旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【2】

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《前回からのつづき》

 

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 郵便車は大きく分けて、客車と電車、そして気動車がありました。

 客車は国鉄のもっとも古くからある列車の運行形態で、その形式は数多くありました。戦前の20m級鋼製客車であるスハ32系では、区分室を備える取扱便用のマユ32やマユ33は、郵政省の前身である逓信省が所有する鋼製郵便車でした。

 オハ35系の一員であるマユ34もまた、マユ33と同じ区分室をもつ取扱便用の郵便車で、戦後になって増備されたオユ36もまた取扱便用の郵便車でしたが、半室を区分室に充てるという特殊な仕様でした。

 1950年代に入って製造されたスハ43系に属するオユ40やスユ41は少数形式でしたが、スユ42は郵便車としては比較的多い12両が製作され、後に登場する10系客車に属するオユ10などの設計の基本となった車両でした。

 戦前製の郵便車が長年の酷使で老朽化が進んでくると、これを置き換えるために新たに開発された軽量車体をもった10系客車の構造に準じて設計された取扱便用のオユ10やオユ11、護送便用のオユ12が製作されました。郵便局員が乗務するオユ10とオユ11には、新製当初は旧来の車両と同様に冷房装置が装備されていませんでしたが、夏季に暑い車内での重労働で、郵便局員が出す汗が郵便物を汚損する事例があったことや、ただでさえ過酷な執務環境に置かれていた中でその環境改善を目的に、1971年に製作されたオユ11は、新製当初からAU13冷房装置を装備しました。また、すでに運用についていたオユ10とオユ11についても、1972年から低屋根化を施した上で、区分室に当たる部分にはAU13冷房装置を設置するなど、大幅に改善がされました。もっとも、この頃は急行形電車でも冷房装置がない車両もあったことから、ある意味において贅沢な造りをしていたと言ってもいいでしょう。

 その後、スユ42といったスハ43系に属する郵便車も老朽化が進み、これを置き換える必要が生じてきました。1972年からはオユ11の後継としてオユ14が、1973年からはスユ16の製作が始められました。

 

■最後の取扱便用郵便車 スユ16

 スユ16は、オユ14が新製された翌年になる1973年から製造された取扱便用の郵便客車でした。その基本的な構造はスユ14と大きく変わりませんでしたが、オユ14が電気暖房に非対応だったのに対し、スユ16は電気暖房に対応するためそれらの機器を搭載した結果、重量が重くなったため「オ」級から「ス」級となったため、別形式とされたのでした。

 1973年に4両のスユ16が富士重工で落成しました。電気暖房を装備している車両番号には2000が加算されていますが、オユ14と同様に0番台に区分されている2001〜2004は一般区間用の第1種と区分されるものでした。

 台車はオユ14と同じ、TR217を装着していました。枕ばねを空気ばねにした台車で、12系客車の新製に際して新たに開発されたものでした。また、ブレーキ装置もCL式応荷重装置付自動空気ブレーキを装備することで、最高運転速度は110km/hにまで引き上げられ走行性能は大幅に向上しました。

 3年後1976年には5両が増備されましたが、第1種の0番台2両に加えて、特に輸送量の大きい東京−門司間専用のいわゆる「東門間」専用の第2種に区分される構造をもった200番台が3両製作されました。

 翌1977年には8両が追加増備になり、0番台6両、200番台2両が製作されます。

 そして、最終増備車となる3両は、すべて200番代で1978年に製作されました。

 これら新製されたスユ16は第1種構造の0番台13両、第2種構造の200番台が7両の合計で20両という郵便車としては比較的大所帯となり、当時の郵便ネットワークを支える活躍をしたのでした。

 しかし、それも長くは続くことはなかったのです。

 郵便輸送の効率化を進めていく中で、郵政省は鉄道からトラックへの移転を進めていたのです。もっとも、国鉄の荷物輸送は宅配便の台頭を前にシェアを奪われ続け、すでに風前の灯となりつつありました。加えて労使関係の極度な悪化などが原因でストが頻発し、列車の遅れや運休が異常なほど多くなり、郵便物の遅配につながっていたのでした。

 

スユ16形郵便客車は、オユ14型とほぼ同一の設計で、電気暖房の有無で自重が変わってしまうため別形式とされた。新製当初から冷房装置が設置され、区分室にあたるところには窓はなく、代わりに上部に採光用の窓が並んでいた。写真はオユ14形だが、スユ16型の外観も同一である。(©spaceaero2, CC BY 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そうした状況から、郵政省も国鉄への信頼を失いつつあり、それまで長距離の輸送を鉄道に頼っていたものを、トラック輸送への転換を進めていたのです。

 また、郵政省にとっても宅配便の台頭は脅威でした。一般郵便物は「信書」として扱われるため郵便法によって郵便局が送達することが定められていたため、民間企業が参入する余地はなく独占事業として成り立っていましたが、小包郵便物は信書ではないため宅配便と競合関係にあり、サービスの維持向上の観点から鉄道ではそれが難しいとされたのです。

 こうして、郵政省は自前で輸送ダイヤを設定できるトラックへと移行し、同時に速達などといったスピードが求められる郵便物等を航空機での輸送を増加させることにしました。

 1984年、郵政省は郵便輸送体系を大幅に見直し、その年の1月をもって取扱便を廃止しました。そのため、スユ16も用途をすべて失い、余剰車両として廃車の運命をたどることになります。

 1973年から製造されたスユ16は、軽量車体構造の郵便車としては比較的新しい車両でしたが、第1次増備車で10年強、第2次増備車以降では8年から、短いものでは6年足らずで用途廃止による廃車となってしまったのです。法令で定められた車両の検査のうち、もっとも大規模な全般検査(自動車でいうところの車検)を受けたのは第1次増備車と第2次増備車だけで、第2次増備車は受けたとしても検査後間もなく廃車となっていきました。また、第3次増備車と第4次増備車に至っては、全般検査を1度も受けることなくその命運が尽きてしまったのです。

 

《次回へつづく》

 

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