《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。 国鉄が生み出した…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、キハ35系は気動車としては異色の存在だといえるでしょう。 そもそも気動車は非電化の鉄道路線で運用することが前提です。非電化ということは、ごく一部の例外を除いて電化するほど輸送量が多く…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 房総半島の、とりわけ内房線の電化が比較的遅かった理由の一つとして、君津市の鹿野山にある国土地理院鹿野山測地観測所の存在があったと考えられます。鹿野山の測地観測所では、地磁気の観測を行っていま…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 首都圏のJR線は、今でこそそのほとんどが電化されたり、あるいは蓄電池車に置き換えられたりしましたが、国鉄が分割民営化された1987年には非電化のままだった路線がいくつかありました。 例え…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 西鉄北九州線ですが、筆者が門司にいた1991年当時はまだ現役でした。現役と言っても、翌1992年に砂津ー黒崎間が廃止になってしまったので、既に実質的な廃止直前の頃と言ってもいい頃でした。 そもそも西…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、日本の各地には路面電車が市民の足として活躍していました。人口100万人程度を超える政令指定都市の多くは、大なり小なり併用軌道が道路に敷かれ、そこには1両単車から2〜3両の連接車な…