東武鉄道というと、日光へ行くことができる電車、そして埼玉から北を走る鉄道という印象です。
とはいっても、私にはあまり縁のない鉄道で、幼い頃に母に連れられて伊勢崎線沿線にある親戚の家に行ったときに乗ったことぐらいしか憶えてません。
その頃の東武といえば、セイジクリームと呼ばれる限りなく城に近いクリーム色一色の電車です。私が見慣れているのは、南武線のカナリアイエローか、それとも目蒲線のライトグリーンかというぐらいで、あとはステンレスの銀色でしかありませんでした。
その東武鉄道に9000系、10000系とステンレス車が入ってきました。
1980年代もはじめの頃のお話。
この時代、オールステンレス車というのはまだまだ貴重だったようです。
オールステンレス車を製造する技術は特許に守られていて、それを日本で製造できるのは東急車輌だけでした。だから、東武もオールステンレス車を導入するときには、当然、東急車輌に発注しています。
だからというわけではないでしょうが、側面だけを見ているとどこの会社の電車か分からなくなってしまいます。
窓の端につけられた丸みが、僅かに東武らしさを演出しているようです。
デザインこそ、東武らしい顔立ち。
オールステンレス車の元祖の東急は機能重視のシンプルなデザインばかり、いわゆる「食パン顔」だったので、この少し丸みを帯びた折妻は、無機質になりがちなステンレス車に少しばかりの柔らかさを演出してくれます。
側面のコルゲート板が、この電車がつくられた時代を表しているようです。
ステンレス車体は外板を薄くできるメリットがありますが、この当時の技術ではその薄さからくる歪みはどうにもできず、波を打ったコルゲート板で歪みを隠していました。
まさに昭和時代のステンレス車そのものです。
時代は流れ、それまで縁のなかった東武の電車は、毎日あたりまえのように見かけるようになりました。
北関東の緑多い平野を走ることの多かったのが、南関東の高層ビルが建ち並ぶ光景の中をも走っています。
今ひとつ慣れずに違和感を感じるのは、年とともに私の頭が堅くなったからなのでしょうか(笑)
とはいえ、たまの休日に、このマルーンの帯を巻いたステンレスの電車で、ふらりと北関東を訪ねてみるのもいいかもしれません。
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