《前回のつづきから》
東海道新幹線が開業してから8年後の1972年に、山陽新幹線が岡山まで開業しました。東海道新幹線を延伸する形で、国鉄の路線名称では新大阪−新神戸間が東海道本線の、新神戸−岡山間が山陽本線の無名別線という扱いでしたが、一般的には「山陽新幹線」と認識されていました。
この岡山開業では、「ひかり」は東京−岡山間で最短4時間10分で結ばれました。これは、東海道新幹線区間での運転速度を向上させたほか、停車駅を主要駅に絞る速達タイプの列車の設定など、様々な変化によるものでした。
列車の運転距離は長くなっても、到達時間は開業当初の東京−新大阪間よりも20分短いため、この時点では食堂車は導入されませんでした。やはり、6時間を超えなければ、食堂車の連結はできなかったのでしょう。
1972年時点における0系の編成を見ても、「ひかり」用のH編成は16両編成に増加していたものの、食事を提供できる車両は変わらず35形だけで、開業当初と同じ2両を連結していました。「こだま」用の編成に至っては35形を1両連結したのみで、この時点で「こだま」の需要の低さを推測することができます。
しかし、1975年の博多全線開業で状況は一変します。
博多全線開業で、「ひかり」は東京−博多間を通して運転する列車も現れ、最速でも6時間50分で結ばれるようになり、国鉄の食堂車連結基準ともいえた6時間を超えることになりました。これだけの長い時間になると、ビュッフェのままというわけにはいかなくなり、0系に新たな形式が起こされ、本格的な供食設備をもつ全室食堂車となる36形が新製されました。
36形は在来線用の食堂車とほぼ同じ構造で、3分の1を厨房、残り3分の2を食堂室とした構造とされました。厨房には電気レンジが3台備えられ、食材を加熱調理するなど、ビュッフェとは大きく異なり本格的な食事が提供できるようになりました。また、事前に地上基地で下調理された食材を温めるために電子レンジや、使用した食器を洗うための食器洗浄機も備えられ、狭いながらも本格的な厨房設備となりました。
これだけの厨房設備で、ブッフェとは比較にならない本格的な食事を提供できるようになったため、調理にけして欠かすことのできない水の積載量も大容量となりました。床下はもちろんのこと、屋根にもタンクを設置するなど、6時間以上を走り続ける中で食事の提供に差し支えないだけの水を確保していました。
水は調理に使われるだけでなく、使った食器の洗浄にも使われます。食器を洗浄すれば、当然、汚水が出てきます。汚水の量も積載した水の量に比例して大容量になりますが、水の補給には時間がかかるので予め積載しておくので大容量タンクが備えられましたが、汚水タンクは水タンクより小さくならざるを得ませんでした。しかし、食堂車の営業が続いている限り、汚水は次々に出てきてしまいます。小さいタンクなので、たちまち汚水で一杯になってしまうので、名古屋と岡山には食堂車に溜まった汚水を投棄できる設備が備えられていて、下り列車は岡山で、上り列車は名古屋で汚水を排出して対応していました。
食堂室も在来線の食堂車と比べて、大幅に改善されました。そもそも新幹線車両は、在来線の企画(車両限界)と比べると大きく、車体長は5000mm(5m)、車体幅は500mm(50cm)でした。この大きくなったサイズを使わない手はなく、海側は4人テーブル席を、山側は2人テーブル席を設け、山側には仕切壁を設けて独立した通路とし、食堂車を通り抜ける乗客が食堂室に入らなくて済むようにしました。
しかし、実際に36型が営業運転に就くと、山側に座った乗客から「富士山が見えない」という苦情が入ったため、後にこの壁にも窓を設置して、山側の景色も楽しめるようにしたようです。国鉄としては通り抜けるだけの乗客から、食事をしているところを見られなくても済むようにという配慮だったと考えられますが、その配慮が却って仇になり、結局は窓を設置する改造をしなければならなくなったという、笑うに笑えないエピソードもあったようです。
36形は本格的な厨房設備を備え、電気レンジや電子レンジなど、大量の電源も必要としました。鉄道車両の室内灯や冷房装置といったサービス用電源は、動力用電源とは別に確保する必要があります。現在ではVVVFインバータ制御が主流になったので、この主制御器からサービス用電源を取り出す構造になりましたが、かつては主制御器とは別に電源供給用の機器が必要でした。
新幹線0系電車の食堂車である36形の厨房。電子レンジをはじめとして、多くの厨房器具は電化されている。そのため、厨房の消費電力は新幹線電車の中でもずば抜けて多く、大容量の電動発電機を必要とした。しかし、0系電車はすべて電動車で構成されているため、食堂車である36形も例外なく走行に必要な電気機器を搭載していた。食堂車に必要な大容量水タンクと、排水タンクも搭載しなければならないため、電動発電機は27形に搭載させて、ここから供給を受けていた。36形は27形とユニットを組むことが必須となった。(36-84 リニア・鉄道館 2022年8月3日 筆者撮影)
0系は交流25,000Vの電源で走行しますが、サービス用電源はそれよりも低圧の440Vが使われています。もちろん、このままの電圧で室内の照明に使うことはできないので、変圧器で電圧を200Vまたは100Vに落としていますが、電源設備をもつ車両から他の車両へ送り込むときには、この三相交流440Vの電流なのです。
そんなことをしないで、最初から200Vや100Vに落としておけばいいのではないかと考える方もおられるでしょう。確かに、この電圧のほうがわざわざ変圧器を用意しなくても済むことですし、変圧器自体のコストや検修にかかる手間も省けると考えるのは当然です。しかし、車両と車両の間を引き通しているサービス用電源のジャンパ線のケーブルは細く、同時に多くの車両に供給するためには、電圧が低いとケーブルなどで損失が起きて、必要な量の電流を供給できなくなります。そのため、必要な電圧にするために変圧器が必要なことを承知で、440Vという高めの電圧で供給しているのです。
また、冷房装置などは効率的に作動させるためには、電圧が高い方が有利です。家庭用のエアコンでも、6畳用の小さい物では電源の電圧は100Vですが、16畳用や20畳用などより広い部屋に対応した高出力のものでは200Vの電圧を電源しています。これは100Vでは高い出力に対応できないことや、電圧が高い方が効率的な動作が見込めるためなのです。
ところが36形の厨房には加熱調理をするための電気レンジが3台と、電子レンジ、食器洗浄機、冷蔵庫といった電力消費量が高い厨房用器具を載せていました。そして、そのどれもが欠かすことのできないものであり、通常のサービス電源では足りなくなるのは必然で、無理をして使おうものなら電圧降下をお越して照明が消えたり、最悪の場合は電動発電機を破損するおそれがあります。
それなら、36形に自車に供給するための電動発電機を搭載するのが一番の解決法で、実際に在来線の食堂車には電動発電機を装備した車両もありました。しかし、36形は「電動食堂車」なので、走行するための機器を装備しています。加えて大容量の水タンクと、汚水タンクを装備しているので、電動発電機を装備する余裕はありませんでした。
36形のラウンジは海側に2人席、山側に3人席を備えた構成だった。山側は製造当初は窓がなく、通路からラウンジが見えないように食事をする乗客へ配慮したのだが、「富士山が見えない」というクレームが殺到し、その配慮はかえってあだになってしまった。後年、窓を設置して解決し、ラウンジも明るいものになった。かつて、ここでは多くの利用者が食事をして、長旅を楽しんでいた。(36-84 リニア・鉄道館 2022年8月3日 筆者撮影)
そこで、35形とユニットを組む新たな車両として、27形が設計されました。27形は形式が示すように、普通座席車ですが、25形や26形とは異なった構造になっていました。
27形は1・2位側から幅700mmの乗降用扉を備えたデッキ、そして客室と続きますが、客室面積は25形や26形よりも少なくとられていました。そのため、定員は85名と25型よりも少なくなっています。3・4位側の乗降用扉は1,050mmと大きく広げられ、車椅子のままでも乗車できるように配慮した、身障者対応の設備を設けたのでした。
車椅子のまま乗車した利用者は、普通座席の客室ではなく、3・4位側海側に業務用室を兼ねた特設の個室を利用することができました。この個室に、車椅子固定用の金具などを設置しているほか、デッキにも固定用金具が取り付けてありました。
こうしたあたりは、現在のバリアフリーとは程遠い、いかにも昭和時代の障碍を持つ人へに対する考え方が如実に現れているといえます。もっとも、開業当初はこうした設備をもつ車両すらなかったことを考えると、一定程度の「進歩」があったと考えるべきでしょう。現在では、客室の座席を一部撤去ないし最初から設置しないなどして、車椅子をここに固定するようになり、障碍を持つ人も普通の客室に乗車できるのが当たり前になったので、時代は大きく変わったことを感じる設備です。
《次回へつづく》
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