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桜の花が咲き始める頃になると、鉄道は一足先に新年度を迎えます。4月1日から年度が替わりますが、それに先だって3月14日前後にダイヤ改正をするのが恒例になりました。
この時期にダイヤ改正をするのには意味があります。
新年度開始と同時にダイヤ改正をすると、鉄道会社は混乱を起こします。
人事異動で様々な部署の職員が変わり、そこへ列車の運行から乗務員や車両の運用、駅構内などの作業ダイヤ、さらには運転や営業にかかわる規則の細かい変更など、多くのことが「改正」されます。
ですから、4月1日にダイヤ改正をしてしまうと、現場も混乱するきけんがあるのです。
そこで、半月前にダイヤ改正をしておいて、2週間ほど慣らし運転をしてから、4月を迎えるのが定番になりました。また、1年間を通して、この時期は輸送人員が比較的少なめであることも、この時期に行う理由の一つのようです。
筆者(私)は東横線沿線に生まれ、幼い頃から元住吉の車庫にある電車たちを眺めていました。高校も東横線沿線にあったので、ほぼ毎日のように乗っていました。
卒業して貨物会社に入ってからしばらくの間は九州にいましたが、関東に帰ってきて電気区勤務になると、やはり東横線で通勤です。
そんな馴染みのある東横線の終着駅といえば、桜木町駅でした。貨物会社を退職した後、めぐり巡って某電機メーカーに勤めているときは、桜木町駅近くにある超高層ビルが職場だったので、やはり東横線を利用していました。
開業以来、渋谷駅と桜木町駅の間を電車は行ったり来たりして、多くのお客さんを運び続けたのですが、時代とともに沿線の開発も進んでいき、21世紀の初めに大きな転機が訪れました。
それは、みなとみらい線の開業です。
横浜駅から開発著しいみなとみらい地区を抜け、横浜の名所の一つである元町・中華街を結ぶ僅か4.1kmの地下鉄道は、東横線の歴史に大きなインパクトを与えます。
2003年2月1日、みなとみらい線の開業で、東横線の横浜駅-桜木町駅間は廃止となったのです。
それに先だって、前日の2003年1月31日には東白楽駅-反町駅間にある高架線から地下線への切換工事が行われました。工事そのものは1月31日の早朝には終わり、線路も地下線へとつながっていました。
開業は翌日ですが、列車の運転は既に地下線へと変わっていたのです。
この1月31日の運転では、様々なことが行われたようです。機器の調整や乗務員の習熟訓練などなど、新線開業でしなければならないことを、たった一日でこなすというなんともハードなもの。
しかし、一方では利用するお客さんもいるので、列車を止めるわけにも行きません。そこで、この日1日に限って、東横線は横浜駅で営業運転を取り止め、列車と乗務員はそのままみなとみらい線へと入っていき習熟訓練を行うことになりました。
このようなことが背景になり、この日1日だけ東横線は「横浜行き」が走ったのでした。
長年慣れ親しんできた東横線が、まさかの横浜止まり。それもたった1日だけとはいえ、終日の運転とはあまり聞いたことがありません。
使い慣れたホームに降り立つと、やって来たのは「横浜」の表示を出した列車たちです。真冬の午後の太陽を浴びて、コルゲート板特有の輝きを放った8000系は、いわゆる「歌舞伎顔」。方向幕はLEDではなく幕でしたが、よくもこのようなコマが用意されていたとは、少々驚きでした。
写真をご覧いただいてもお分かりのように、元住吉駅はこの当時は地上駅。ですが、ホームはご覧の通り仮設状態で、工事の真っ只中でした。
これは、目黒線の武蔵小杉駅-日吉駅間の延伸工事。のちに、この仮設ホームは撤去されて、この場所の上には東横線の高架が通されます。そして、写真の場所には目黒線の高架とそこから分かれた元住吉検車区への入出区線がつくられました。
次にやって来たのは、9000系。写真の9010Fは二次型に属するグループで、側面のビートの処理が一次型と若干異なります。
9000系はこの時代でも方向幕は幕式でしたが、同様に「横浜」の表示がされています。そして、列車種別は「特急」でした。
同じ幕式でも、8000系の細長いものとは異なり、前面上部中央に大きめとなった行先には、ローマ字でルビも振られていました。ちょっとした違和感もありましたが、これはこれである意味新鮮でした。
もちろん、特急なので元住吉駅は通過。直線区間で速度も稼げるので、あまり速度を落とさないで通過していきました。
物心ついたときから元住吉で銀色の輝きを放つ電車たちを見て育った筆者にとって、そして高校時代を始め若かりし頃に通勤・通学で乗った東横線の終着駅は「桜木町」しかありませんでした。
それが、東白楽以南の地下化のため、たった1日限定でしたが「横浜」行きとなり、翌日からは東横線の終着駅は横浜駅となり、「元町・中華街」という行先に変わりました。
いまなお、この「元町・中華街」という行先には馴染めずにいます。加えて、私鉄のターミナル駅の雰囲気がたっぷりだった起点駅である渋谷駅も、副都心線とのちょ靴運転の開始で地下に潜ってしまい、昔日の面影は失われてしまいました。
それどころか、東横線の起点駅と終着駅はともに単なる通過駅の一つになってしまい、東横線自体も長大な路線を構成する中間にある路線になってしまいました。これは利便性を増したことになるのでしょうが、やはり独立した路線でなくなってしまった違和感というか寂しさがあります。
いずれ、東横線に残る、昔日の面影を訪れてみたいと思いますが、はたして、どのくらい残っているのか、少々不安でもあります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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