で、恐らくは新たに採用されたのか、あるいはほかの職場から異動してきたのか、連結させるためにキハ40を誘導するにしても、ブレーキホースをつなげるにしても、指導役のベテラン職員に叱咤激励をされながらの作業でした。

 一見簡単そうに見える、車両の増結開放の作業。実際にはかなりの危険がともない、ケガをすると一手も腕や脚を失うだけならまだよい方で、最悪は命を落としてしまいかねません。

 ですから、こうした現場での作業では、相当の緊張感とスキルが求められます。そのため、見習期間中は指導役のベテラン職員について多くを学び、時には厳しいご指導もあるというのも、すべては命にかかわるからなのでした。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

#JR北海道 #札沼線 #キハ40