旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【終章】

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《前回のつづきから》

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 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特に利用者が少なく、日中などは閑散としたものです。それでも、もともと道路事情が芳しく無く、そして路線バスも大都市圏ほど頻繁に、そして網の目のように路線網が充実しているわけでもないので、高校生などが数多く利用する路線でもあったのです。キハ30はこうした学生を数多く乗せて、房総半島の中ほどのちを走り続けました。

 そのキハ30は、民営化後にエンジンの換装を受けました。これは、民営化直後の1988年にキハ58系改造のジョイフルトレインアルカディア」が走行中に火災事故を起こしたことによるものでした。国鉄気動車用として標準的に装備していたDMH17系列エンジンは、基本設計が戦前のものであり、燃料を消費する割には出力が低く、しかも排気管加熱事故を多発させるエンジンとしての「癖」があったのでした。一方、1980年代末頃には、ディーゼルエンジンの性能は飛躍的に向上していて、自動車や船舶で使われるディーゼルエンジンは、燃料噴射方式が直噴式となり、しかも低排気量で燃費もよく、そして出力も高いという高性能ぶりは、国鉄気動車が装備していたディーゼルエンジンとは比べ物にならないほどでした。

 

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木更津駅構内に隣接する幕張車両センター木更津支区の留置線で脚を休めるキハ30 98。この写真を撮影した2012年初めには、既に久留里線にも輸送改善の波が押し寄せていていて、年内には通票閉塞が廃止されることになっていた。キハ30もまた代替になる予定となっており、JR東日本国鉄時代の塗装を復活させて最後の「花道」を歩ませていた。かつて、気動車王国と呼ばれた時代には、このような気動車があちこちで活躍していたが、国鉄時代からの古豪はこのキハ30 62と98、そして100だけであった。この年の12月には運用を離脱、翌年には房総半島の反対側にあるいすみ鉄道へ譲渡された。いすみ鉄道譲渡後は、いずれは復活させて運転に供する計画のようだが、国吉駅に留置されて構内での体験運転などに使用されている。(キハ30 62〔千キサ〕 2012年1月5日 幕張車両センター木更津支区 筆者撮影)

 

 このように、民生品では高性能エンジンがあるにもかかわらず、国鉄気動車は古い設計で、しかも効率の悪いエンジンを使い続けた背景には、国鉄技術陣が新機軸に導入に否定的な保守的思想があったことや、民生品のエンジン開発を参考にすることなく、国鉄技術者としてのプライドがそうしたことへ否定的になったともいわれています。いずれにしても、後に開発されるキハ40系用のDMF15系列もまた、燃料噴射方式は予燃焼室式のままで、出力も220PSとようやく200PSを超える程度の性能でした。

 こうしたことから、JR東日本保有する国鉄気動車のエンジン換装が始まり、キハ30も1992年までにカミンズ製のDMF14HAに換装され、出力も350PSと大幅に向上したことで、それまでの鈍重という国鉄気動車のイメージを変え、高効率で軽快な走りを見せるようになりました。

 木更津支区配置のキハ30は、最終的には68、98、100の3両だけでした。もちろん、いくら久留里線がローカル線だとしても、この3両だけで輸送を賄えるはずもないので、国鉄末期に廃車発生品などを有効活用して製作された、キハ37キハ38とともに地域輸送に徹したのでした。とはいえ、キハ37キハ38は後年の製作だったために、冷房装置が装備されているので特に夏季はこちらが主力となり、キハ30は冬季を中心とした活躍に終始しました。

 それでも、車齢50年近くというのは昨今の鉄道車両から比べると非常に長寿であり、これまでも何度か国鉄形車両を紹介するたびにお話してきたように、国鉄は堅実かつ剛健な車両設計をしていたことの現れだといえます。エンジンこそ基本設計が古く低性能・非効率なものを搭載していましたが、民営化後にそれも一新したことで長きにわたる活躍を実現させたといっても過言ではないでしょう。

 かつて、房総半島(=千葉局管内)が気動車王国であり、国鉄気動車モデル地区に指定され、次々と真新しい気動車が送り込まれて試験なども行われたものの、やがて木原線と久留里線を除いて房総各線は電化されたことで、かつての姿がまるで嘘だったかのように気動車は一層されてしまいました。残った非電化区間のうち、木原線は第三セクターへ転換され、残るのは久留里線だけとなり、1960年代の気動車王国の残像を今日まで伝えていたといえるでしょう。その久留里線も、2012年12月にキハ30をはじめとする国鉄気動車が運用を離れ、ステンレス車体のキハE130へ置換えられました。以来、この新系列気動車久留里線の主役となりましたが、やはりキハ30のような重厚感はなく、ステンレス車体のイメージから来る軽量感から、一体いつまでこの車両は走るのだろうかと訝しげな気持ちになります。それだけ、気動車だけでなく、蓄電池電車など非電化区間で用いる鉄道車両の技術の発達がめざましいことの表れかもしれません。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、思うように出かけることもままならない状態が続いていますが、それが終わったら、ぜひとも千葉を訪れて、”今の久留里線”の姿を記録に残しておきたいと思います。それだけ、目まぐるしいのですから。

 

 今回も長文になりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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