旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 姿変えても50年以上物流を支え続けるDD13【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 鉄道車両の寿命は車種や用途、設計、運用状況などにより大きく異なります。例えば常に高速で長距離運用をこなし続ける新幹線電車は、その寿命は10年から10数年程度と短いことで知られています。一方で、低速で短距離運用に就く路面電車は車齢が既に50年以上、ともすると70年近くも運用され続けているものもあるほどです。

 もっとも、これら長寿となる車両の多くは、頑強な構造設計がなされていることと、走行機器も時代とともに更新されるなど行き届いた保守がされていることで実現できることです。頑強な構造設計は製造当時、車両の製造技術が今日ほど発達していなかった時代に、やむにやまれず採用されていた旧来の手法であった頃の副産物で、当然車両の重量も重くなってしまう傾向がありました。

 例えば国鉄10系客車セミモノコック構造を採用したことで、軽量化を実現しました。しかし、軽量化しすぎた結果、車両の老朽化が早く進んでしまい、先に製造されたスハ43系よりも早く淘汰の対象となり、今日では営業運転に使用されているものはありません。

 一方で、旧来の設計である重量客車のスハ43系は、廃車になった10系の後を埋め、しかも動態保存として2021年現在も多数が営業運転に使用されていることからも分かるように、最新の技術でつくられた車両よりも、古い設計の車両の方が頑強であることがわかります。

 国鉄初の量産液体式ディーゼル機関車であるDD13も、その一例としてみることができるでしょう。エンジン出力と軸重の関係で、大規模操車場における重入換運用には不向きとされてしまいましたが、国鉄分割民営化まで数多くが貨物取扱駅や支線区で運用され続けるなど重宝されていました。残念ながら新会社への継承はなく、1両も継承されることもなく余剰廃車となってしまいましたが、そのうちの何両かはその小型な車体と使い勝手の良さから、臨海鉄道をはじめ地方私鉄に譲渡されて生きながらえているものもあります。

今回の写真は、名古屋貨物ターミナル駅で入換仕業をこなしている、名古屋臨海鉄道のSD552の16号機です。

 

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名古屋貨物ターミナル駅で入換運用に就く、名古屋臨海鉄道DD552 16号機。一見すると国鉄DD13と同じスタイルだが、ラジエタールーバーの大きさや配置、運転台の窓など細部で異なることろもある。国鉄自治体、貨物事業者が出資して設立した臨海鉄道はもちろん、貨物取扱をする地方私鉄にもDD13の同系機が多数導入された。(DD552 16 名古屋貨物ターミナル駅 2014年8月1日 筆者撮影)

 

 臨海鉄道は第三セクター鉄道事業者ですが、国鉄線またはJR線として廃止された鉄道線の受け皿として設立された三セクとは異なり、もっぱら工業地帯に立地する工場と国鉄線を結ぶ貨物輸送のために1960年代に、国鉄地方自治体、そして利用する企業が出資して設立された鉄道事業者です。

 1987年の国鉄分割民営化語は、臨海鉄道の株式をJR貨物が継承して、今日ではJR貨物グループを形成する事業者になっています。そして設立の理由などその性格上、保有する車両はディーゼル機関車が中心で、設立当時は輸送量も少なく可能な限りイニシャルコストを軽減するために、B級小型ディーゼル機関車や、DD13と同型車を導入しました。

 最近でこそJRから譲渡されたDE10や、老朽化したDD13同型機を置き換えるために私鉄向けに開発された60トンディーゼル機関車や、さらにはJR貨物が開発したDD200も導入され始めていますが、やはり今日でもその主力はDD13同型機といってもいいでしょう。

 名古屋臨海鉄道には数多くの同型機が在籍しています。筆者が名古屋貨物ターミナル駅を訪れたのは2014年8月で、このときもDD13と同じ形のディーゼル機関車がコンテナ車の入換に勤しんでいました。ただ、一見すると「ああ、DD13ね」と思われる方も多いと思います。筆者も、ぱっと見ではDD13だと思っていました。名古屋貨物ターミナル駅を訪れたときに、入換で構内を行き来する姿はまさにDD13そのもので、エンジンの音もさほど変わらなかったと感じたほどです。

 しかし、この写真をよく見ると、意外にも多くの「違い」が発見できました。

 まず一番最初に気づくのは、キャブの前面窓でしょう。DD13は両側に中へ入る扉があり、小さな窓が中央の排気煙突を挟んで1個ずつ並んでいます。ところが、ND552 16号機は正面から見て左側の窓が、DD13とは異なり長い1枚窓になっていて、片側だけDD51のような面構えになっているのです。

 その他にも、ボンネット車端部の冷却用ラジエターのフィンが、DD13のものに比べて縦方向に長くなっています。ほかにも、ボンネット側面の給気口のフィンが、DD13であれば横長のものが上の方に1列に並んでいるのに対し、16号機は縦型のものが点検扉に2つずつ並んでいたり、手摺がなかったりするなど細かいですが異なる部分がいくつも見られました。

 これは、16号機が更新工事を受けたときに、車体を別の機関車と振り替えたために、こうした変形機になったのでした。車体の種車は北海道にあった苫小牧港開発という会社が保有していた56トン級ディーゼル機関車でした。

 この会社名からは想像し難くなってしまいましたが、かつては貨物専業の鉄道事業を営む鉄道事業者で、出資はやはり国鉄地方自治体、そして利用企業などでした。今日では鉄道事業は廃止してしまいましたが、主要株主の中にJR貨物が名を連ねているので、いわば関連企業の一つともいえるでしょう。

 

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小坂精錬保有したDD13は国鉄DD13と同系機で一見すると国鉄機とほぼ同じスタイルだが、自社の運用実態に合わせた仕様に変更している。運転台機器は本線運用に適した枕木方向への位置や、機関士席側の窓は出入口を廃して横長の1枚窓とDD51の意匠に近くなるなど、細かい変化を加えて導入した臨海鉄道や地方私鉄が多数あった。名臨のDD552 16号機が更新車体として譲受した苫小牧港開発のD56もまた、DD13の同系機であったが、小坂精錬DD13のように車体は細かく変化していた。

(©まも (Mamo), Public domain 出典: Wikimedia Commons)

 

 この苫小牧港開発が廃線まで使い続けた機関車は、56トン級のディーゼル機関車で、形式名はD5600という名称でした。国鉄のDD13を基本とした凸型のセンターキャブの車体をもつ機関車で、前頭部の前部標識灯は丸形ですが、ND552 16号機のところでもお話したように、運転台でない方の窓は横長の一体型になって、DD51の意匠に通じる形になっていました。

 また、苫小牧港開発のD5600は、その名が示すように機関車の自重は56トンでした。多くの私鉄や臨海鉄道が導入した

 D5600はこのように、DD13を基本とはしているものの、まったくの同型機ではなく、類似した同系列の機関車といっていいでしょう。苫小牧港開発が保有した車両の他に、各地の臨海鉄道が保有したディーゼル機関車には、例えば神奈川臨海鉄道のDD55のように一見するとDD13に見えるが異なる仕様の機関車が多く採用されました。

 苫小牧港開発のD5600もそうした機関車の一つでしたが、1998年に貨物の取扱量が激減したことで、保有していた鉄道線の営業を休止してしまったことで余剰と化し、D5604とD5605が名古屋臨海鉄道に譲渡されたのです。

 その譲渡されたD5605の車体などを活用して、DD552 16号機の更新工事が1998年に行われ、現在のような姿になったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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