旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【2】

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《前回からのつづき》

 

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 1958年に登場した20系客車は、それまでの国鉄客車の常識を大きく覆すものでした。

 もっとも大きな違いは、従来は客車1両単位で運用することを前提とした設計思想であったのに対し、20系は編成単位で運用するという設計思想でした。一度編成を組んだら、余程のことがない限り編成を解くことはなく、車両単位での組み替えも原則では行わないというもので、今日の電車の運用思想の始まりといえるものでした。

 20系客車は10系客車を基本とした軽量セミモノコック構造とし、幅2,950mmの裾絞り付拡幅車体は枕木方向に余裕のあるレイアウトを可能にしました。また、全車を完全に冷房化したことで、屋根には通風機や扇風機などを設置する必要ながなくなったので、これらの突起物を設ける必要もなく、また冷房装置は床下設置となったため、車体限界いっぱいの深い屋根は、三等寝台車であるナハネ20の寝台天地方向高さが735mm(最上段は835mm)と余裕ができました。ほぼ同じ構造である10系三等寝台車のナハネ10の寝台天地方向高さは約650mmであったことから、85mmほど高くとれるようになったので、居住性も幾分向上しているのが分かります。

 また、20系客車は車種構成も豊富で、座席車としてナハ20やナハフ20や食堂車のナシ20、二等寝台車に至っては一人用個室、二人用個室に加えてプルマン式開放寝台と、多くのバリエーションが展開され、「走るホテル」の異名をとるには十分でした。

 この20系客車は全車が完全冷房化され、台車はTR50の枕ばねを空気ばねに替えたTR55を装着。さらにブレーキの応答性能を高めるために、蒸機牽引が終わる1968年に電磁自動空気ブレーキへ換装しました。この換装によって、20系客車は10000系貨車と同じく電磁ブレーキ回路と元空気だめ管引通、そして編成のブレーキ増圧装置を装備した機関車でなければ運行できないといった制約がありましたが、それでも20系客車は従来の客車にはない高い接客設備と居住性もあって、寝台特急列車の主役となったのです。

 さて、この20系客車のサービス用電源ですが、従来の車軸発電機と蓄電池による方法ではなく、編成中に発電をする車両から供給されることによって賄われる方式となりました。こうすることで、列車を牽引する機関車に依存する必要なく、電化方式の違いや電化か非電化を問わず運用できるようにしたのです。

 

■マニ20

 20系客車で一番最初に設計製造されたのが、マニ20でした。全長17,500mmという長さは20系客車の中で最も短いものでした。

 車内には直列6気筒DMF31S-Gエンジンと250kVA発電機を組み合わせた発電セットを2組設置していました。

 形式名が示すように、マニ20は電源専用の車両としてではなく、荷物室を併設した荷物車として設定されました。もっとも、荷物室は電源室の広さから比べると小さく、積載荷重は3トンに抑えられています。ここに、新聞を積み込んで沿線各地に輸送することになっていましたが、新聞輸送の需要に対してマニ20の積載能力では不足していました。そのため、マニ20は3両が製造されたにとどまり、以後の増備はカニ21に移っていきました。

 この17,500mmという短さは、発電機室の防音対策を施した結果、車体全体の重量が400トンに収まりきれず、車体重量をこれに合わせるため全長を短く切り詰めた結果として、この長さになったとされています。また、マニ20では燃料タンクを1,700リットル入りタンクを2基備えていました。これは、国鉄で初めての電源車であり、長距離運用を前提とした車両であるため、途中で燃料切れなどになっても給油できないことを想定し、このような大型タンク2基という構成になったと考えられます。この燃料タンクの重量も自重増加の要因になったといえます。

 

■20系のスタンダード電源車 カニ21

 マニ20が荷物室の小ささから3両で製造が打ち切られたことを受けて、改めて新聞輸送の増加に対応できる性能をもった電源・荷物車として設計製造されたのがカニ21でした。

 カニ21は全長が2,000mm延長されて、19,500mmとなりました。マニ20でもっとも懸案となっていた荷物室は、積載荷重が4トンにまで増加されました。また、床面積17.5㎡となりマニ20の12㎡よりも広くなりました。

 電源装置はマニ20と大きく変わらず、DMF31S-Gと250kVAの電源セットを2組搭載していました。燃料タンクはマニ20では1,700リットル入りタンクを2基装備していましたが、カニ21ではマニ20の運用実績からこれを1基に縮小しました。もっとも、後に「富士」「はやぶさ」といった長距離長時間運用を前提とする列車で使用する事を考慮し、燃料タンクも2基に戻されて製造されます。1基で製造された車両も、結局は2基に増設されました。

 カニ21の荷物用扉は、通常の引き戸ではなくカニ38で試用された巻き上げ上昇式のシャッター扉が採用されていました。この部分はほかの系列にはない、20系客車独特のものでした。これは、マニ20、後に登場するカニ22にも採用されています。

 カニ21は20系客車の中で、ナハネフ22と並んでもっとも多くの人に見られた車両ではなかったでしょうか。筆者も中間車であるナハネ20などよりも、最後尾に連結されたナハネフ22やカニ21の姿を多く見ました。

 建築限界いっぱいまで広げられた深い屋根と、流麗さを強調するかのような曲線基調のデザインは、20系の後継になる14系や23系にはない、独特のものだといえます。ナハネフ22は後方展望もできるように配慮されたことから、視界の広い曲面ガラスを使った2枚窓で、片方は車掌室、もう片方は展望室として一般の乗客も自由に出入りできる構造でした。

 カニ21は荷物・電源合造車なので、一般の乗客が立ち入ることはできません。そのため、後方展望に配慮する必要はないため、高価な曲面ガラスではなく平面ガラス3枚の構成でした。それでも、ナハネフ22と同じ曲線基調のデザインであったため、中央部の窓ガラスを大きくとり、その両側には細長のガラスをはめるといった3枚窓デザインでした。

 中央部の大型ガラスの下には、列車名を表示する表示器が設置されていました。この表示器は、当初は列車名とその下にローマ字ルビを振っただけの簡素なもので、横長の五角形の形状は151系などの特急形電車に共通するものでした。

 その窓越しには、電源室に入る扉を見ることができました。そして、車掌がここに乗務したときに着席する椅子と、簡易な机も設置されていましたが、実際にここが使われたのかは分かりません。

 後に一部がカヤ21に改造されましたが、この独特なデザインは変わることなく、20系客車の象徴といってもいいものでした。

 

臨時「あさかぜ」の最後尾を飾ったカニ21。筆者が幼き頃に「憧れ」た20系を記録として捉えたのはこの1度きりだったが、曲線を多用したデザインは古き良き時代の夜行列車を象徴したものといえる。窓枠の一部に劣化していると思われるところも見られ、古参兵として最後の輝きを放っていた。(田町-品川 1987年5月 筆者撮影)

 

《次回へつづく》

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