旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 姿変えても50年以上物流を支え続けるDD13【2】

広告

《前回のつづきから》

blog.railroad-traveler.info

 

 DD552 16号機は国鉄から譲渡されたDD13 306号機でした。

 DD13は言わずとしれた本格的な国産液体式ディーゼル機関車で、国鉄におけるディーゼル機関車の礎を築いた機関車です。開発当初は出力370PSのDML30Sを2基搭載した凸型のセンターキャブ構造の車体を持ち、操車場における入換や小運転を目的に量産されました。途中、111号機で出力を500PSに強化したDML30SBに変更し、機関出力の強化によって排熱をより強力な構造へと変えたことで、車体の特にボンネット部分は前頭部に1基備えたラジエターを側面2基に変え、冷却用の送風ファンもボンネット上部に移設、前部標識灯も白熱灯1個からシールドビーム灯2個になるなど、外観は別形式といってもいいほど大きく変化しました。

 この他にも様々な新機軸を導入した施策的要素の強い車両でしたが、実際の運用でハンドルを握る機関士からの意見から、続く112号機からの改良量産車では不採用になったものもありましたが、出力を強化したエンジンと冷却系は111号機で採用されたものを引き継いでいました。

 

f:id:norichika583:20200428171658j:plain

名古屋貨物ターミナル駅で入換運用に就くND552 15は、元はDD13 225で国鉄分割民営化を目前にした1986年12月に名古屋臨海鉄道に譲渡された。他にも国鉄から名臨に譲渡されたDD13はあったが、2021年現在、譲渡機は13と15、そして16の3両のみとなり、国鉄時代の姿を留めているのはこの15号機のみにになってしまった。DD13 225は基本番台の一員であるが、改良形の試作機ともいえる111号機から搭載された出力500PSのDML31SBを2基としたことで、機関車全体の出力は1,000PSとなった。また、冷却系も強化されたためボンネット上部に冷却ファンを装備し、前部標識灯もシールドビーム灯2個になり、110号機までの印象と大きく異なった。DD13そのものが民営化により多くが廃車となり、臨海鉄道や地方私鉄に譲渡された小数の車両も次々と廃車になっていった中で、数少ないDD13の姿を伝える貴重な1両となってしまった。(ND552 15(元DD13 225) 名古屋貨物ターミナル駅 2014年8月1日 筆者撮影)

 

 エンジン出力を強化したことで、一応の成功を見た基本番台改良量産機は、264号機まで製造されましたが、さらに運用コストの軽減を目指して、減速機の歯車をDD51と共通の部品に変更し、これに合わせて台車にも改良が加えられたDT113Eになったことで、在来車と区分された300番代へと製造が移行しました。

 306号機は300番代の1両として、1966年に日立製作所で製造・落成しました。新製配置は稲沢第一機関区で、名古屋地区の貨物取扱駅での入換などに使われます。東海道本線笹島駅稲沢操車場などで活躍したと思われますが、新製配置されて以来、多くな動きもありませんでした。1982年になり初めての配置転換となって静岡運転所へと異動になりますが、異動後も稲沢一区と同様に貨物駅での入換などに使用されました。

 しかし静岡所時代は長くは続きませんでした。1987年の国鉄分割民営化では、機関車を多く必要とするのは貨物会社となっていましたが、すでにこの頃の鉄道貨物輸送はトラックにシェアを奪われて低迷し、移行後の経営基盤は脆弱であることが想定されていました。そのため、必要とされる機関車の数も必要最小限に抑える方針になり、ディーゼル機関車は本線用のDD51と、汎用性が高く支線区と入換用のDE10に絞られました。DD51は、主に500番代重連形と800番代、DE10は出力増強型の1000番代と1500番代が継承することにされました。

 この二つの車種が選ばれたのは、様々な理由が挙げられますが、その一つにどちらも1,350PSの出力を持つDML61ZBを装備するため、補修用の部品が共有できることが考えられるでしょう。

 実際に、筆者はDD51の台車検査と、DE10の臨時検査に携わったことがありますが、どちらも同じ形式のエンジンを装備しているため、担当する車両係は1つのエンジンについての技術と知識を習得していればよく、また使われる部品も同じものでした。複数の形式のものを維持するとその分だけ人材の育成しなければなりませんし、部品も形式ごとに用意しなければなりません。このことは運用コストの増大を招いてしまいます。

 こうした事情と、そもそもDD13が機関車全体で出力が1,000PSに留まり、重量級の貨車の入換には不適であったことから、多くの他の僚機と同様に新会社への継承はなく、残念ながら国鉄の解体と運命をともにするように、306号機は分割民営化直前の1987年3月に余剰車として廃車になっていくのでした。

 通常、鉄道車両は廃車の手続きがされると、そのほとんどは解体処分されるのが既定の運命でしたが、306号機は国鉄では廃車の手続きが取られたあと、国鉄の出資で設立された名古屋臨海鉄道に1987年3月に譲渡されたのです。

 名古屋臨海鉄道に移籍した306号機は、ND552 16号機として車籍が登録されて、それ以後は国鉄(後にJR貨物)から受託した名古屋貨物ターミナル駅の入換作業を中心に活躍しました。

 しかし移籍した時点で、製造からすでに車齢は21年にも達しており、国鉄時代に酷使されたこともあって、老朽化も進んでいました。そこで、廃止になった苫小牧開発鉄道線のD5605を譲受した車体を利用して、16号機を更新したことによって写真のような姿になったのでした。

 更新工事を受けたあとも、国鉄からやってきた僚機とともに名古屋貨物ターミナル駅の入換仕業をこなす日々を送っています。塗装も国鉄ディーゼル機標準色であるねずみ色と朱色に白帯を巻いた姿ですが、やはり車体のデザインは国鉄機と僅かに異なるので、私鉄機らしい姿です。

 近年は同じく国鉄からやってきた僚機が老朽化と整理による廃車になっていく中、同じく車体更新を受けた13号機(DD13 308)と、国鉄時代の姿を今なお残している15号機、そして16号機の3両だけは廃車を免れて活躍を続けています。

 しかしながら、種車となったDD13 306号機として製造されてから既に50年近くが経ち、入換という短距離ながらも重量貨車を牽いたり押したりする過酷な仕業を繰り返してきたため、その老朽化は否めません。名古屋臨海鉄道には新形の60トン級ディーゼル機であるDD60の導入も始まり、さらには同じ臨海鉄道である千葉や水島にはJR貨物が開発史た次世代ディーゼル機であるDD200の導入も始まっています。小型で主機関を2基装備したDD13系列は検修にも手間がかかることや、古いDML31Sの維持するための部品確保も難しくなるでしょう。そうなると、いずれはDD60あるいはDD200に置き換えられていくことは想像に難くないといえます。

 ところで、この写真をよく見ると、前面窓の下にあるハッチが僅かに開いているのが見えると思います。これは単なる閉め忘れではなく、わざと開けているのです。走行する鉄道車両の扉を開けっ放しにするなんてと思われるかもしれませんが、これも夏季における暑さ対策なのです。

 ディーゼル機関車はその構造上、両端のボンネット内にエンジンを搭載し、それに挟み込まれるように運転台のあるキャブが置かれています。DML30系列のエンジンが国鉄制式エンジンでは小型の部類に入るとはいえ、トラックや小型船舶のエンジンと比べると巨大なものです。このエンジンから発する熱はかなりのものがあり、冬場であればキャブを温めてくれますが、夏はそうは行きません。加えて国鉄ディーゼル機で冷房装置を装備したのはDE11 2000番代のたった4両のみで、あとは非冷房のままでした。

 実際、筆者も入換仕業につくDE10に添乗したことがありますが、90年代前半の頃でさえ6月は暑く、冷房装置がなく、膨大な熱を発する巨大なエンジンから出される熱が、機関車の運転台をさらに暑くするので汗だくになって仕事を覚えようと必死でした。将来機関士になったら、DL機関士にはなりたくないなどと思いながら、支給されたばかりのブルーのシャツは汗びっしょりになり、寮に持ち帰って洗濯しなければならないほどでした。

 写真を撮影したのは2014年8月で、近年は異常ともいえるほど暑い夏になりました。ただでさえ気温が高くて暑いところへ、ディーゼルエンジンから排出される熱がキャブを包み込んみ、冷房装置もないために室内の温度は想像を絶する暑さであることは容易に想像できます。機関士も暑さ対策のために、やむにやまれず窓だけでなく出入口になる扉を全開放にして業務をこなさざるを得ないのです。

 

f:id:norichika583:20211015235419j:plain

ND552 16は、国鉄分割民営化直前の1987年3月に名古屋臨海鉄道に譲渡された元DD13 305であった。同時期に名臨にやってきた僚機たちは、基本番台と300番代とが一緒であったために、台車を中心に共通した部品が使われていない部分があり、検修にあたっては煩雑になったこともあったと想像できる。しかし、僅かながらも異なる車両を名臨はよく維持管理し運用してきたといえる。16号機は車体更新を受けたことで、国鉄時代の姿とは異なってしまったものの、今となっては数少ないDD13ファミリーの1両であることに変わりはない。国鉄時代は貨物駅などを中心に入換運用に使われていたが、貨物会社にはDE10がその役を担うべく継承されたが、DD13は1両も継承されなかった。軸重など性能面でDE10の方が有利ではあるが、中型機であるが故に臨海鉄道のような小規模の鉄道事業者にとっては使い勝手があまりよくなかったのであろう。DD13は小型機であることで、多くの臨海鉄道や地方私鉄に好まれて使われ続けた。(ND552 16(元DD13 305) 名古屋貨物ターミナル駅 2014年8月1日 筆者撮影)

 

 こうした後継も、いずれ新形機に置き換えられれば姿を消すことでしょう。乗務する機関士の執務環境は大幅に改善されることは間違いありませんが、それは我が国のディーゼル機の礎を築いたDD13がまた一つ、姿を消すことになるのです。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info