旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【4】

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《前回からのつづき》

 

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■分割編成に使われた旧型客車改造の簡易電源車 マヤ20

 登場当時は国鉄の「虎の子」ともいえた20系は、徐々にその数を増やしていき、東京−九州間の寝台特急をはじめ、関西−九州間の寝台特急などにも使われるようになっていきます。

 「さくら」「富士」「はやぶさ」「みずほ」など、多くの人が知る愛称の列車に投入されましたが、20系が登場した当時は運転区間が最後期とは異なっていました。しかし、20系客車で運行されたこれらの列車は12〜14両と長大な編成が組まれましたが、これらはすべて同じ行き先ではなく、九州島内で需要に合わせた行き先が設定されていました。

 例えば「さくら」は、20系による運転開始がはじめられた1959年の時点では、12両編成すべてが東京−長崎間で運転されていました。しかし、12+1(+1は電源車)両すべてが1編成で組成されていたのではなく、1〜6号車は基本編成として電源車が組み込まれ、7〜12号車は付属編成とされて電源車は組み込まれていませんでした。

 しかし、1965年になると基本編成は長崎行きとして運行され、付属編成は肥前山口で分割併合するようになり、佐世保行きとして運行されるようになります。1つの列車で複数の行き先が設定される「多層建て列車」となり、乗客の利便性を向上させることを狙ったのでしたが、一つの問題が立ちはだかります。それは、付属編成には客車に電源を供給する電源車が連結されていないのです。

 そこで、付属編成には基本編成から分割されたあとの短い区間だけ、編成に電源を供給することができる電源車を用意することになります。20系本来の電源車であるマニ20やカニ21といった本格的な電源車は、東京−九州島内間の1000km以上にも及ぶ長距離を長時間に渡って、それも12両以上の車両に電源を供給することができるように、大容量のディーゼル発電セットが装備され、燃料タンクも大容量のものが装備されていました。

 しかし、九州島内の短区間ではマニ20やカニ21のような本格的な電源装置を装備した車両では、過剰設備になり効率が非常に悪くなってしまいます。製造コストが高い電源車ではなく、この短区間での運用に最適化した発電セットを装備し、可能な限り製造コストを抑えた車両が望ましかったのです。

 そこで、国鉄は余剰となっていた旧型客車に目をつけ、これを電源車に改造して付属編成に連結することを計画しました。1963年に「みずほ」の20系化と同時に門司での分割に対応するためにオハシ30から改造されて登場したのがマヤ20でした。

 マヤ20は20系本来の電源車であるマニ20やカニ21などと比べ、供給するべき電力量は小さくて済むため、発電セットも小容量でも十分であることなどから、それらに対して「簡易」なものと位置づけられました。

 発電機の動力源には直列6気筒のDMH17C-Gを搭載し、これにPAG7発電機を接続して電力を発電していました。種車であるオハシ30は三等座席食堂車であったため、これらの発電セットは食堂部分の設備をすべて撤去した跡に設置し、一部の窓を吸気用のルーバー窓に交換し、発電セット部分の屋根はラジエターファンを設置しました。しかし、車体そのものは種車のものをそのまま使ったため、シル・ヘッダー付きの旧型客車のままであったので、ノーシル・ノーヘッダーの軽量構造である20系とは異なり、編成美を度外視したいかにも「簡易」な改造で済ませ「簡易」な電源車という印象を強く与えたと言えます。

 実際、編成に連結された写真などを見ると、いくら青15号にクリーム色の帯を巻いて他の車両と同じ塗装でも、古めかしい車体を隠すことなどできず、平滑な車体をもつ20系客車の中でも一際目立つものでした。 

 1963年にオハシ30を種車に改造されたマヤ20は、小倉工場で2両が改造されて門司客貨車区に配置されて「みずほ」の付属編成に使用されました。しかし、翌1964年には「みずほ」の付属編成は「富士」として独立し、1年で用途を失ってしまいます。しかし1965年に「さくら」と「あかつき」が肥前山口で分割して長崎本線佐世保線で運行することになり、早岐客貨車区へ配転されて再び運用されるようになりました。このときに、予備車として1両を増備することになり、スハ32を種車に改造した3が追加で改造され登場します。

 さらに、1968年のダイヤ改正、いわゆる「ヨン・サン・トオ改正」で寝台特急の増発に伴い、やはりスハ32を種車に3両が追加改造されて登場します。このとき改造されたマヤ20は1〜3とは異なり、発電セットを設置した電源室は車体中央部に設けられ、車両重量バランスを適正化させました。

 発電用のディーゼルエンジンも排気タービン過給器付きのDMH17S-Gに変わり、発電機もPAG7Aを搭載したことで出力は125kVAから165kVAに強化され、より安定し余裕のある電源供給を可能にしました。この1968年に改造されたマヤ20は10番代に区分され、全部で3両が改造されて早岐客貨車区に配置されました。

 1972年に長崎客貨車区に配転になるまで、肥前山口で分割された付属編成の電源車として活躍し、長崎区に配転後も同様の運用に就いていましたが、分割併合が可能な「分散電源方式」を採用した14系が登場し、「さくら」がこれに置き換えられ、さらに「あかつき」の運用が削減されると3両が廃車になり減勢に転じました。そして「はやぶさ」と「あかつき」の付属編成用の運用に使われましたが、1975年のダイヤ改正で「はやぶさ」が新形式である24系25形に置き換えられて「あかつき」と車両の共用を解消し、「あかつき」も24系と14系に置き換えられたために用途を失い、改造から10年で異色の旧型客車改造による簡易電源車は全車が廃車になり形式消滅しました。

 

(出典:Amazon

マヤ20形式図。分割編成に電源を供給するため、旧型客車を改造してつくられた。ウィンドシル・ヘッダーがあり、車端部屋根は丸屋根など、種車の特徴や製造年代がわかる。一部の窓はよろい窓に換え、屋根上にもラジエター冷却用のファンが追設されるなど、種車の面影を残しつつ必要な装備が施されている。(マニ20形式図 出典:1966年  国鉄客車形式図 日本国有鉄道

 

《次回へつづく》

 

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