旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【10】終章

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《前回からのつづき》

 

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■首都圏対北海道の寝台特急に新たな風を吹き込んだE26系 カハフE26

 国鉄時代から分割民営化後、長きに渡って青色の塗装を身にまとった客車が長距離夜行特急列車、いわゆる寝台特急として運用されてきましたが、「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」として運用されてきた24系25形も1973年から製造されたため、年を追うごとに老朽化も陳腐化も否めませんでした。

 それでも、北海道内へ乗り入れる寝台特急に充てられる客車は、時代のニーズに合わせて個室中心とした設備へ改装し、豪華な設備を誇り多くの人気を集める列車にまで成長させました。

 あまりの人気に寝台券を取ることが難しい列車としても知られるようになり、24系で試作された「夢空間」の運用成績なども参考に、新たな寝台特急用客車として1999年に製造されたのがE26系でした。

 その形式名が示すように、E26系はJR東日本が製造した客車です。車体は客車としては本格的にステンレスを採用し、台車も軽量ボルスタレス構造のものを装着し、基本的にすべてダブルデッカー構造とした、従来の客車にはない発想で設計されました。

 客室はすべて個室とし、寝台区分ではA寝台とされました。すべての個室に洗面所とトイレを備えた客車は、このE26系が初めてで唯一のものです。また、食堂車もダブルデッカー構造で、かつて東海道山陽新幹線で運用されていた100系の食堂車を彷彿させるものでした。

 こうした豪華な設備を誇る客車に電源を供給するのが、青森・札幌方の編成端部に連結されているカハフE26でした。

 形式名が示すように、従来の電源車のように荷物車でも事業用車でもなく、普通座席を備えた緩急車として製造されました。これはE26系がダブルデッカー構造を基本としたことと、技術の進歩によりディーゼルエンジンや発電機などが小型軽量化と高性能化によって、発電設備を備えながらも乗客に提供できるスペースを確保できたのです。

 電源設備としては直列6気筒・排気量15,000ccのDMF15HZA-Gと発電機を組み合わせたセットを2基搭載しました。DMF15HZAは小型軽量のエンジンでありながら、出力520PSと強力であり、E26系のように大量の電気を消費する編成にも十分な電力を供給できるものでした。

 これらの発電セットは、従来であれば車内の一部あるいはほとんど全部を占有し、乗客を乗せることのできない「デッドスペース」と化していました。しかし、カハフE26はダブルデッカー構造が基本であることを活かして、発電セットは嵩上げした床下に設置し、客室となるラウンジは「ハイデッカー構造」としてその上部に設けられ、夜行列車の旅を楽しむ乗客にくつろぎの場を提供したのです。

 カハフE26を含むE26系は1編成だけが製造されました。そのため、「カシオペア」は定期列車としてではなく週に3日運行の臨時列車として運行されました。全室が2人用個室A寝台としての設定で、B寝台中心の「北斗星」よりも料金設定が高いにもかかわらず、「北斗星」同様に切符が取りにくい列車でした。

 しかし、「北斗星」などと同様に北海道新幹線の開業とともに「カシオペア」の運行は廃止となり、その後は旅行販売商品である「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」としての運用に就く程度となり、それも2019年から流行した新型コロナウイルス感染症の拡大によって運行される機会もほとんどなくなりました。車齢も20年を超えること、客室ごとに洗面所とトイレが設置されているため、構造が複雑で老朽化も進んでいることを考えると、今後の動向が気になるところでしょう。

E26系の電源者であるカハフE26は、ラウンジカーとして乗客も利用できることから、普通車を表す「ㇵ」の表記となった。車内には電源装置も搭載されているが、DMF15HZ系エンジンなど小型軽量で高性能な機器により、従来の電源車のような場所を取らないため、このような設計が可能になった。(©出々 吾壱, CC BY-SA 3.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

■E26系の予備電源車として再度の改造 カヤE27

 このお話の最後を飾るのは、E26系の予備電源車として改造によって製作されたカヤE27です。

 「カシオペア」用に製造されたE26系は1編成のみと少数系列ですが、サービス電源を供給するカハフE26が故障した場合、電源を供給できる車両が存在しないことから、これの予備としてカニ24 510を再度改造によって製作されたのがカヤE27です。

 種車カニ24 510は、そもそもが北海道乗り入れ用に酷寒地仕様に改造された車両で、元をたどるとカニ24 100番代の1両である113でした。そのため、車体長は19,500mmと同じ酷寒地仕様に改造された500番代の中で511とともに長く、荷物室の荷重も5トンに拡大された構造を持っていました。

 また、カニ24 500番代の時代に発電用ディーゼルエンジンの更新工事を受けたようで、オリジナルのDMF31Z-Gと発電機を組み合わせたセットから、エンジンを直列6気筒・排気量15リットル級のコマツSA6D140Aに、発電機もDM109に換装されました。このエンジンは、それまでの国鉄が設計・制式化したものではなく、ディーゼルエンジンメーカーの小松製作所が設計した民生用ディーゼルエンジンの一つで、SA6D140Aはディーゼル発電機に特化したエンジンでした。こうした国鉄・JR制式のものにこだわらず、民生用でより性能の高いものを積極的に取り入れる姿勢は、分割民営化によってもたらされた「効果」の一つと言えるでしょう。

 カヤE27へ改造するときには、この更新されたディーゼル発電セットは特に替えられることはなく、そのまま使うことにしました。

 他方、E26系は従来の国鉄形客車と大きく異なるものとして、ブレーキ装置がありました。24系25形までの国鉄が設計製造した客車には、応荷重装置付き自動空気ブレーキ(CL方式)を装備していました。このブレーキは、機関車に特殊装備を持たせる必要がなく、どの機関車でも牽くことができると同時に高速化を実現させました。

 しかし、自動空気ブレーキであることには変わらず、機関車のブレーキ弁操作によってブレーキ管の空気圧を調節してブレーキシリンダーを動作させるので、応答性に難があるとともに、ブレーキ操作も電車などと比べて非常に難しく、乗務する機関士の経験と技術に左右されるやすく、特に停車時のブレーキ操作の仕方によっては編成全体に衝撃を与えることもありました。

 E26系はCL式自動空気ブレーキを装備していますが、これはあくまでも予備として併用するものとし、代わりに応答性に優れ操作も簡便な電気指令式ブレーキを装備していました。また、機関車は基本的に電気指令式ブレーキを作動させるための装置を装備していませんが、「カシオペア」の運用に就く機関車にはこの装置を追加することで対応できるようにしたのです。

 しかし、これにはもう一つの条件があり、電気指令式ブレーキを使うことができるのは、編成に組み込まれるすべての車両がE26系で組成されていることでした。そのため、カハフE26の発電セットが故障などでカヤ27を連結した場合、この電気指令式ブレーキは使えなくなります。カヤ27には電気指令式ブレーキに関連する装備がないので、これを連結したときはCL式自動空気ブレーキを使うことになるのです。つまり、カヤ27に他のE26系の車両がブレーキ装置を「合わせ」て運用できるようにしているのでした。

 カヤ27の種車であるカニ24には荷物室が備えられ、カヤ27の種車になったカニ24 510は100番代からの改造車だったので、荷重5トンの荷物室を備えていました。しかし、「カシオペア」では新聞輸送などの荷物扱いをしないことから、この荷物室を業務用室に改造し、車内販売などに使うことにしました。そのため、形式も荷物車であることを表すカニから、職用車であるカヤになったのです。

 また、種車では後面に貫通扉が設けられていましたが、改造の際に貫通扉とテールサインの小窓は塞がれ、代わりにテールマークを掲げるためのステーが取り付けられました。

 2015年に北海道新幹線開業にともなって、最後まで24系25形で運行されていた「北斗星」が廃止となり、最後の国鉄形客車、そしてブルートレインとしての用途を失い、かつて共に働いた多くの車両が廃車となって姿を消していきました。2022年現在、理由は定かではありませんが、尾久車両センターに保留車として残っている24系3両を除いて、国鉄形客車の血を引く唯一の現役車両となりました。

 

カニ24 100番代を改造してE26系に編入されたカヤ27。荷物扱いがなくなったため、カニ24時代にあった荷物室は車販準備室に変えられている。電源装置は特に変更はないが、E26系のブレーキ装置は電気指令ブレーキであるため、カヤ27を連結した場合は応荷重式自動空気ブレーキになるため、乗り心地に多少なりの影響を与えたという。予備電源車という位置づけだったため、カハフE26が検査や修繕で運用できないときだけ活躍した。(©出々 吾壱, CC BY-SA 3.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

終わりに

 かつて、長距離を移動する手段として鉄道が第一選択であった頃、長距離を走る夜行列車は多くの人で賑わっていました。第二次世界大戦による運行休止を経て、戦後に運行が再開され、経済の復興と発展とともに需要は旺盛になり、それを捌くためにダイヤ改正ごとに増発されていきました。

 やがて数多くの長距離列車が運行されるようになると、特急列車をはじめとして優等列車には愛称がつけられ、利用者にとってわかりやすく愛着の湧くものとなります。「富士」や「あさかぜ」「さくら」といった名前は、戦前からも続く伝統的な特急列車の愛称であり、その名を記したテールマークを誇らしげに掲げた最後尾で殿を受け持つ客車は、先頭に立って列車を牽く機関車とともに国鉄の「スター」へと成長をはじめました。

 1950年代終わり頃、20系固定編成客車が登場し、特急列車での運用が始められるとその傾向はさらに顕著なものになり、先頭の機関車には及ばないものの、列車名を大きく示し曲線美を多分に使った特徴的な外観を持つナハフ20やナハネフ22、カニ21といった殿を受け持つ客車たちは多くのファンを得て、数多くが写真などの記録に収められました。後年に登場した14系や24系といった客車もまた、最後尾には図柄入りのテールマークを掲げたその姿は、やはり20系と同様に多くが記録に収められています。まさに、多くの人が長距離を走る寝台特急というものに憧れ、そして支持を得ていた時代だったと言えます。

 しかし、時の流れとともに鉄道を取り巻く環境は厳しくなっていきました。航空機の大衆化と運賃の自由化、モータリゼーションの進展によるマイカーの普及、高速道路網の発達、そして安価な運賃の高速バスの台頭は、長距離を走る夜行列車にとっては驚異となり、やがて運賃面やサービス面で太刀打ちができなくなり、凋落の一途を辿っていきました。多くの人が、特に当時、こうした列車に憧れを抱いた若年層にとって、「いつかは乗ってみたい」という願いを叶えることも、近い将来、困難になるものとされました。

 そうした中にあっても、先頭の機関車とともに、その列車の愛称をデザインされたテールサインを掲げた最後尾の客車、とりわけ客車に冷暖房や照明といったサービス電源を供給する役割を担った電源車は、編成中間に組み込まれることはなく、必ずといっていいほどその姿を見ることができました。そして、これまで概観してきたように、電源車には実に様々な形があり、そしてメカニズムの面でも興味深いものがあったといえます。

 整備新幹線という政治色の濃い鉄道がつくられ、並行在来線という言葉とともに歴史ある在来線がJRの経営から切り離されていき、その結果、特に長距離を走った優等列車は廃止になっていきました。また、寝台特急は利用者の低迷もあって次々に姿を消し、2015年の北海道新幹線の開業によって、最後まで運行されていた「北斗星」も廃止になり、定期的に運用される電源車はなくなりました。しかし、多くの人を乗せて走る列車に電源を供給する役割はとても重要で、直接乗客を乗せることはしなかったものの、地味ながらもテールサインを掲げた「花形」としての顔を持ち、その役割を黙々と担った電源車の果たした功績はとても大きいものだといるでしょう。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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