旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から クリーム色に塗られたホキ2200

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます

 最近の鉄道車両は、ほとんどが耐候性や耐腐食性に優れ、しかも車両重量が軽量になる金属素材を使うようになりました。その最たるものがステンレスで、いまやメーカーで新製される鉄道車両で、昔ながらの普通鋼製を使っているものなどないほどです。

 例外でいえば機関車や貨車でしょう。機関車はそれ自体が需要が非常に少なく、新造しているのはJR貨物だけです。私鉄向けでいえば名鉄が新型機関車をつくりましたが、あくまで「例外の例外」といえるのではないでしょうか。

 また、貨車もステンレスやアルミ合金といった軽量素材ではつくられていません。これは、重量の重い貨物を載せることが前提のため、車体自体に電車や客車とは比べものにならないくらいの強度が必要だからです。

 そのため、普通鋼に比べて強度が弱い軽量金属は、貨車の車体には向かないのでした。

 ところでその貨車ですが、「標準色」というのがあったのをご存知でしょうか。

 今ではJR貨物のコキ車はブルーかグレーに塗られ、タンク車はグリーンとグレーのツートンカラーだったり、あるいはブルー一色に塗られていたりと、とてもカラフルになりました。加えて、コンテナも色とりどりになったおかげで、貨物列車もかつてのような無味乾燥したものではなくなりました。

 こうなったのは民営化後のことで、かつての国鉄時代は貨車にですら「標準色」が定められていました。

 その色とは・・・「黒」です。

 貨車はどのような用途であっても、そしてどのような構造であっても、必ず「黒」一色に塗られていなければなりませんでした。

 その理由は、かつて蒸機が主役だった時代、機関車から吐き出される煤煙が車体に付着してしまいます。旅客車であれば運用が終わった後に運転区所で車体を洗浄することができますが(それでも完全には落としきれないので、できるだけ煤が目立たない「ぶどう色2号」が標準でした)、貨車は旅客車のような運用ではなく、一部を除いて所属する運転区所などはなく、次の検査がくるまではひたすら貨物を載せて全国を走り回っていました。(このような貨車の運用方法は、今日もJR貨物のコキ車では行われています)

 ですから、車体を「洗ってもらう」などということは、貨車はなかったのです。そのため、煤が車体についてもそのまま運用され続けたので、それが目立たないように「黒」が標準色とされていたのでした。

 

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ホキ2341【札・苫小牧駅常備】 2016年7月24日 北海道三笠市クロフォード公園

 

 ところが、時代は変わって蒸機が姿を消し、電機やディーゼル機が貨物列車の先頭に立つようになると、その必要性も薄らいでいきました。

 なかでも、載せる貨物によっては「黒」であることが不利に働くケースもあったのです。

 ホキ2200のような貨車は、その最たるものだったといえるでしょう。この貨車が載せる貨物は、バラ積みの「穀物」でした。もう少しわかりやすくいえば、小麦やトウモロコシといった粒状の農産物を運んでいたのです。

 農産物なので、当然ですが高温多湿の環境に晒されれば、品質は劣化してしまいます。ともすると、それらは傷んでしまい売り物にもならなくなってしまいます。家畜の飼料にできればまだよさそうですが、傷んでしまったものを家畜に与えることなどできません。そうなれば、傷んだ農産物は「ただの廃棄物」になってしまうので、荷主は国鉄に対して損害賠償を請求することになってしまいます。

  それでは国鉄もマズいと考えたのでしょう、ホキ2200など粒体農産物を運ぶ貨車については、車体の色を「黒」ではなく「クリーム色」に塗ったのでした。この色であれば、常に日の当たるところに置かれる環境であっても、「黒」に比べれば日光の熱を吸収しにくくなります。貨車自体も高温にはなりにくくなり、積荷の麦やトウモロコシも傷みにくくなるのでした。

 この後、というわけではないのでしょうが、国鉄の貨車も「黒」一色から徐々に違う色を身に纏うものが出てきます。最も多くみかけたのは、恐らくパレット荷役に適合させたワム80000の「とび色」ではないでしょうか。この色は、国鉄時代につくられたコンテナ貨車(コキ5500、コキ50000)にも使われていたので、つい最近まで存在していたのです。

 

 余談ですが、筆者が貨物会社に入った頃、鉄道貨物の主役はコンテナになっていましたが、その一方で国鉄時代と変わらない車扱輸送も多く残っていました。

 筆者がホキ2200を間近に見たのは、高島線(東海道貨物支線の一つ)の新興駅から大黒ふ頭方面へ延びる通称「三地区」と呼ばれた構内側線(もともとは、民営化後の「新興駅」は「入江駅」であり、「新興駅」は大黒ふ頭近くまで伸びていた貨物支線の終着駅でした。1985年3月14日のダイヤ改正で「入江駅」を「新興駅」と改称し、貨物支線は「新興駅」の構内側線の扱いになり、もともとの「新興駅」を含めた側線は「新興三地区」と呼ばれ、2000年頃まで存続していました。)をDE10に牽かれていた姿でした。

 

f:id:norichika583:20200823164502j:plain▲新興駅は赤丸で囲ったところにあり、高島線上にあることがわかる。桜木町方には小規模ながらも発着線を備えていた。ここから下方へ伸びる単線線路が見えるが、かつては新興線と呼ばれた支線で、運河を渡って右側へと伸びている。写真では見にくいが、左下の緑色で囲ったところが食糧庁神奈川農政事務所横浜サイロがあり、ここからホキ2200に積み込まれた輸入穀物などが発送されていた。(国土地理院地図・空中写真サービスより引用作成 1988年撮影)

 

 この構内側線には、日本石油精製や昭和電工、横浜中央卸売市場食肉試乗などの専用線が伸びており、食糧庁神奈川農政事務所の横浜サイロがあり、ここから穀物類がホキ2200に積み込まれて発送されていました。

 入社後、鉄道貨物は「コンテナ化」したと教えられていた筆者は、北九州の門司での研修期間中にはコンテナ貨物を中心に学んでいたので、既に「全部廃止されていた」と思い込んでいたこともあって、ホキ2200が国鉄時代の貨物列車同様に走る姿を見て、呆気にとられてしまったのを今も思い出します。

 新興駅はコンテナ貨物の取扱いはなく、車扱貨物が中心だったので、1990年代の初め頃はこのような物資別適合貨車がたくさん集まっていました。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#貨車 #貨物列車 #国鉄 #JR貨物