旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最後の力を振り絞って走り続けた485系

広告

 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 クリーム色地に窓周りに引かれた赤い帯。ボンネットとまでは行かないものの、他の車両とは運転台も高い一にあるので、その独特な形状をもった485系は、国鉄時代から大都市と幹線沿線の主要都市を結ぶ特急列車の主役として、多くの人々を乗せて活躍していました。

 大都市圏や主要幹線が直流電化だったのに対し、地方幹線はより建設コストが抑えられる交流電化で進められたため、これらの相互の都市間を結ぶには必然と交直流両用の車両となり、485系はまさにその役目にはうってつけだったのです。

 国鉄時代はその性能が使いやすく重宝され、加えて「全国一律に同じサービス」を提供する国鉄という組織であったが故に、国内のどこにいっても国鉄の特急列車と言えば485系だったのです。

 ところが、1987年の国鉄分割民営化で、485系を取り巻く状況は一変します。

 全国一律のサービスを提供する筆頭であった485系にとって、新会社は地域ごとに異なるサービスの提供が可能になったことで、あまりにも陳腐化した存在になっていったのでした。

 とはいえ、首都圏という超ドル箱を抱えて経営基盤も盤石なJR東日本は、すぐにでも新型車両を製造してサービス改善に乗り出しますが、JR西日本はそのような体力はなく、国鉄から引き継いだ車両たちを使い続けていました。特に、関西と北陸を結ぶ「雷鳥」など、交直区間に跨がる長距離特急列車を運転することが多いJR西日本は、高価な交直流電車をおいそれと造ることは難しかったのです。

 時が経つにつれ、JR西日本も経営が安定してくると、681系など新型車を投入することができるようになりましたが、それでも新車の導入による完全な置換えには時間が必要でした。

 

f:id:norichika583:20200513231937j:plain

 

 こうした事情もあり、485系は予想以上に長く走り続けました。それも近距離ではなく、大阪ー富山間という比較的長距離を走る「雷鳥」をはじめ、北陸本線の各都市と大阪、名古屋を結ぶ特急列車としての活躍は、国鉄時代から引き継いだままの姿といってもいいでしょう。

 そもそも485系、は長距離を走る特急列車として運用することを前提として開発されました。かつては大阪から九州を結ぶ列車や、上野から東北地方を結ぶ列車にも重用され、食堂車を連結して10両編成以上を組むことも当たり前という、今では考えられない陣容の華麗なる姿で走っていたのです。

 残念ながら食堂車の連結自体も廃止され、連結される車両も10両編成にも満たず、ともすればグリーン車すら連結しない3両編成という短さは、かつての栄華を想像することもできないほどにまでなってしまいました。とはいえ、在来線の花形であることには変わらないのがせめてもの救いだったと言えるでしょう。

 写真は2004年に大阪駅で撮影した485系です。JR西日本の車両は、その多くがシント走を身に纏っていましたが、この編成は国鉄色のままでした。ちょうど富山から到着した「雷鳥」で、愛称幕を「回送」に替えているところを捉えたものです。先頭に立つクハ481の前頭部側面に「JNR」のシンボルマークこそありませんが、こうした姿を眺めていると国鉄時代を彷彿させるには十分でした。

 2011年3月12日のダイヤ改正をもって485系による「雷鳥」は運転を終了し、すべて「サンダーバード」へと置き換えられてしまい、さらには各地の485系も後継車にその座を明け渡していき、今日ではその姿を見ることはできません。しかし、日本の鉄道輸送、とりわけ在来線の長距離列車としての活躍は、人々の貴重な「足」として活躍したことは、後世に語りつがれるでしょう。

 

 今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info