旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車 奇抜な発想で複合一貫輸送を目指した両用貨車・ワ100【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 筆者が鉄道職員になろうと決めたのは、高校3年生の7月も終わり頃でした。当時、高校生の就職活動は5月ぐらいから始めないと出遅れているといわれたもので、初めから会社に入る気がなかった筆者は、就職活動に勤しんでいる級友を横目に余裕をかましていたのでした。

 というのも、航空関係に、それもできれば管制か通信の分野に進みたいと考えていたので、航空自衛隊曹候補士か曹候補学生に焦点を絞っていたので、それほど関心がなかったのです。ところが、1990年といえば湾岸危機と呼ばれる中東の情勢不安から、いつ戦争になっても不思議ではない世の中で、それも8月に入るとイラクによるクウェート侵攻が始まり、たちまち多国籍軍による「砂漠の盾作戦」が発動し、自衛隊の海外派遣も盛んに議論されるようになりました。

 そうした中で、筆者の周囲の人たち、特に高校の担任教師は自衛隊の受験に難色を示し、ついには教え子で自衛官になった先輩を連れてきては、自衛官の受験を諦めるように説得する始末。結果、これはなかなか難しいと考えるようになって、夏休みに入ってからようやく求人票をめくるようになったのでした。

 遅ればせながらの就職活動を始めた筆者の目に止まったのが、日本貨物鉄道JR貨物)からの求人票。国鉄時代は人件費の抑制から、幹部候補となる大卒どころか、現場の輸送を担う高卒の新規採用を1人もしていなかったので、新会社になって7年目にして固く閉ざされていた門戸が開かれたことに衝撃を受け、幼い頃に目指した鉄道職員になろうと決意したのでした。

 JR貨物に進路を定めたことを担任に伝えると、その先生は筆者の見ている眼の前で会社に応募者がいることを電話で連絡をとってくれました。そして、電話を終えると8月の半ば頃に東京にある大井機関区で会社説明会があるから、ぜひ来るようにと言われたと教えてくれました。

 あまりにトントン拍子に事が進みだしたので、正直、ちょっと怖い感じもしましたが、まあ元は国鉄だし、いまやJRといえば誰もが知る企業、国によって設立された会社なのだから大丈夫だろうと考え、指定された日に大井機関区に出向いたのでした。

 その会社説明会では色々な話を聞かされ、なぜかテストも受け、最後には運転適性検査まで受検したので、いったいこれはなんなのか?と疑問をもったものでしたが、あまり多くは気にしないで、その日は会社から渡されたたくさんの資料を持って帰宅したのです。今考えれば、これは会社説明会という名ばかりの入社試験だったのですが、職員を新規に採用するノウハウを完全に失っていたのか、当時の担当者は手探り状態で事を進めていたようです。

 

1987年の分割民営化後、JR貨物は最高運転速度110km/hで運転される高速貨物列車に「スーパーライナー」の愛称をつけ、先頭に立つEF66形にはヘッドマークを掲出させて運行するなど、国鉄時代には考えられなかった施策を打ち出した。国鉄時代の鉄道貨物輸送に対する悪化した印象を拭おうと必死で、新会社に移行してサービスを向上することをアピールするねらいもあったが、何より離れていった顧客を呼び戻し、同時に新たな顧客を開拓するための戦略であったといっても過言ではない。そのことは、設立7年目にして初めて現場職員の採用活動にも表れていた。(©Rsa, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 さて、自宅に帰ると、会社から渡されたたくさんの資料に目を通しました。会社の概要をまとめた会社案内はもちろんですが、新たに開発した新型電機のEF200とEF500のパンフレット、複合一貫輸送用に開発を進めている新型貨車のパンフレット、そして鉄道貨物輸送には明るい未来があるとでも強調したかったのか、貨物輸送を特集した鉄道ジャーナル誌まで入っていたのには驚きましたが、いずれにしてもかつて筆者が小学生の頃に見ていた国鉄時代の貨物輸送とは大きく変わっていることは理解できました。

 そのパンフレットの中に、ちょっと印象深く残る貨車がいくつかありました。特に貨車の台車は黒と決まっていたのを覆すかのように青く塗られ(しかも車輪までも)、車体はトラックの荷台という、これまで見たことも聞いたこともない特異な外観に度肝を抜かれたのでした。

 この特異な貨車こそ、JR貨物が民営化後に複合一貫輸送を目指して開発を進めていたワ100形と呼ばれるものでした。形式称号が示すように有蓋車を表していますが、従来の有蓋車のような車体はなく、代わりにセミトレーラーのアルミバンが鉄道用の代車の上に引っ掛けられるように乗っている、見た目には鉄道車両とは言い難いものでした。さらに、その形式称号が示すように、試作車両には900番台あるいは9000番台を付与するところを、営業車両に使われる他の数字を充てていたことからも、JR貨物はこの特異な貨車を試験結果が良好であれば早期に営業運転に使う計画だったことが窺われます。

 

《次回へつづく》

 

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