過酷な猛暑の鉄路【前編】
これを書いている2018年の夏は、これまでに経験したことのない記録的な猛暑の日が続いている。
連日の気温は35℃以上はあたりまえで、30℃を下回った日なんか片手で足りるくらいだ。埼玉県の熊谷で、過去最高の41.1℃を記録した日なんかは、数字を聞いただけで目が回ってしまいそうだ。
こんな記録の更新はできればしてほしくないから、皆さん、本当に熱中症にならないように十分水分をとって気をつけていただきたい。
私は鉄道マンになって4年目、つまり1994年の夏も猛暑だった。もっとも、夏は猛暑にならなくても線路沿いというのはどうしても気温がほかより高くなってしまう。
その理由はいくつかある。
一つはレールだ。なんといってもレールは鉄でできている。そのレールが照りつける夏の日差しで温められれば、熱を蓄えてしまうから暑くなってしまう。
もう一つは道床、つまり砕石だった。
この砕石は線路を通過する列車の重みや振動を分散させて、レールや枕木が壊れたり消耗していく早さを遅くしたりるするし、高速で列車が通過するときの騒音も減らしてくれる必要なもの。
ところが、この小さな石もまた、太陽の日差しに照りつけられれば、レールと同じく熱を蓄えてしまう。夏場にこの砕石を素手で触ろうとすると、暑くて持つことなどできないほど。ヘタをすればヤケドすることだってあるほど熱い。
このレールと砕石、二つのダブル効果(?)で、夏の線路沿いというのはもしかすると道路よりも気温が高く暑いと思う。実際に測ったことはないが、たぶんほかの場所よりも3~5℃ほどは高いのではないだろうか。
このように、ただでさえ熱を蓄えて気温が上がりやすい線路沿いなのに、そこへ猛暑なんてものがやってくると、その年の夏の作業は文字通り暑さとの闘いになるものだった。
だから、夏になると毎日天気予報と睨めっこだ。
今日の最高気温は何度だ、30度を超えるか超えないのか、なんてことを気にするようになっていた。だから、出勤してすぐにテレビの天気予報は必ず観る習慣がつくようになっていた。
この1994年は、後に書くことにもなるが、組織改正があった後なので、電気区ではなくなっていた。施設系統の部署を統廃合して、名前は保全区という名称に変わっていた。
それまでの施設区(旅客会社でいうところの保線区)と電気区(同じく信号通信区や電力区)が一つの組織になった、ということだ。
といっても、ここで働いている職員は僅かな異動があった程度で、1991年に配属された当時とほぼ同じだった。かくいう私は、92年からこの組織改正までは梶ヶ谷派出に勤務していたので、本区への「出戻り」になってしまった。
少し話がそれてしまったが、最高気温が30℃を超えると超えないでは、その日の作業が大きく変わることがあった。
特に施設の人たちの仕事は極端に変わってくる。
30℃を超えるとなると、臨時に線路の巡回検査をすることになっていたからだ。
この巡回検査は、基本的に徒歩で線路上を歩いて、異常がないかを目視で検査するというもの。しかも、気温が暑い日に、ほかより暑くなりやすいところを歩くのだから、それはもう自分からオーブンの中へ入っていくようなもので、まさしく体力がなければ務まらない仕事だ。
なぜ、わざわざそんな日に、そんなところのへ行くの?
なんて疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれない。
でもね、この暑い日にわざわざ歩いて線路を見て回るのには意味がある。
何度もお話ししているように、線路は鉄でできたレールと、木やコンクリートでできた枕木、そして砕石を敷き詰めた道床でできている。
そんな熱を蓄えやすい物でできた線路の中で、レールは特に熱に弱い。
鉄は熱を加えると膨張といって伸びる性質がある。逆に冷やすと縮んでしまう。
この鉄の性質が、暑い夏の日にレールを伸ばしてしまうのだ。
ただ伸びるだけだったら特には問題にならないが、それが許容以上に伸びてしまうと、隣のレールに伸びることを妨害されてしまい、いきどころをなくしたレールは仕方なく伸びた力を真ん中に集めてしまう。
そうなってしまうと、レールが歪んでしまい列車が走れなくなってしまうのだ。
たまに、ニュース番組で「この暑さで、○○線の線路が歪んで、一時運転を見合わせました」ということを報道されるあの現象だ。
当然のことだが、そんなことはない方がいいに決まっている。
ただ自然現象にはかなわないところもあるので、レールの歪みのために列車が脱線して事故を起こさないようにするために、先回りして歪みを発見して事故を防ぐのも、この巡回検査の目的だ。
だからこそ、暑い日にわざわざ徒歩で線路を見て回り、異常がないかを確かめるのだ。