旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

ヒューマンエラーを防ぐために【3】

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《前回からのつづき》

 

 

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 コンピュータで作成した図面と積算見積は、すべて紙に印刷してから確認を受けました。主任や助役が印刷されたものを1つ1つ確かめ、特に積算見積は数値に誤りがないか、計算が正しくされているかを赤鉛筆と電卓を使って確認し、問題がなければ赤鉛筆で印をつけ、間違いなどがあればその部分を丸囲みされます。なにしろ項目が多いので、10分屋20分で終わるものではなく、延々と2時間近くをかけて確認作業をしたのです。

 1990年代前半のことなので、このようなアナログ全開の作業は当たり前の時代でしたが、今の常識からするとなんとも効率の悪い、しかも紙に印刷だなんてありえないと言われるかもしれませんが、この方法がもっとも確実だったといえます。

 こうして完成した書類は、支社の技術課でも確認がされて、初めて承認を得ることができます。承認を得た工事設計書類は、筆者が担当したものは本社を通じて防衛施設庁に贈られ、さらに在日米軍の担当司令部の将校に送られ、年度当初には実際に将校に対して説明をしたのでした。

 このように、鉄道ではどの分野でも確認に次ぐ確認で、僅かなミスも逃さないようにしています。一見すると大したことのないミスや誤りも、取り返しのつかない大事故に繋がる可能性があるので、こうした手間を惜しむことなく続けることで、列車の安全運行がられているのです。

 さて、冒頭でもお話したように、最近はこうした確認を怠ったか、あるいは確認の方法が確実でなかったことに起因するミスが頻発しているように思われます。つい最近、筆者の周りでも、振込処理をする際に誤った金額を送金してしまうという事故がありました。

 あまり具体的なことをここでお話することはできませんが、送金データをExcel上で処理をするときに、データをコピーして貼り付けるときに、誤ったセルにはりつけてしまい、悪いことにデータを送信する前の確認作業を怠ったことが原因でした。

 このようなミス(事故)の根本的な原因として、一つには極端な人手不足が考えられます。どこの業種でも人手不足が深刻になっていることは多くの方が知るところですが、公的な機関では法令や条例に定められた定員に縛られ、容易に人員を増やすことができません。加えて、年を追うごとに業務量が言葉通り「雪だるま式」に膨れ上がり、一人あたりの業務量が筆者の感覚では10年前に比べて5倍近くになったといえます。

 二つ目にいえるのは、他で起きたミス(事故)の事例が共有化されてないということです。公的機関ではなぜか危険予知の思想がないため、同じ組織でも他の部署で起きた事例や、組織外で起きた事例を「他山の石」として捉え、自らの職務に対して注意喚起することがないのです。

 翻って、鉄道では、特にJRでは会社間で些細なミスによる事故から、労働災害につながる事故まであらゆることが共有化されます。実際、筆者もほぼ毎日のように旅客会社から模写電信によって送られてくる事故などの詳報を見ていました。貨物会社では旅客会社から支社の担当課が受け取り、それを各部署に再送信していましたが、そこには必ず「他山の石」と書かれ、すべての職員に回覧される形で共有化していました。そして、特に注意が必要であったり、規模が大きかったりすると、始業までの点呼で区長がそのことについて話しをし、注意喚起をしていたのです。ですから、いわゆる「ヒヤリ・ハット」によるミスを未然に防ぐことができたのです。

 

詰所のデスクで図面を作成している筆者。当時の施設電気の保守管理部門である施設区、電気区の職員は現場に出て検査や修繕といった作業にも携わっていたが、保全工事の設計業務や検査結果などの記録報告といった管理業務も担っていた。保全工事の設計では交換、仮撤去・復旧など必要とされる図面を作成し、資材や作業人員など必要な経費を算出したが、完成すると必ず工事担当主任か助役の検査を受けなければならなかった。検査に合格して初めて支社技術課に回され、さらにそこで審査を受けるという時間と手間のかかるものだったが、その分だけチェックが入るのでヒューマンエラーを確実に防いでいた。近年は効率と速さが優先されたため、確認不足によるヒューマンエラーが頻発していると考えると、当時の鉄道の安全管理は厳重だったのかもしれない。

 

 残念ながら、公的機関にはそうした文化がなく、ともすとろ、隣の部署は何人ぞといった感じで、そこで働く職員は自分の部署のことしか知らない、他には干渉しないという狭い視野しかもつことができないのです。

 最後に、公的機関で働く職員の多くは「自分は優秀だからミスをしない」という、根拠のない自信をもっていることでしょう。人間である以上、誰もがミスを犯す可能性は十分に考えられます。しかしながら、そうした意識を持つ人は数えたほうが早いくらいに、奇妙な自信家の集団になっています。

 ある時、若い職員が作成した資料を筆者に出してきました。締切ギリギリ近くになって取り掛かったため、悪いとは思いましたが「必ずミスがある」と踏んでいました。これは経験からくる勘のようなもので、慌てたり急いだりするほど、ミスが頻発しやすいというものでした。

 実際にその若い職員が作成した資料は、論述の部分では文法的におかしいところが目立ち、数値もミスが目立ちました。10分ほど、その資料を読んで訂正を指摘する朱書きを入れて返すと、その若い職員は自信があったのでしょう、一発でOKを貰えると考えていたのが、まるで門前払いを食らったかのように愕然としていました。

 ですから、筆者は資料の作成は慎重にすることと、人間は必ず大小問わず必ずミスをするものであることを話しました。

 そして、その話をしながら、実のところ筆者自身にも言い聞かせていたようなもので、やはり自分への戒めでもあったのです。とはいえ、若い頃のようなミスは減りましたが、それでも小さいながらもちょこちょことミスはします。もしかしたら、永遠にミスを0にすることは叶わないかも知れません。が、時折、報道される類似事故を着くたびに「他山の石」としたいものです。(了)

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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