旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 鉄道車両というのはとかく重量が嵩んでしまうものです。それは、車体や台枠を構成する材料であったり、内装に使われる部材であったり、あるいは乗客が快適に旅行するための設備であったり、実に様々な理由があります。

 もちろん、安全性を確保する観点から、鉄道車両は簡単に壊れることがないように設計されます。極端な話ですが、高速で走っている最中に、何の前触れもなく車体が壊れて屋根がなくなってしまった、などということが起きてはなりません。そうなると、鉄道への信頼性を大きく損ねることになります。

 こうしたことはほとんど起きませんが、万が一、事故が起きたときには、車体を始めとする構造物が頑丈であれば、大きな破損を免れることができ、結果的に乗客の命を守ることができます。かつて、国鉄で使われていた多くの鋼製客車はこうした設計思想に基づいて、頑丈であることを第一に造られていました。

 例えばスハ43系は、戦後に大量に生産された客車でしたが、内装に木材が使われていたとはいえ、車体構造はかなり頑丈に造られていました。そのため、重量も嵩んでしまい、冷房を持たない三等座席車でも「オ」級ではなく、ワンランク上の「ス」級の客車でした。

 その頑丈につくられた構造のおかげで、JR東日本大井川鐵道などで数多くが動態保存されていて、その多くが製造から50年以上経った今日でも、蒸機に牽かれて多くの人々を乗せて走る姿を見せてくれています。

 しかし、頑丈ではあるものの、重量が嵩むというのは鉄道車両としては芳しいものではありません。車両自体の重量が重いということは、列車を牽く機関車に負担を与えます。また、機関車1両あたりが牽くことのできる重量には限界があり、重い「ス」級の客車で組成された列車よりも、それよりも軽い「オ」級で組成された列車のほうが、連結できる両数が増え、結果として定員が増えることに繋がります。

 また、列車自体の重量が軽くなれば、同じ両数で組成された列車であれば、機関車への負担も減り、さらには列車の高速化も可能にします。

 もう一つ、忘れてならないのが軌道への負担です。重量が嵩む列車が高速で走行するということは、軌道へ大きな負担がかかります。そうなると、レールの摩耗はもちろん、軌道を構成する道床は沈み、負担を分散させる砕石(バラスト)も緩みタンパーを使った突固めの頻度も増えてしまい、結果として保線コストが増えてしまうのです。

 そこで、国鉄は軽量かつ頑丈な客車を開発を進めます。もちろん、それは簡単なことではありませんでした。車両を軽量化するためには、根本から設計方法を改めなければなりません。

 国鉄の技術陣は、これを実現させるために根本的に設計方法を改めるという方法に出ました。国鉄の技術陣は、どちらかというと保守的な傾向があるといわれることがあります。ところが、戦後直後のこの時期に、かつては航空機をつくっていた技術者たちによって、モノコック構造という航空機の設計技術の転移がなされたのです。

 

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 在来の客車と比べると、大きな窓とノーシル・ヘッダーの滑らかな国鉄客車の近代化を推し進めた輝かしい実績がある反面、10系客車はその軽量構造が災いして、車体表面に歪みが出てしまっている。そのため、老朽化が比較的早く進んでしまったため、スハ43系などの「重量客車」との交代を余儀なくされ、分割民営化まで座席車はほとんどが廃車となってしまった。(ナハフ11 1〔福フチ〕 2011年7月21日 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)

 

 こうして、これまでの客車とは比較にならない軽い重量を誇る10系客車が誕生したのでした。

 10系客車の大きな特徴は、台枠構造にありました。台枠は、鉄道車両の根幹をなすもので、車両の強度を大きく左右するものです。従来はレール方向に2本の側梁があり、その間の中心に貫くように中梁が取り付けられています。しかし、10系客車では、その中梁を省略した上、凹凸のあるキーストンプレートと呼ばれる波形鋼板を採用して、ここに強度をもたせたのです。

 車体にも大きな変化がありました。従来は板厚2.4mmの鋼板が使われましたが、10系客車では1.6mmにまで薄くなりました。たった8mmの厚さを削減したといえば、その程度かとも思われますが、これだけの厚さを削るのは簡単なことではありません。車体自体の強度にも大きな影響を及ぼすので、安易に軽量化することだけに囚われて、車体強度を無視することは安全性にも影響を及ぼします。しかし、10系客車では車体歪みを適正化や、溶接技術の進歩によって、この厚さを削ることを可能にしたのでした。

 その成果の1つが、従来の客車にあった側窓の周りにあったウィンドシルとヘッダーが廃されたことでしょう。このウィンドシルとヘッダーは、窓の開口部に強度を担保させるものでした。しかし、このウィンドシルとヘッダーがなくなったことで、窓の開口部面積を大きく取ったとしても、強度の低下を招かない構造となったおかげで、大きくて開放感のある窓を設置することを可能にしたのでした。

 更には台車も軽量化を実現させています。従来の台車は、台車枠を形鋼や鋳鋼のものが使われていました。これらは強度はあるものの、重いという欠点があったのです。10系客車には、新設計のTR50が使われますが、この台車は一体プレス成形した鋼材の部品を溶接して組み立てた構造となり、従来のTR47やTR23などと比べて大幅な軽量化を実現させたのでした。

 このように、従来の客車とは比べものにならない軽量化を実現した10系客車は、19955年から試作を経て量産されていきました。そして、三等座席車としてナハ10とナハフ10が製造され、次いで三等寝台車であるナハネ10、更には二等座席車であるナロ10などが製造され、10系客車は一大ファミリーを形成していきました。

 

《次回へつづく》

 

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