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海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(2)

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7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 

7-2 ED79という機関車

 青函トンネル専用機として計画されたED79は、既に述べたように新型機として開発・新製するのではなく、既存の車両を改造することによって賄うことになりました。その種車として選ばれたED75 700番代は、もともとは日本海縦貫線の一部を構成する羽越本線奥羽本線の電化用として、1971年から1976年にかけて製造された交流機でした。

 EF75 700番代は、基本設計は他のED75と同じでした。交流20000V50Hz対応で、動輪軸は4本のD級機でした。ただ、走行する奥羽本線羽越本線は豪雪地帯であることに加え、日本海沿岸を走行するところが多いことから、吹き付ける潮風による塩害が懸念されました。また、技術の発達により交流機器が小型化されたことで、それまでの交流機の特徴であった屋根上の高圧機器類はすべて車内に収められ、屋根上にはパンタグラフからの高圧引通し線だけが残るのみとなったのでした。

 ED79種車として選ばれるにあたって、一つは将来余剰となるか、あるいは改造によって抜けた穴を他機で代替が可能かという点でした。この点において、ED75 700番代は最適でした。

 それは貨物列車の大幅な削減により、これらの用途がなくなり余剰となっていたのでした。残る普通列車は、とうじは客車列車が中心でしたが、その所要数は在籍していた700番代をすべて必要とはしない程度で、万一にも不足するようなことがあれば、他のED75でも代替は可能でした。

 加えて700番代は製造から10年も経っていない、他の交流機と比べても車齢が若いことも選定された理由の一つです。老朽化の進んだ経年機を改造すれば、改造機といえどもその寿命は短くなってしまいます。

 数年程度で新型機に代替されるのなら話は別ですが、青函トンネルを所管するのはJR北海道になることが決まっていました。また、ここを走行する貨物列車はJR貨物が所管することになっていましたが、どちらも経営基盤は非常に脆弱であることがわかっていました。

 そうした新会社が、民営化後の早い時期に新型機を開発して置き換えることは困難であり、できる限り長く使える必要がありました。さらに、改造とはいえそれなりに費用を注ぎ込んでいるにもかかわらず、民営化後すぐ廃車にするような車両を引き継がせたとなっては、国の会計検査院も黙ってはいないでしょう。*1

 このような事情もあって、青函トンネル専用機関車の改造種車として、ED75 700番代が選ばれたのでした。

 

f:id:norichika583:20200704233755j:plain(©Sappoatu / CC BY Wikipediaより引用)

 

 ED79へ改造するにあたっては、本務機である0番代と、補機専用となる100番代に分けられました。本務機は旅客・貨物問わずに使われることを前提としていましたが、補機となる100番代は貨物列車にのみ使われるものでした。

 青函トンネルは50km以上という1つのトンネルとしては長距離ですが、勾配も連続12‰となるため、1列車あたりの重量が重い貨物列車では補機を連結した重連での運転を前提としました。これは万一故障や事故などでトンネル内に立ち往生したとき、再び加速するためには単機では力不足となってしまうため、勾配上でも列車を引き出すための必要があったからです。

 これは西の関門トンネルでも同様で、歴代の機関車はすべて貨物列車では重連で運転されています。

 ED75は低圧タップ切換制御と呼ばれる制御方式でした。これは、主変圧器の二次巻線側(低圧側)に設けられたタップと呼ばれる引出し接点に、スイッチを使って巻線比を変えることで電圧を変えるものです。

 この低圧側のタップから取り出した電流は、主整流器で直流に変換されて主電動機へと流されますが、このままでは電流のピークが発生しやすく、タップの切換によって電圧にも差が出てしまいます。また、このままではかつて連続電圧制御が可能な水銀整流器を装備していた初期の交流機が、その扱いにくさからシリコン整流器に換装されたために連続電圧制御を失ってしまったという弱点を抱合したままになってしまいます。

 そこでED75には磁気増幅器という装置を装備しました。これを通すことで、低圧タップ切換で生じるピーク電流を抑え、さらにシリコン整流器を使うことによってできなくなってしまった連続電圧制御を可能にしました。この連続電圧制御が可能になったことで、動輪とレールに生じる粘着力も増したことで、直流機なら動輪軸が6個必要*2なところを、交流機では4個で同等の粘着力を得ることができました。

 しかしED79では、低圧タップ切換はそのままにしましたが、0番代では磁気増幅器とシリコン整流器という国鉄交流機の標準的な組み合わせから、半導体を使ったサイリスタ位相制御へ換装されました。これは、連続12‰の勾配を下るときに、従来のブレーキでは制輪子を使って減速するため、長時間ブレーキをかけていると制輪子と車輪のタイヤが熱をもち、やがてタイヤが熱膨張を起こして外れてしまう危険があるので、これらに対応するために回生ブレーキを装備させる必要があったためでした。

 サイリスタ位相制御を可能にしたのは、ED77やED78、EF71などの実績があったことで、青函専用機のED79にもこれを採用することができたのです。

 また、これらの電気機器の換装によって、屋根上には回生ブレーキ用の安定抵抗器の蒲が設置されました。ED75 700番代の時には高圧引通し線だけでしたが、ED79 0番代に改造された車両は、屋根上の銀色のカバーが目立つものとなりました。

 一方、車体にも僅かな改造が施されました。海底トンネルという常に湿度の高い環境での走行になるため、運転席の側窓は従来の落とし窓から、アルミサッシの引き違い窓に変えられました。また、その窓下には青函トンネル内で使用するための無線アンテナも設置され、小さな長方形の膨らみができました。

 補機用の100番代は0番代よりもさらに改造コストを抑えるため、改造も必要最小限に留められました。0番代では設置された回生ブレーキ用の安定抵抗器カバーはなく、制御機器もサイリスタ位相制御ではなく従来の磁気増幅器とシリコン整流器の組み合わせのままでした。

 また、補機となる100番代は貨物列車での運用に限定されることと、常に重連の函館方に連結されること(その逆の運用はない)から、運転席の側窓も函館方の運転席のみアルミサッシの引き違い窓に変えられ、青森方は従来の固定窓と落とし窓のままとなりました。

 青函トンネルでは保安装置もATCを使用するため、ED79ATCを装備しました。ただし、ATCとはいっても車内信号機は装備していますが、電車と電気機関車ではブレーキ特性も大きく異なるため、現示方式も異なります。そのため、ED79に装備されたATCATC-Lと呼ばれるものになりました。

 このATCも0番代にだけ装備されました。これは、高価なATCの車上機器を本務機だけに装備することで、改造コストを低く抑えるためでした。しかし、ATCのような保安装置を重連とはいえ、運用が限られる補機である100番代にまで装備させていたら、改造コストを増大させてしまいます。

 そのために、補機専用となる100番代には本線上で機関士が乗務する函館方の運転台にのみ、ATCの車内信号機など必要な装備を追加しました。また、ATCの受信機も函館方にのみ装備し、青森方の運転台は特に手を加えられることはなかったのです。

 

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#青函トンネル #交流電機機関車 #ED79 #国鉄 #JR北海道

*1:国鉄は国の公共企業体なので当然ですが、新会社も法律によって設立され、株主は国である特殊法人なので、監査は会計検査院が担当していました。現在でも、完全民営化された東日本、東海、西日本、九州を除く北海道、四国、貨物はその対象です

*2:直流機は抵抗制御であるために、ノッチの進段による電圧差は避けて通れない。そのため、主電動機にかかる電圧が変わるときにショックが生じ、そのために空転を起こしてしまう