旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(3)

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7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 

7-3 ED79の配置と運用

 こうして、比較的車齢の浅い交流機・ED75 700番代を改造して登場した、海峡線専用機ともいえるED79は、本務機である0番代21両(後期形からの改造)と貨物列車牽引時に連結される補機専用100番代13両(前期形からの改造)の全34両が出揃い、函館運転所に配置しました。

 といっても、青函トンネルの開通は民営化直後の1987年10月ですので、国鉄時代に設計・改造されたED79は、民営化前までは一度としてその役目を果たすことはありませんでした。

 もっとも、民営化後に青函トンネルを所管することになるJR北海道は、当初から経営基盤が脆弱であることが予想されていたので、新会社にはできるだけ負担が軽くなるようにと、国鉄自身が改造して引き渡すといういわば「置き土産」という感じでした。

 こうして函館運輸所に配置されたED79は、全機が予定通りJR北海道に継承され、所属も五稜郭駅近くにあるは青函派出に配置となります。そして、青森ー函館間の青函トンネルを有する海峡線専用機として、新たに設定された上野ー札幌間を結ぶ寝台特急北斗星」や青基ー函館間の快速「海峡」、さらには青森ー札幌間の急行「はまなす」など、ここを通過するすべての客車列車の先頭に立ち、本州と北海道を結ぶという重要な任をこなしていきました。

 

f:id:norichika583:20200704234316j:plain221.20 / Public domain Wikipediaより引用)

 

 一方、青函トンネルの開通は、旅客輸送だけでなく貨物輸送においても大きな変革を与えました。

 従来は青函連絡船に載せていた貨車を、直通列車として運転することが可能になったのです。そのこともあって、北海道産の野菜などといった生鮮品も鮮度を落とさず、東京をはじめ大都市圏の市場へと送ることが可能になります。

 また、民営化となったことで、それまで国鉄の規格に収まらない輸送形態のものは、よほどの特例がない限り輸送することができませんでしたが、そうした規制も少しずつ緩和されたことで、輸送に関するアイディア商品も生まれました。中でも生鮮品の鮮度を落とさずに輸送することが可能な冷凍コンテナは、関東ー北海道間で運用されるようになります。

 加えて、1980年代後半のバブル景気の到来で、鉄道貨物の輸送量は増加し続けていました。

 当初の計画通り、貨物列車も青函トンネルを通過して、本州と北海道間の貨物列車も運転されるようになりました。もちろん、ここを通過するすべての貨物列車にも、ED79が先頭に立ちますが本務機である0番代と補機である100番代が重連で運用されました。

 しかし、前述の通りED79を継承したのは旅客会社であるJR北海道で、貨物輸送を継承したJR貨物には青函トンネルで運用できるED79は1両も継承されませんでした。そのため、JR貨物青函トンネルを含む海峡線における貨物列車の運転は、すべてJR北海道に委託せざるを得ませんでした。

fつまり、JR貨物の貨物列車を、JR北海道ED79が牽引し、これをJR貨物五稜郭機関区の機関士がハンドルを握るという、民営化直後ならではの変則的な運用を強いられたのでした。

 ところが、社会の情勢はこうした運用でも対応できないほど、大きく変化していったのでした。

 

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