旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 老兵、青く染まらずただ去りゆくのみ【後編】

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《前回からのつづき》

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 新7000系7000系や、アルミ車の先輩格である2100系、5100系などとともに、相鉄沿線の多くの乗客を乗せて走り続けました。途中、ボックスシートを備えたセミクロスシート車も増備され、接客サービスの向上を目論んだ意欲的な車両も存在しました。筆者も、このセミクロスシート車が連結されていれば、狙ってこの車両に乗ることもあり、電機メーカー勤務時代には月一回、本厚木にある事業所へで向くときに、その往復に相鉄線を利用しましたが、このセミクロスシート車に乗るのが楽しみでした。

 登場当初はアルミ合金の地色に、アクセントとなる赤とオレンジの帯を巻いていましたが、後に更新工事を受けたときなどに、ホワイトグレーにブルーとオレンジのラインを入れた、新しい標準色に塗られて装いも一新しました。また、製造途中からは制御装置を抵抗制御からVVVFインバータ制御へと変え、主電動機も直流直巻電動機からかご形三相誘導電動機へと変更されます。言い換えれば、新7000系は時代の変化に合わせて、見た目は同じままでも進化をした車両だったといえます。

 おもしろいことには、同じ7000系の一員でありながら、在来の7000系と運用が分けられてたことでしょう。特に抵抗制御車は機構的には在来車と変わらないものでしたが、筆者が知る限りでは両者が併結する場面は恐らくなかったのではないかと思われます。よしんば併結をしたとしても、在来の7000系は貫通扉には幌が取り付けてあり、編成間の往来が可能でしたが、新7000系は全面の貫通扉はあくまでも「非常口」という扱いだったようで、幌を付けることはありませんでした。

 こうして登場以来、横浜と海老名、そして湘南台を結んで走り続けた新7000系でしたが、最多の6000系が8000系、9000系、そして10000系などに置き換えられて線路から去っていき、さらに先輩格の2100系や5100系が引退していくと、いよいよ相鉄の最古参として、昭和の時代につくられたという特徴を保ちながら活躍を続けます。

 7000系たちにとって、大きな転機となったのはやはりJR・東急との直通運転構想だったと言えるでしょう。ここからは筆者の予想ですが、在来車、特に7000系にとってどちらも直通運転には不向きな装備をもっていました。その一つに、他社の車両とは大きく異なる直角カルダン駆動だと考えられます。

 

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©Sui-setz, Public domain, ウィキメディアより引用

 

 直通先で万一車両故障などによって車両の走行が困難になった場合、同じ構造をもった機器類であれば、直通先の事業者の車両基地などで応急処置をすることが可能でしょう。直通運転を実施するにあたって、事業者間同士で車両の使用などの協定を定めるのは、運転取扱いや検修面で可能な限り統一することで、現場の職員が対応し易くするためものであるといえます。しかし、特殊とも言える直角カルダン駆動、しかも抵抗制御ともなれば、直通運転などの対象から外されてしまうのは当然でした。

 加えて、直通運転用の車両を増備するとなれば、自社線内の車両基地にそれらを留置させる場所を捻出しなければなりません。当然ですが、1編成や2編成などといった少数ではなく、ある程度まとまった数が必要になります。まして、相鉄の場合、1事業者との直通運転だけに留まらず、JRと東急という二つに事業者と直通運転をする計画です。そうなると、それぞれの相手先の仕様に合わせた車両を用意しなければならず、その数は倍近くになってしまいます。

 こうした背景もあり、7000系自体も初期車では登場から40年以上が経った経年車であることもあって、新製される20000系や12000系に置き換えられる形で姿を消し始めていきました。

 そして、後継車となる20000系や12000系が、新たな標準色として制定された「YOKOHAMA NAVY BLUE」と呼ばれる光沢感のある濃紺色に塗られて登場し、さらには残存が決まった8000系や9000系がこの色に塗られて装いも新たにしていく中、新7000系は新しい塗装に塗り替えられることなく、ホワイトグレーの塗装のままハマの郊外を走り続けてきました。

 相鉄とJRとの直通運転が開始され、JRのE233系相鉄線内を走り始めるという、かつてでは考えられなかった光景を見届けると、いよいよその終焉が見えてきました。そして、2019年には在来の7000系が引退していき、その翌年となる2020年11月。ついに、新7000系もその役目を終えてすべての運用を終えました。

 本来であれば、多くの功績を残した鉄道車両たちは、それを称える行事などが催されるのが常でした。しかしながら、2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって、多くの鉄道事業者ではこうした行事を行わない傾向にあります。多くのファンが集まり、蜜の状態をつくるのを避けるため仕方がないとは言え、やはり寂しいことであるのには違いありません。

 筆者の青春時代、いろいろな想いを抱えながら乗った新7000系は、ある意味では親しみのある車両でした。こうして、静かに去っていってしまったのを思うと、どこか寂しくかんじるとともに、一つの時代が終わったこと、そして己の齢を今一度知らしめられたと感じるのでした。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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