旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【3】

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《前回からのつづき》

 

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■郵便客車の中でもっとも薄幸だったスユ15

 郵便車と一言で言っても、その形態は輸送方法によって大きく2つに分けられていました。

 鉄道郵便局に運び込まれた郵便物を、郵袋ごと郵便車に載せ、車内で鉄道郵便局員hが郵袋から郵便物を取り出し、停車駅ごとに区分作業をする取扱便と、郵袋を郵便車に載せたあとは車内で開封することはせず、停車駅でそのままその地域を管轄する鉄道郵便局へ引き渡す護送便とがありました。

 護送便用の郵便車は一見すると国鉄保有する荷物車に似た外観でしたが、窓に大きな〒マークが入れられているのですぐに判別できました。

 スユ15はオユ12・スユ13に続く、軽量車体構造をもった護送便用郵便車でした。

 1973年に最初の1両が製作されましたが、これは、車両火災で消失し廃車となったスユ41の代替としての増備でした。

 スユ15 2001(電気暖房を装備しているので、厳密には1に電暖装備を示すため2000を加算している)は、オユ12・スユ13とほぼ同じ設計で、屋根も深い構造をしていました。

 一方、台車とブレーキ装置は、オユ14・スユ16と同じ最高運転速度が110km/hの性能をもつ、TR217とCL式応荷重装置付の自動ブレーキを装備していたので、新たな形式が起こされたのです。

 スユ15は焼失したスユ41を代替することを目的に設計・製造されたのですが、郵便客車の老朽化が進んだことによる置換えの必要性が高まってきたこと、取扱便と呼ばれる鉄道郵便局に所属する郵便局員が乗務し、車内で郵便物を区分仕立する方法では手間とコストがかかることなどから、より合理的で郵便輸送のサービス向上を図るために、郵袋を載せたまま開封することなく目的地の駅まで輸送する護送便用の郵便車が必要になったのでした。

 

郵政省が最後に製作した郵便客車は護送便用のスユ15形だった。最初の1両はオユ12形と同様に深い屋根をもった構造だったが、2両目以降は基本設計を14系客車と同じにしたため外観も変わった。一見すると荷物車と大きく変わらないが、固定窓に「〒」マークがあるなど違いもあった。最終ロットとして製作された車両は、鉄道による郵便輸送の廃止によって、登場から5年も経たずして用途を失い廃車という薄幸な運命を辿った。(©spaceaero2, CC BY 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 こうしたことから、スユ15は1978年度から再び製作されることになりますが、2001が製造されてからすでに5年が経っていたので、車両の設計を10系から14系に準じたものへと変更されたのです。

 1978年から製造が再開されたスユ15は、車内の設備は2001とほぼ同じでしたが、車体は14系に準じて低屋根構造となりました。それだけでも、外観は大きく変化しましたが、台車やブレーキ装置はTR217とCL式応荷重装置付自動空気ブレーキを装備し、110km/h運転を可能にしていました。

 量産車ともいえるスユ15は、1978年度に2002〜2007の6両が、続いて1979年度には2008〜2010の3両が、さらに1980年度にも2011〜2018の8両が製作されました。

 さらに、1981年度にもスユ15は製作されました。すでにこの頃になると、郵政省も郵便物の送達を鉄道からトラックや航空機への移転を進めていた時期で、そう遠くない将来にはこれらに取って代わられることが予想できたと考えられます。それでも、護送便用郵便車を増備するというのは現代の経営常識では考えられないことですが、鉄道による送達をすべて全廃にするまでにはまだ時間がかかる一方、できるだけ効率的な輸送を目指す観点から、護送便用の車両が必要だったと考えられます。

 1981年から製作されたスユ15は、車両の基本設計を14系から当時新製が始まっていた50系に準じたものへと変更されました。低屋根構造であることは変わりませんでしたが、妻面は14系のように切妻ではなく、50系とほぼ同じ半折妻とされ、妻面幕板部は50系客車と同じく丸みのある形状へと変わりました。そして、屋根部は車端部まで伸ばされないという、一見すると50系客車の荷物車であるマニ50にも見えるものでした。

 後期量産車ともいえるスユ15は、1981年度に2019〜2027の5両が、翌1982年度には2028〜2039の12両が製作されました。スユ15は全部で39両という、護送便用郵便客車としては先代のオユ12・スユ13と同数が製造され、合わせても総数78両という大所帯を築き上げるに至りました。

 しかし、何度も触れてきたように、鉄道による郵便輸送はすでに凋落の一途を辿っていました。郵便車は原則として荷物列車への連結を前提とする国鉄の方針に、郵政省は郵便送達のダイヤ編成がしづらく、ダイヤ編成が柔軟にできるトラック輸送への転換を順次推し進めてきた結果、1984年2月1日に実施されたダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ改正」では、郵便輸送の取扱便が全廃になり、大幅な縮小がなされました。

 スユ15のように護送便による郵便輸送は残されましたが、それでもすでに風前の灯といった状態で、なんとか生きながらえているといっても過言ではない状態でした。

 そして、1986年10月には残された護送便・締切便による郵便輸送も全廃になり、国鉄線上に設定されていた郵便路線網も廃止、同時に郵便網の一翼を担っていた鉄道郵便局も、この時をもってすべて廃局となったのでした。

 スユ15もまた、ほかの郵便車と同様にこのダイヤ改正をもって用途を失い、全車が除籍・廃車とされました。初号車である2001は製造から13年ほど活躍しましたが、最後に製造されたグループは1982年度の予算だったので、中には1983年に落成したものもいました。落成からわずか3年ほどで用途を喪失し、ほかへ転用されるのならまだしも、それすらされることなく解体処分の列に並ばされるとは、当の本人(この場合、車両ですが)も思いもしなかったでしょう。

 いずれにしても、スユ15の半数近くは一度も全般検査を受けることなく、検査標記には「新製」と書かれたまま、廃車線へと送られてスクラップにされるのを待つ身となり、薄幸な運命を終えるのでした。

 

《次回へつづく》

 

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