旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 マルーンの艶やかさは移籍先でも・能勢電鉄1500系(Ⅱ)

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マルーンの艶やかさは移籍先でも・能勢電鉄1500系(Ⅱ)

 阪急電鉄での勤めを終えた2100系は、正面に少しだけ手を加えられて子会社である能勢電鉄へと籍を移しました。ちょうど長く勤めた会社で定年になり、残りの勤めを子会社へ出向したり転籍したりするサラリマーンのようでした。

 能勢電鉄へ移ることが決まった2100系は、生みの親ともいえるメーカーであるアルナ工機へと送られました。というのも、この当時の能勢電鉄は架線電圧が600Vのままでした。もともとは600Vに対応した電気機器を装備していた2100系ですが、仕事場である宝塚線が1500Vへと昇圧されていたので、2100系も1500Vに対応できる工事を施されていました。


前回までは

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 しかし、移籍するにあたって再び600Vに対応できるように再改造の必要があったのでした。

 移籍前の改造工事はこれだけではありませんでした。

 すでにこの当時は通勤電車といえども、冷房装置の装備があたりまえになりつつありました。そこで、架線電圧が600Vに下がった分だけ電気的に余裕も生まれ、4両編成を組むことが前提となったので、これらの車両にも冷房装置の取付工事も施されたのです。

 能勢電鉄としては、初めての冷房装備車となりました。

 こうして、アルナ工機で改造を施された2100系は、名前を1500系と改めて能勢電鉄へと移っていきました。

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 しかし、車体の色は阪急電鉄時代と変わらず、阪急マルーンのままでした。

 先代の1000系が能勢電鉄へと移った当初は、オリジナルのマルーンとクリーム色のツートンカラーであったり、オレンジとクリーム色のいわゆる「フルーツ牛乳」色に塗られていたりして、一目で所属する会社が異なることが分かりました。

 ところが2100系→1500系は、阪急電鉄時代と同じマルーン一色のままでした。

 車体の色が変わらなければ、その電車が所属する会社が変わったことなど、あまり知られるものではないでしょう。その仕事に就いている人か、あるいは趣味として知る人でなかれば、同じ電車に過ぎません。

 とはいえ、極端に違う色ではなく、艶があり高級感漂う阪急マルーンを身に纏ったままというのは、御役御免となって子会社へ移っていったものの、過去の功績と栄誉をそのまま保つことを許されたともいえます。

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 阪急時代のままだったのは車体の色といった外見だけではありませんでした。

 お客さんが実際に乗る車内もまた、阪急時代のままにされました。

 座席はグリーンのモケットで、壁は木目調の化粧板です。阪急の車両は、昔から内装に木目のものを使う伝統があり、ついつい無機質になりがちな車内も木目の化粧板を使い、上質で落ち着いた空間を演出しています。

 この木目の化粧板とグリーンのモケットの座席という組み合わせ、座席をレトロなソファーに見立てると、車内はさながらレトロ感満載の応接間といった具合に見ることもできるのです。

 グリーンのモケットの座席は、さすがに長く使われ続けてきたので、人が座るところの色が変化していました。まあその分だけ、この座席にも長い歴史が刻まれているということでしょう。

 もっとも、このグリーンのモケットだからこそ、これはこれで深みがあると思うのは私だけかも知れませんが。

 (次回へつづく)