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筆者が幼い頃、貨物列車には多種多様な貨車が連結されていたことは、既に何度もお話させていただいています。その多様な貨車の中でも、車掌車や緩急車はどうしても惹かれる存在で、それに乗って遠い見知らぬところへの乗務をすることを夢見たものです。
もっとも、これらの車両に乗るのは国鉄の職員だったので、乗り心地などはあまり考慮されていません。執務に必要な椅子や机、そして冬季の暖房しか備わっていないものの多く、冷房装置なんてものは当然ありません。しかも、後年になって保存展示されている車両の中を覗くと、扇風機すら備え付けられてないのには驚きました。
今日のように猛暑だとか酷暑だとか言われるような気候ではなく、夏といえでもせいぜい29℃ぐらいまでしか上がらないのが普通で、30℃を超える日の方が珍しかった時代だったのでそれほど問題にはならなかった(あえて「しなかった」のかもしれません)のでしょう。
とはいえ暑いものは暑いので、これらの車両に乗務していた車掌→列車掛の方たちは、今では想像もできないような過酷な環境で執務されていたと思われます。
ところで車掌車や緩急車といった貨車たちは、貨物列車の最後尾に必ず連結され、車掌または列車掛が乗務していました。彼らの仕事は長大編成を組まれる貨物列車の後方監視や異常時の緊急停止措置、そして事故などが発生したときには列車防護など保安要員として重要な役割を担っていました。
そうした職員たちが乗る貨車でも、有蓋緩急車と呼ばれる貨車は、どちらかというと貨物取扱駅と操車場間を結ぶ短距離列車に連結されることが多かったそうです。まあ、中には例外で、操車場間を結ぶ長距離列車にも連結されることがあったようですが。
有蓋緩急車はその名の通り、有蓋車に非常ブレーキとしての車掌弁を備えた貨車です。当然、この貨車には車掌ないし列車掛が乗務できるような構造と設備を備えていました。
戦前製のワフ21000は車掌室の割合が大きく取られ、貨物を載せる貨物室は申し訳程度の広さしかなく、積載荷重も2tととても小さいものでした。車掌室が広いと言うことは、乗務する職員の執務環境もそれなりに良い方でした。
ところが、戦時中に作られたワフ25000やワフ28000は貨物室を広く取りました。これは、戦時中の物資輸送が極端に増え、輸送力を増強するための措置でした。そのため、車掌室は極端に狭くなってしまいました。その広さはたったの4.3平方メートル。畳2畳良い少し広い程度で、そこに執務用の椅子と机が備え付けられていました。
この狭さだった故に、暖房用のストーブなんて物は省かれてしまいました。
ワフ25000は鋼製車体だったのでまだいい方でしたが、ワフ28000は戦時中の資材不足と代用品の活用で木造車体になってしまいました。当然、走行中には隙間風が容赦なく入ってきて、冬季などは想像も絶する寒さとの闘いだったそうです。それ故に緩急車を捩って「寒泣車」と揶揄されました。
戦後になって登場したワフ29500は、そんな誰もが乗りたがらなかった有蓋緩急車の環境を大きく改善しました。写真を見ていただいてもお分かりになるように、ワム90000とヨ5000をそれぞれ半分にしてくっつけたような構造で、当然、車掌室内も当時生産されていたヨ5000並になりました。戦時中は省略されてしまっていたストーブも備え付けられ、出入用のデッキを持った構造になりました。乗務する車掌や列車掛の執務環境も戦前のワフ21000に近いものへと大幅に改善できたのです。
その後、このワフ29500並の設備へと改善するため、ワフ25000やワフ29000といった車掌室が狭い構造の有蓋緩急車も、近代化工事を受けて大きく変化し、外観も設備もほぼ同一になりました。
こうして設備が整った有蓋緩急車たちは、多くの貨物列車の最後尾に連結され、全国各地で活躍しました。国鉄時代、ヤード継走輸送と車扱貨物が中心だった頃、機関車に牽かれた数量しか連結されていない列車にも、このワフ29500のような有蓋緩急車は必ず繋がっていて、そこには次の停車駅での作業に備えて一休みしている列車掛の姿も見えたものです。
残念ながら、1984年2月のダイヤ改正で貨物輸送の大合理化によって、貨物列車の車掌車や緩急車の連結は廃止されてしまいました。ほとんどすべての車掌車や緩急車たちは仕事を失い、余剰車となってしまいました。当然、戦前製の車両は廃車になり、戦後生まれの車両も、車齢が若いヨ8000のごく一部が残されたのを除いて、あとはすべて廃車・解体の運命を辿っていきました。
そんな中でも、ごくごく僅かな車両は解体こそ免れ、保存展示されています。小樽市総合博物館に展示されているワフ29984もその1両で、かつての貨物列車の「殿」を受け持っていた姿を今に伝えています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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