《前回のつづきから》
このブログでも何度かお話しましたが、国鉄は原則として独立採算制の国有公共企業体です。原則として税金を投じることはなく、運賃収入を基本として経営されることになっていました。ただし、運賃収入だけでは全国津々浦々に鉄道輸送サービスを提供することは難しく、国からの支援金が交付されていました。また、運賃収入と支援金だけでは支出を賄えない場合は、国から資本勘定という形で補助金が交付されていました。ですから、結果的には税金が国鉄にも投じられていたわけです。
国から税金が投じられていたこと、そして国鉄の予算案は運輸大臣を経て国会に提出されていたことなどから、大蔵省や会計検査院の監督を受ける立場にありました。
この国鉄の会計手続きが、実のところED74を長期休車・留置に至った理由の一つとして挙げることができます。
ED74の製造には、昭和36年度第一次債務予算で賄われました。言い換えれば、国鉄の自己資金である本予算では購入できない、でも、北陸本線の電化延伸工事は完成してしまい、完成後に電気機関車は手持ちのED70だけでは足りない。だから、鉄道債券を発行して、つまりは借金をしてでも機関車をつくってしまおうというものでした。
国が監督している以上、国鉄も無駄遣いをすれば当然、厳しい指摘と改善が勧告されます。ED74についていえば、当初は平坦区間ではD級機を、勾配区間はF級機と棲み分けるつもりでした。ところが、列車単位を引き上げたときには全区間をF級機にすれば、わざわざD級機を作る必要もなくなり、その分だけ余計に車両をつくって支出も増えてしまうので、D級機であるED74は結果的につくる必要がなかった、ということだったのです。
わざわざ鉄道債券を起こして国民から借金をしてまでつくったED74は、新製後たったの6年で本来の用途を失い余剰化してしまったのです。当然、こうした事態は国鉄にとって最悪のことで、国も、特に会計検査院が黙って見過ごすことができない「無駄遣い」になってしまったのです。
そこで考えられたのがED74の九州転用でしたが、結果的にここでもあまり使われずに運用を外されていきます。このまま廃車にすると、税法による電気機関車の耐用年数は18年と定められており、これ以前に廃車にすると耐用年数前に滅失したと扱われて、固定資産の損失として計上されることになります。この「損失」こそが「無駄遣い」となるので、国鉄としてもなんとかそれは避けるため、製造からの耐用年数が18年を過ぎた1982年にようやく廃車されたのでした。
このことは、ED74にとっても不幸なことで、ほかにも転用ができたのではないかと考えられます。軸重制限がない東北本線などでの仕様も考えられることですが、こちらは電源周波数が50Hzになるため、主変圧器などの電装品を改造ないし交換する必要があります。
結局は、所期の目的を果たすことができず、転用先でも持て余された挙げ句に長期に渡って野晒しにされる羽目になる。数多くの国鉄電機の中でも、悲運の持ち主の一つだったといえるでしょう。
今日、当時の国鉄のような発想は一切許されません。機関車の付替えは運転時間を伸ばすだけでなく、それに携わる人やコストがかかり経営上芳しいものとはいえません。また、数多くの形式を保有することは、検修に携わる人的なコストもかかり、運用も複雑になっていくので、車両型式は可能な限り統一されています。
もっとも数多くの機関車を保有するJR貨物も、こうした方針で車両製造を計画しています。山陽本線の瀬野八超えには、かつて補機としてEF59やEF61 200番代、今日はEF67を運用しています。しかし、EF67の老朽置き換え用として登場したのはEF210 300番代で、この後のEF210はすべて300番代に製造が移行しました。100番代との並行新製でもよさそうに思えますが、300番代だけを別運用にすると運用計画がかえって複雑になるので、0番代や100番代と可能な限り共通運用に就かせれば、高価なコストを掛けて製作した機関車を最大限に活用でき、ひいてはコストパフォーマンスに貢献するのです。
分割民営化後、多くの機関車を擁するJR貨物は、民間企業になったことで費用対効果を意識した車両の増備をするようになった。EF210はEF66とEF65の後継に位置した直流機であるが、1996年に試作機が開発されて以来20年以上も製造が続いている。これは、必要だからといって債務を負ってまでつくるのではなく、手持ちの車両を整備して使い続けながら、計画的に置き換えていくためといえる。また、2012年から製造された300番代は、本来は瀬野八用の補機であるEF67の置き換えを目的に改良を加えたものだが、以後の増備は300番代に統一し、100番代の増備を打ち切ることで運用コストの適正化を狙っているといえる。(EF210-315〔吹〕 2021年7月26日 新鶴見信号場 筆者撮影)
九州島内で活躍するED76やEF81の後継には、EF510 300番代で置き換えることになりました。交流電化区間内だけで運用するのなら、わざわざ交直流機ではなく交流機をつくったほうがコスト的にもよさそうな気がしますが、新たに交流機を開発するためにはそのコストが掛かります。また、完成したとしても、他には転用が効かない、広域での運用ができないのではコスパ的には避けたいものです。そこで、既存の実績ある車両をわずかに改良を加えたほうが、費用対効果は高くなるのです。
こうした方針は、国鉄時代では全く考えられなかったことであり、分割民営化直後の苦しい時期を乗り越えながらノウハウを蓄積し、民間企業としてはあたりまえの意識が浸透した結果と言えます。
しかしながら、国鉄は予算というものに無頓着だったあまり、コストのかかる運用や車両製造計画を平気で行っていました。その背景には様々な要因がありますが、ED74に関して言えば計画の見通しの悪さと、コスト意識の低さ、必要なら借金をしても構わない、あとは国が助けてくれるという土壌が、悲運の機関車ED74を誕生させたといっても過言ではないでしょう。
また、長距離列車は機関車を付け替えることで運転されていた蒸機時代の慣習が、そのまま電機にも当てはめていたことも問題でした。確かに機関車を付け替えることで1両あたりの走行距離は減り、検査周期を長く取ることができます。しかし、蒸機は燃料である石炭や、蒸気発生させる水の補給という問題があるからこそ、途中で付け替え何両もの機関車がリレーをしていました。
これは蒸機特有の避けては通れないことでした。しかし、電化されて電機が牽くようになってからは、こうした何両もの機関車を付け替えることで、必要となる機関車の数は多くなり、それだけ製造や運用のコストを上げてしまったのです。このことは、ED74だけに限らず、多くの国鉄電機にいえることだと考えられます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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