旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両は製造されてからそのままの姿で与えられた役割を果たし、耐用年数が来るなどして引退していきますが、そうした例は意外と多くなく、大抵の場合は運用される線区での実態や、新型車の登…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【5】

《前回のつづきから》 こうした流れの中で、岳南線に乗り入れる紙輸送列車は変わらずワム80000によって行われていましたが、JR貨物としては早期にコンテナへ転換したかったのです。というのも、ワム80000の最高運転速度は75km/hに留まっていたので、高速化す…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年2両が落成したED40は、計画通りに上高地線でのダム建設工事用資材を輸送する貨物列車を牽く任に就きました。建設資材という重量物を輸送するため、ED40の新製だけでなく、上高地線の軌道を強化する…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。 それま…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通…

常識を覆して「短い特急」を具現化したクモハ485【3】

《前回のつづきから》 1986年までに落成したクモハ485 100番代は、南福岡電車区に配置されて、民営化後を見据えた国鉄最後のダイヤ改正で、計画通りに熊本発着の「有明」に充てられるようになりました。ここの国鉄史上最短の特急列車が誕生することになりま…

常識を覆して「短い特急」を具現化したクモハ485【2】

《前回のつづきから》 485系を4M1Tで5両編成を組むのには、少なからぬ問題がありました。 そもそも485系は長大編成を組んで運用することを前提に開発されたので、電動車はすべて中間車として設計されています。また、グリーン車は車内の静粛性を優先させるた…

常識を覆して「短い特急」を具現化したクモハ485【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 特急列車といえば、かつては10両以上の長大編成を組み、中にはグリーン車はもちろんのこと、食堂車も連結して長距離を走破する列車でした。これは、かつての国鉄の特急列車は主要都市間を相互に結…

豪雪地帯から南国へ移った赤い電機の悲運 波乱と薄幸のED74【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info このブログでも何度かお話しましたが、国鉄は原則として独立採算制の国有公共企業体です。原則として税金を投じることはなく、運賃収入を基本として経営されることになっていました。ただし、運賃収入だけ…