旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 国鉄の置き土産~キハ31~

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 1987年の国鉄分割民営化は、鉄道開通以来100年以上の歴史の中で、日本の鉄道システムの大転換期といえました。それまでよく言えば伝統的、悪く言えば硬直化していた鉄道は、地域輸送をあまり重要視しない長距離主体のダイヤ編成で、ちょっと鉄道で近くまででかけるのには適さないものだったといえるでしょう。

 その点では車両も同じで、電車であれば旧来からの抵抗制御固執し、気動車であれば基本設計が戦前のものといわれたディーゼルエンジンを装備し続けるなど、技術的には進化がありませんでした。

 ところが、分割民営化が決まるとそうした状況が大きく変わっていきました。

 気動車に装備するエンジンは、重量が重く非力で燃費の悪い国鉄が設計したDMF15などから、新潟鐵工所が設計した船舶用エンジンを鉄道向けに改良を加えたDMF13系列を採用します。

 DMF13は長く国鉄の標準ディーゼル機関として使われ続けたDMF17や、キハ40など国鉄末期に制式化されたDMF15と同じ6気筒エンジンですが、排気量は2~4リットル減りました。普通に考えると、排気量が減った分だけ出力は減ると思われますが、DMF13は250PSと高出力になりました。DMF17が180PS、DMF15が220PSだったので、このエンジンが高出力かつ高効率であることはお分かりいただけると思います。

 加えて、車体は軽量ステンレス構造となったので、従来の気動車と比べてもかなりの高性能だったことが窺われます。

 

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 さらに、車体の至る所にバス用の部品を流用しました。例えば乗降用のドアは、写真を見てもお分かりになるように、バスの折り戸そのままです。ドアを開閉させるドアエンジンもバス用のものを使いました。これは、大量生産されているバス用の部品を使うことによって、製造コストを下げることをねらったことによるものです。

 写真ではわかりにくいですが、台車は枕ばね、軸ばねともに金属コイルばねをつかったDT22/TR51Gを装備しています。この台車は新品ではなく、廃車になった気動車からの再利用でした。他にもブレーキ装置にも再利用品を装備することで、コスト軽減を図りました。

 このような一部は最新の機器を装備し、一部は再利用品を装備するという、何とも「寄せ集め的」な車両を製造したのには理由がありました。

 キハ31が登場したのは1986年でした。翌1987年に国鉄は分割民営化を控えていましたが、既にこの頃には新車の導入などほとんど不可能に近い状態の財政事情を抱え、しかも翌年には国鉄が消滅することがわかっていたので、設備投資は極端に抑制されていた時期です。それでも、新車を導入したのは、この車両を引き継がせることになっていた九州会社は、その経営基盤が非常に脆弱で、しかも継承させる車両はかなりの経年車が多く、民営化直後から新車への置換えを始めなければならない状況であることが予想されたからでした。

 そのため、可能な範囲で比較的経年の浅い車両を継承させるとともに、一部の車両については「国鉄であるうちに、国鉄のお金で新車を作って継承させよう」としたのです。こうすることで、九州会社の負担を少しでも軽減させるとともに、もしも新車を作ることになるのであれば、既に導入済みの車両をリピートオーダーさせれば、製造費用もそれなりに軽減できるであろうと目論んだのでした。

 とはいえ、何度もお話ししてきたように、国鉄も新車を作るような体力はもはやありませんでした。そこで、エンジンは船舶用で実績のあるものを鉄道用に再設計した軽量・高性能のものを採用し、台車やブレーキ装置などの備品は廃車となった車両からの再利用品で賄い、なるべく安価で高性能な車両を「置き土産」としてつくったのでした。

 コストを抑えたのは走行機器だけではありませんでした。車内の座席はなんと廃車になった新幹線0系からの再利用品。転換クロスシートを2+1のアブレストにして装備させたのです。一般用気動車で、再利用品とはいえ新幹線と同等の座席というのは、ある意味贅沢な装備品だったといえるでしょう。

 冷房装置は、これまたバス用の装置を流用したサブエンジン式のAU34が装備されましたが、国鉄から継承した気動車で、冷房を装備していたのは急行形のキハ58系だたけで、あとの一般形気動車はすべて非冷房であったことを考えると、国鉄なりに考え奮発したといえるのではないでしょうか。

 こうして誕生したキハ31は、1986年に20両がつくられて九州各地には位置されます。そのまま、翌年にはJR九州に継承されて引き続き、九州の非電化ローカル線で活躍を続けます。

 さらに1988年には、旧国鉄が目論んだとおりに3両が増備されます。エンジンは1基しか備えていませんが、軽量ステンレス構造の車体のおかげで、軽快気動車並みの性能を発揮したようです。

  経年で傷みにくい車体と、高性能なエンジンのおかげで、登場以来30年以上活躍しました。とはいえ、たった33両の少数形式であることが災いして、先輩であるキハ40系よりも先に廃車が進んでしまい、2017年には日田彦山線での運用を終え、2019年には三角線での定期運用を終了しました。

 国鉄が最後の力を振り絞って、経営が困難であることが予想されたJR九州への置き土産となったキハ31。それまでの国鉄気動車にはない発想でつくられ、ある意味過渡期の車両でしたが、個人的には一度乗ってみたかった車両だったので、それも叶わず消えて閉まったのは残念でなりません。が、こうして1枚だけでも記録に残せただけでも幸運だったのかもしれません。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#JR九州 #国鉄 #国鉄形 #気動車 #キハ31