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普通鋼でできた国鉄型車両も、21世紀も20年が経った2020年には多くが姿を消し、JR西日本で運用される113・115系などと、JR東日本の185系ぐらいになってしまいました。
普通鋼は経年とともに劣化してしまい、車体も塗装しなければなりません。ステンレス鋼のように塗装を省略できれば、保守にかかるコストを軽減できますが、それでは色も素っ気もないなんて思うのは筆者だけでしょうか。
113系や115系の多くは、黄かん色と濃緑色で塗られた「湘南色」を身に纏っています。湘南色はその名の通り、東海道本線の東京近郊で走り始めた80系が最初で、湘南を走る電車のカラーということでこの塗装の名前がついたといいます。
ですが、湘南から遠く離れた地域でも、この塗装を身に纏った電車が往来していたのはそれなりに理由があるとは思われます。
クリーム色と青15号で塗られた「スカ色」というのもありました。
スカ色とはその名の通り「横須賀色」のことで、こちらは横須賀線を走る70系が最初で、その後中距離を走る旧型国電の多くがこのスカ色を身に纏っていました。しかし、113系や115系ではあまり広く使われず、横須賀線と一体的な運転系統を形成している房総各線の113系と、中央本線の塩尻以東の115系だけでした。
さて、こちらの写真は2004年夏に大月駅で撮影したものです。
この頃はすでにスカ色の本家である横須賀線からは113系は退き、房総各線でしか見ることができませんでした。115系はといえば、そもそもスカ色自体が中央東線だけで採用されたので、ある意味では貴重な存在だったといえます。
筆者が鉄道マン時代に八王子駅構内で作業をしていると、八王子以西に向かう多くの列車を見ることができましたが、多くはリニューアルされて塗装が変わってしまった183系「あずさ」や「かいじ」でした。その中で、数こそ少なかったのですが、この115系も見ることができました。
今では大月方面へ向かう普通列車は高尾駅発着のみで、東京から直通するのは早朝深夜のE233系ぐらいです。1992年頃はまだ立川発着の列車が残っていたので、八王子駅をスカ色の115系が走っていく姿を見ることができたのでした。
ところで大月方面へ向かう115系のことを「山電」と呼んでいました。この呼び方は鉄道マン同士だけではなく、ファンの方の一部も呼んでいたと思われます。理由は高尾以西は勾配が厳しくなり、列車が山を登っていくのでこのような名前がつけられたと思われます。
そのスカ色を身に纏った山電の元祖は70系にまでたどることができます。115系は勾配線区での運用を前提としていたので、抑速ブレーキを装備するなどこれに特化した仕様でした。
しかし70系は吊り掛け駆動の旧性能車である上、ブレーキは昔ながらの自動空気ブレーキを改良して応答性をよくした電磁自動空気ブレーキでした。改良したとはいっても、操作そのものは昔から変わらない方法であったため、70系に乗務していた運転士の苦労は計り知れません。
多くの旅人を乗せて、隘路である信州路を走り抜けたスカ色の「山電」たちは、残念ながら過去のものとなってしまいました。後継となる211系は、スカ色ではなく新信州色の帯を巻いていますが、その伝統は受け継いでいくことでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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