旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 「あの夏」を思い出すショット

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 伊豆急行と言えば、最近では豪華クルーズトレインである「Royal Express」が北海道へ渡って、いよいよJR北海道線内を走行するという話題で賑わっています。本来であれば直流電車で、しかも私鉄の車両ある「Royal Express」が、北海道の非電化のJR線上を走るなんて、以前では考えられませんでしたが、時代は変わり様々な企画でこうしたことが実現されるようになりました。

 さて、伊豆急行はご存知の通り、静岡県にある伊豆半島東部を走る私鉄で、党友グループの傘下にある会社です。伊東線伊東駅国鉄/JRと接続詞、伊豆半島の南端にある下田を結ぶ地方私鉄線です。

 その伊豆急線には、かつては100系と呼ばれる電車たちが主力でした。

 100系は片側2扉で、車内はドア付近をロングシートにし、あとはすべてクロスシートを備え、観光地・保養地を走ることに適した車両として開発されました。塗装も上半分はマリンブルー、下半分はロイヤルブルーに、銀色の帯を巻くという伊豆の海を連想させるカラーリングが施されていました。

 実際に乗ったこともありますが、都会に生まれ育った筆者にとっては、なかなかお目にかかれない車体と、遠くへやって来て「旅をしている」という感覚をたっぷりと味わえる貴重な体験をさせてくれた車両として心にのこっています。

 ただ、一つだけ難点があったと言えば、この当時は冷房装置が装備されてなかったので、熱海駅までは冷房完備の国鉄車で涼しく快適だったのが、これに乗り換えた途端に暑くて汗だくになったことでしょう。もっとも、窓さえ開けていれば伊豆半島の新鮮な空気をたっぷりと吸い込むこともできたので、それはそれでよかったのかも知れません。

 

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 さて、今回の1枚は1985年8月13日、今からちょうど35年前に、熱海駅で撮影した写真です。

 日付をハッキリと覚えているのは、この前日に日本の、いえ世界の航空史上で最悪の航空事故「日本航空123便墜落事故」が起き、出かける朝からテレビはこの事故を報じる報道特番で騒然となっていたからでした。

 もっとも、日本中を震撼させた大事故でしたが、国鉄の駅はといえばいつもと変わらぬ「夏休みの賑わい」で、駅にはお土産をたくさん抱えて帰省する人や家族連れを多く見かけました。

 当時の伊豆急行の主力だった100系は、両運転台車のクモハ100、片運転台の電動車クモハ110、制御車のクハ150と後から増備された中間電動車モハ140で構成されていました。 

 ただ、クモハとクハに関しては、同じ形式であるものの、製造された年によってその形状が異なり、さらに中間車からの改造車まで加わるなど、多くのバリエーションがあって趣味的にも面白い車両でした。

 そんなことを知ったのは、実はもっと後になってからのこと。この写真を撮影したのは筆者がまだ中学生だったので、「遠くにきたぞ!おっ、伊豆急の電車だ!とにかく写真に撮っちゃえ!!」的な感覚しかなかったので、1枚撮影したらそれで満足、後は次の写真を撮りに移動してしまうような、今となっては恥ずかしいくらい浅はかだったことを思い出します。

 この年になり、写真を整理しながら当時のことをふり返るのですが、中には貴重なショットにも巡り会えます。その中の1枚が、この熱海駅で撮影したクモハ130だったのです。

 100系の前面は丸みを帯びた形状で、前期形は低運転台で窓も大きく、2灯の前灯は前面上部中央に配置されていました。後期形は高運転台になり窓も天地方向が縮小され、前灯も2灯ずつ左右に振り分けられて窓下に配置されました。

 ところが、中間車から改造された車両は、後期形に準じた高運転台のデザインでしたが、中間車から改造されたことで切妻になり、貫通幌も常備されるなど、少し角張った印象になりました。

 後に増備型となる1000系ともども、1両ものという貴重な車両を写真に収めることができていたのは嬉しいことですが、それにしてももう少しまともなアングルで撮れなかったものかと、少々悔いるものもあります。

 100系はこの後、冷房改造を受けて伊豆の東海岸沿いを走り続けましたが、後継となる2100系が導入され始めると、これに置き換えられる形で歯医者が始まりました。しかし、2100系はバブル経済の真っ只中に製造が始められましたが、バブル経済の崩壊とともに2100系の増備は打ち切られ、100系の置換えも止まったことで、廃車を免れた車両たちはその後も活躍を続けました。

 しかし1960年代に製造された100系は、海岸沿いを走るという路線の環境もあり、経年も高く老朽化も進行していました。2000年代に入り、後継となる車両として親会社である東急電鉄の8000系を譲受することを模索していたようですが、この頃は東急電鉄でも8000系を廃車する計画はなかったため、代わりに直通運転先であるJR東日本から113・115系を譲受して200系として導入を開始すると、100系・1000系の廃車が始まりました。

 2002年にはすべての100系・1000系は営業運転を離脱し、翌2003年にはすべて廃車となりました。青系の爽やかな印象を与える塗装を身に纏った伊豆急行の車両も、この時点で過去帳入りになってしまいましたが、その後、200系の後継として満を持して導入された8000系では、この塗装をモチーフにした帯色を巻き、100系のDNAを受け継いだといえるでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#伊豆急行 #伊豆急行100系 #私鉄の車両