《前回のつづきから》
京阪神に225系が投入され、押し出された223系が福知山線などに配転し、周辺都市の線区の置き換えがほぼ終わった2014年に、JR西日本はようやく重い腰を上げて広島地区に227系を新造して投入しました。
広島都市圏や広島以西で運用されていた113系・115系は227系に追われる形で、一部は老朽化のために廃車になりましたが、廃車を免れた車両たちは新型への置き換え計画がなかった岡山地区へ転じていきました。
京阪神をはじめとした関西圏の113系など国鉄形を新型車でほぼ置き換えたものの、山陽本線には依然として多くの国鉄形が残存していた。特に広島支社管内の113・115系は老朽化が激しく、補修もままならない状態にまでなっていた。車両自体の安全性能を高める必要もあり、2015年になってようやく広島地区に新型車を投入するに至った。1987年の国鉄分割民営化から既に30年近くになっていた時期で、いかにJR西日本の財政事情が厳しいかを物語るものと推測できる。227系の投入によって比較的状態のよい国鉄形は岡山や下関へ押し出されるように配置転換されていった。(クモハ227-38〔広ヒロ〕 宮島口駅 2017年7月17日 筆者撮影)
2021年現在も、岡山地区では黄色一色に塗られた国鉄形が走り続けています。言い換えれば、岡山地区は国鉄形にとって最後の「砦」となり、使い古されながらも老体に鞭打って、事実上、最後の活躍を続けています。
筆者が2018年に岡山を訪れたときは、岡山駅にやってくる車両はどれも黄色の国鉄形で、いわゆる「東海形」とも呼ばれる丸みを帯びた貫通扉のある前面は、その色と形からどことなく締まりのない坊主頭のような印象を拭えませんでした。
運用する線区の利用状況などを考慮して、113系や115系は短編成化の改造を受けた車両もあった。写真のクモハ115はモハ115に運転台を取り付けた先頭車化改造を受けたものであるが、国鉄時代に施工されたため新製された先頭部を切り接ぎする工法を採用したため、在来の先頭車と形状は変わりなかった。民営化後、長期に渡る運用を見越して体質改善工事を施されたため、客室窓のサッシや前面窓の支持枠はオリジナルのものでない。また、屋根部の雨樋も埋込式になったため、一見すると張り上げ屋根のようにも見えるほか、一部の戸袋窓は埋められたため僅かに印象が異なる。(クモハ115-1518〔岡オカ〕 岡山駅 2017年5月27日 筆者撮影)
さて、岡山駅で撮影した写真は、伯備線を走ってきた115系が入ってくる姿を捉えたものです。115系の前面デザインと、これでもかというくらいに濃厚な黄色一色の塗装は、かつて湘南色や横須賀色に塗られた113系に見慣れていたせいか、なんともいえぬ物足りなさを感じるのは筆者だけでしょうか。
さすがに色を塗り替えただけでは、見た目の古めかしさや車両自体の老朽化を隠すことはできません。先頭と最後尾につなげられたクハは、JR西日本独自の更新工事である体質改善N40を施されています。
この体質改善はかなり大掛かりなもので、車体外板は腐食部を中心に一部をステンレス化し、雨樋もステンレス鋼に交換した上で埋め込み型にするなど、長期の使用を想定したものでした。特に雨樋の埋め込み型への改造は外観も大きく変え、どことなく張り上げ屋根に似ている外観になりました。
同じ体質改善工事を受けた車両でも、施工時期によってメニューが異なっていた。写真のクハ115-1220は、体質改善N30を受けたため客室窓のサッシは変更されず、ほぼオリジナルの状態になった。また、戸袋窓や雨樋の埋込はされなかったため、原形に近い状態になった。ただし、前面窓の支持はHゴムから金属支持に替えられ、窓ガラスもオリジナルの曲面部と平面部に分割された2枚から、1枚の曲面ガラスになった。撮影した2017年当時、この車両はJR西日本岡山支社の「吉備の国 くまなく旅じ隊」キャンペーンのラッピングが施されていた。(クハ115-1220〔岡オカ〕 倉敷駅 2017年5月27日 筆者撮影)
客室窓も上段下降下段上昇のユニット窓から、上段上昇下段固定のユニット窓へ交換され、車端部のマドについては固定窓へ替えられました。この新しいユニット窓の窓枠は、アルミニウム合金製ですが窓枠自体が太めになったことで、印象を大きく替えました。この部分だけを見ると、まるで別の車両のように見違えた用に見えます。
客室内にも徹底的なリニューアルが施されました。国鉄時代はドア間に固定式ボックスシートを2個、戸袋部はロングシートのセミクロスシートでした。この更新工事では、これらの座席をすべて撤去した上で、223系に使われているものと同じ転換式クロスシートへ交換されました。内装の壁や床も張り替えられたことで、車内は223系並に大きく変化し、車両自体は古いものの接客設備などは新車並みに誂え直したのです。
こうした延命工事が投じたコストに見合うかは別ですが、車両を新造せずに一応の面目を保ちつつ、サービス水準を向上させることはできたでしょう。実際に乗ったときも、国鉄形の特徴はほとんど無いに等しく、新世代の車両と思えるほど見違えたものでした。
この更新工事、体質改善N40の「N40」は、使用する寿命を40年に想定したものだといわれています。すなわち、製造から車齢が40年を超える頃まで使い続けることを想定したものです。これはJR西日本が、古い国鉄形を長期間に渡って使い続けなければ、車両自体の置き換えが難しいことを示したと言えるでしょう。
岡山電車区には115系の他、113系や117系が配置されている。写真のクハ111-2113は、国鉄時代に113系の客室設備を改善した増備車である2000番代として製造されたが、体質改善工事N40の施工を受けるまでは、ほぼオリジナルの状態で活躍していた。前述のクハ115-1518と同様の工事を受けたことで、客室窓のサッシや固定窓の支持方式が変わり、雨樋も埋込式になるなど外観は変化している。ただし、戸袋窓の埋込は行われなかったので、窓配置自体は変化がない。1978年に製造された2113号車は、網干に新製配置され、民営化によってJR西日本へ継承された。その後、京阪神の東海道・山陽線の運転速度向上のため、高速化改造工事を受けたことで原番+5000の改番がなされ、7113号車となった。さらにてこ比の変更改造を受けたことで7503号車となったが、2012年に広島へ配置転換担った際に高速化を解除されて、元も番号である2113号車へと戻った。このように、JR西日本の高速化施策によって番号がめまぐるしく変えられた車両は多くあった。しかし、そもそもが国鉄では高速運転を見越しての設計ではなかったため、ピッチングが激しくなるなど弊害の方が多く、JR西日本の高速化傾倒の方針は、車両や軌道への影響を考えると筆者としては安全性に関しての疑問を持たざるを得ない。(クハ111-2113〔岡オカ〕 倉敷駅 2017年5月27日 筆者撮影)
さすがに体質改善N40は新車並みへの更新工事であるためその費用も高価であったため、中間の2両は一部の工事を省略または簡略にした体質改善30Nへと替えられました。外観も雨樋部や客室窓の窓枠も従来のままになるなど、さほど大きな変化はなくなったため、このように混結をすると外観美が多少なりとも損なわれるようになってしまったのです。
かつての旧型国電ではよくあることで、73系であれば全金属車でノーシル・ノーヘッダーの滑らかな車体と、63系から改造された古めかしい車両が混在することはよくありました。近年ではこうした混結はほとんど見られなくなったので、このような車両の組成は、車体の塗装を一色にしたことも考えると、国鉄の末期にみられた様相を21世紀に再現させてしまっていると考えられるのです。それだけ、JR西日本を取り巻く状況は厳しいことの証左と言えるでしょう。
また、車両の更新工事によって当座は使用に耐えうるとはいえ、それは根本的な解決ではないといえます。趣味者としては、国鉄形が長く走り続けてくれることは嬉しいことですが、現実問題として、経営的に見ればそれはその場凌ぎであると言えます。
車体価格が例えば1両あたり2億円だとして、車両更新が1両あたり5,000万円だとすれば、確かにに4両分は賄えます(実際の金額はもっと異なるとは思いますが)。しかし古い車両であるがゆえに、運用コストが年間1,000万円だとして、新車はその7割程度の700万円と仮定すれば、4両編成で1年あたり更新車は4,000万円、新車は2,800万円となり、その差額は1,200万円になります。5年後には6,000万円、10年後には1億2000万円の差額になり、結局は新車を少しずつ投じていくほうが相対的にコストの軽減に繋がったと考えられるのです。
経営判断なので一概にどれが正しいとはいえませんが、いずれにしても古い車両を使い続けることのメリットとデメリットは相応にあることは間違いなく、加えて新たに交換したり追加したりした装備品は、あまり長期に渡って使われることもなく最終的には廃棄されてしまうことを考えると、昨今の地球環境への負担などに対しては有利であったとはいえないでしょう。
また、車両自体の安全性能も変化しています。もっとも、国鉄時代に製造された車両は普通鋼製であり、比較的長期に渡って使い続けることを想定しているので、今日の軽量構造の車両と比べれば頑丈な造りになっていると思われます。しかし、経年による劣化は避けられないので、強度などはそれなりに低下していることを考慮する必要があるでしょう。
いずれにしても、製造から既に40年以上が経った車両が多く、吉備路を走り続ける国鉄形の113系・115系も近い将来、新車に置き換わることは避けられません。塗装こそ、如何ともし難い「真っ黄色」にされてしまって見た目は残念ですが、国鉄時代の「画一的」な形状を今に伝える貴重な存在であることは間違いありません。
製造から既に40年以上を経た車両が多く、塗装を変えただけでは老朽化の進行は抑えられない。趣味者にとってはこの古き良き車両たちがこれからも長きにわたって活躍してほしいことを願うものだが、通勤や通学などで利用する地元の人々にとっては、この使い古された車両よりは新しく快適な車両を投じてほしいものだと予想できる。抵抗制御で普通鋼製の車体をもつこれらの車両は、経済面でもコストがかかるなど不利な面もあり、いずれかの時期には新型車への置換えが始められるだろう。事実、この記事を執筆している最中の2021年に11月18日に、JR西日本は岡山地区に227系をベースにした新車を投入することを報道発表しており、同社としてもいつまでもこの古い車両を使い続けるのは得策ではないという認識を持っていたようだ。しかし、2020年初頭から起こった新型コロナウイルスのパンデミックによって、人々の往来は減り、社会生活の急激な変化によって、パンデミック収束後にもとに戻る保証はなく、今後の動向は注目されるところであろう。(2017年5月27日 岡山駅 筆者撮影)
広島地区に227系が入り残存した国鉄形を置き換え、さらに和歌山地区の105系も227系1000番代への置き換えが終わった今となっては、岡山地区と下関地区に残った国鉄形が置き換えの対象になっていきます。その時、京阪神から押し出された車両が配転されてくるのか、まったくの新しい新車が配置されてくるのかはわかりませんが、その日まで無事故で走り続けてほしいと願うばかりです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あわせてお読みいただきたい…