旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【5】

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《前回のつづきから》

 2016年、DE11 2000番代は新製配置された古巣の新鶴見機関区へ配置転換となりました。これは、川崎派出の廃止によるもので、書類上の配置転換といっていいでしょう。検査時以外は、本来の配置区所である川崎派出に戻ることはほとんどなかったようで、実質的には新鶴見常駐のような扱いになっていました。

 2021年現在、DE11 2000番代は健在です。防音特殊仕様という他に例のない性能をもつディーゼル機は、誕生以来すでに40年以上も走り続けています。僚機だったDE10が次々にHD300やDD200といった新世代の機関車たちに置き換えられる形で姿を消していき、その数を減らしている中で、DE11 2000番代だけは4両とも健在です。

 

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DE11 2001のキャブ部のアップ。運転台機器や配置は基本となったDE10と同じく、進行方向に対して直角で、入換作業のときに進行方向が頻繁に入れ替わることから、機関士の作業性に配慮したものだった。しかし、ボンネットには巨大なV型12気筒エンジンであるDML61ZBがあり、そこから排出される熱は相当なもので、夏季には乗務する機関士にとっては避けがたい負担でもあった。加えて、2000番代は防音構造のために、エンジンを冷却するラジエターが1位側から2位側ボンネットに移され、冷却水の配管が運転台下に引き通されることなった。そのため、ただでさえ熱にさらされているのが、床下からも「加熱」された状態になり、乗務する機関士にとっては過酷な環境になってしまった。実際、DE11 2001に添乗した筆者も、冬場とはいえ床下から靴底を通して「暖かく」感じたもので、福岡貨物ターミナル駅で添乗したDE10とは異なることを感じた。少しでも機関士の執務環境を改善させようと、屋根上に冷風装置が設置された。これにより、多少は楽になったそうだが、民営化後に新製や改造によって冷房装置が搭載された電機にように「冷える」ものではなかったようで、結局は側窓はもちろん、出入口扉も開放しなければならなかったという。(DE11 2001〔新〕 新鶴見信号場 2011年 筆者撮影)

 

 これはあくまでも推測ですが、後継となる機関車が存在しないということが考えられるでしょう。DD200など新世代の機関車への交代も考えられますが、そもそもDE11 2000番代が非常に静粛性の高い防音特殊仕様が施されたのは、住宅地域の中に立地する横浜羽沢駅の存在が大きいといえます。DD200などがどのような大きさの音を出すかは、残念ながら実車を見る機会がなかったのでわかりませんが、電気式になったとはいえ加速時にはそれ相応の大きさのエンジン音が轟くであろうことは容易に想像でき、かつてのディーゼル機よりも音は小さくなったとはいっても、横浜羽沢駅の立地環境からするとそれでも不十分ではないかと考えられます。特に駅に隣接してマンションが建ち、丘陵地には駅を見下ろすように住宅が立ち並んでいることからも、DE11 2000番代のような静粛性は今後も求められるといえるでしょう。

 また、ハイブリット機であるHD300への交代も考えられますが、こちらは本線を自力で回送できないという欠点があげられます。今日、多くの貨物駅で活躍していたDE10をHD300に置き換える例が出てきました。つい最近では、DE11 2000番代の仕事場の一つであった相模貨物駅にも、HD300が運用にはいったと聞いています。しかし、HD300は所属区所と運用する貨物駅の間は、隣接している場合を除いて定期貨物列車などに連結されて改装する「無動力回送」によっておこなわれています。

 機関車を本務機の次位に連結する「無動力回送」は、その貨物列車が停車する駅で、改装されてきた機関車を切り離して運用に就かせる方法です。一見するとわざわざ単機回送列車を仕立てなくてもよいので合理的に見えますが、代わりに本来ならしなくてもよい入換作業を、機関車が運用する駅でおこなわなくてはなりません。その点でも、横浜羽沢駅は運転区所から距離も短く、本務機の次位に連結するよりは、単機で回送するほうがより合理的だと考えられるのです。

 

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DE11 2000番代の1位側ボンネットを見ると、点検用扉以外はほとんど開口部がない「密閉構造」であることがわかる。また、台枠の下には通常なら特徴的な台車が見えるのが、防音スカートのためにまったく見えない。このことが、DE11 2000番代の優れた静粛性を実現させたといっていい。実際に添乗してみると、DE10とは比べものにならないほど静かで、特に加速時にはエンジンが全開になっても、こもったような音がするだけだったし、入換作業を見ていても台車から発する音も抑えられていた。一方で、この防音構造はエンジンの冷却には逆効果で、大量の排熱を伴うDML61ZBを通常型と同様に冷却させるためにはかなりの困難が伴ったという。写真では分かりづらいが、ボンネット上には排熱による陽炎が立っていたが、このことがエンジンからの排熱の凄さを物語っていた。(DE11 2001〔新〕 2011年 新鶴見信号場 筆者撮影)

 

 そして、何よりDE11 2000番代は、その多くが決まった貨物駅での入換運用に充てられたことだといえます。長距離・高速運転はなく、かといって操車場があった時代のように重量が極大な貨車をハンプに押し上げるような重仕業もなく、運転区所との往復は片道30分以内という短距離と、車両が長持ちする要因がいくつも揃っていたのでした。それ故、老朽化はDE10のように進むことがなかったので、少数形式であったにもかかわらず、今日まで4両全部が健在だったのでしょう。

 しかしながら、車齢が40年以上に達したこともあり、今までと同じようなことが続くとは限りません。

 2019年にはDE11 2000番代を開発した要因となった横浜羽沢駅では、駅構内の配線など改良工事がおこなわれ、着発線荷役方式が導入されました。従来は着発線であった場所の一部の線路を撤去してコンテナホームへと変え、到着した列車はすぐに荷役ができるようになりました。このことは、入換作業が減ることを意味し、ひいてはDE11 2000番代の活躍する場が狭められたということなのです。言い換えれば、老朽化を理由に専用機ともいえるDE11 2000番代が姿を消しても、後継の機関車を導入しても入換作業を減らすことで、騒音対策と合理化の両立をねらったものと考えられるでしょう。

 いずれ、DE11 2000番代は姿を消していきます。それはそれで、止め難いことであることは誰もが認めざるを得ないことでしょう。

 しかしながら、国鉄時代に前代未聞の立地で横浜羽沢駅を開業させるため、地域住民の騒音対策のために、徹底した防音対策を施した特殊仕様の機関車を開発したというのは、後にも先にもこのDE11 2000番代だけだといえます。もしも、この駅がなかったら、この防音特殊仕様のディーゼル機は開発されなかったかもしれません。

 住宅に取り囲まれた中にある貨物駅で、ディーゼル機独特の咆哮を上げることなく、言葉通り「黙々」と与えられた仕業こなしてきた「サイレント・ディーゼル機」は、神奈川県を始めとする地域の人々の生活を支え続けてきた、重要な存在といえるでしょう。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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