旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 番外編・見た目は貨車でも分類は客車 期待に応えることなく数年で儚く散ったマニ44【1】

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 きっと活躍してくれるであろうという大きな期待をもたれながらも、その期待に応えることなく残念な結果になってしまいことがあると思います。例えば、「これは使えそう」と思い実際に買ってみたものの、意外にも使いづらかったり以前使っていたもののほうが使いやすかったりして、結局は使われずに放置されてしまいます。あるいは、仕事で「この人は使えそう」と期待していたにもかかわらず、期待したパフォーマンスを発揮しないでただの「お荷物」になってしまったことなど、身近で経験したことがあるのではないでしょうか。

 鉄道車両も同じような事例がいくつもあり、特に分割民営化直前の国鉄時代には、そうした車両がいくつかありました。

 かつて国鉄では、旅行者の荷物を運ぶ手荷物や、小さな荷物を引き受けて運ぶ小荷物を輸送していました。いわゆる「手小荷物輸送」と呼ばれるもので、それらは駅で手小荷物を引き受け、急行列車や特急列車に連結された荷物車や、荷物車や郵便者だけで仕立てられた荷物列車によって運ばれていました。

 その荷物輸送は、一般の旅客駅に窓口が設けられ、そこで荷物を引き受けたり引き渡していました。そのため、ごく一部の例外を除いて、荷物の積み下ろしは一般の旅客ホームで行われ、その荷役作業は人力に頼っていたのでした。

 荷物車の多くは、第一線で活躍を終えた車両たちを改造して賄われていました。座席を撤去して、車内で荷物を捌きやすいように金属でできた格子状の床板に張り替えられ、窓には破損防止用の鉄格子が設けられました。また、大きな荷物や大量の荷物の積み下ろしがしやすいように、大口の扉が追加されるなど、その外観や車内は他の旅客車と比べてもひときわ目立つものでした。

 こうした荷物車は、荷物の積み下ろしを1個単位で、しかも人力によって行われるという、極めて原始的な方法が続けられていました。そのため、始発駅や終着駅など停車時間に余裕がある場合は別として、途中の停車駅では停車時間が短いため、文字通り人海戦術に頼るほかありませんでした。しかしながら、こうした手法は自ずと人件費がかかり、ただでさえ荷物運賃は安価に抑えられていたので、荷物の取扱量が減っていく中ではコストがかかるものだったといえます。

 ちなみに、国鉄の荷物運賃がどの程度だったかといえば、10kgの荷物をもっとも遠い距離で運ぶ場合、手荷物なら480円、小荷物であれば680円でした(1974年国鉄荷物営業規則より)。当時の貨幣価値と今日のそれとはまったく異なるので、単純に比較はできませんが、旅客運賃が初乗り30円という時代だったので、長距離となればそれなりの運賃が設定されていたことを考えると、安価だったと考えられます。

 すでに国鉄は莫大な赤字に苦しんでいたので、1970年代から運賃改定を繰り返していました。1974年の初乗り30円が、2年後には倍の60円へ、その2年後に80円、さらに1年後には100円へと次々に値上げがされました。これだけ値上げが続くと国民からの理解は得られず、いわゆる「国鉄離れ」を加速させる結果になりましたが、国鉄としても莫大な赤字を解消させたいと必死だったのでしょう。

 そうした一方で、合理化も推し進められました。労組による反対などもあったようでしたが、手小荷物輸送については人海戦術に頼ることなく荷物の積み下ろしができるように、省力化を可能にするパレット輸送が導入されました。

 

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▲マニ44は荷物室を全室パレット輸送に対応させ、国鉄の荷物車の新しい標準形式と位置づけられて短期間で大量に量産された。パレット輸送に特化した荷物車としてはスニ40があったが、こちらはほとんど貨車同然であったのに対し、マニ44には前位側に車掌室と業務用室を、後位側にも車掌室を備え、妻面には後部標識灯(尾灯)を設置するなど、客車としての体裁をもっていた。

マニ44 2004 出典:Wikimedia Commons ©spaceaero2, CC BY 3.0,

 

 パレット輸送とは、運ぶ荷物(貨物)をパレットと呼ばれる板の上に、梱包した貨物を載せて運ぶことで、パレットに載せてあるので車両に積み込むときにも人手に頼ることなく、フォークリフトなどの荷役機械を使うことができます。

 国鉄の荷物輸送におけるパレット荷役は、これとは少しばかり異なり、キャスターのついたカゴ型の台車の中に手小荷物を載せて、車両への積み下ろしはこの台車を転がせばできました。従来は荷役の係員が一つ一つ積み下ろしをしていたのを、あまり力を使わず台車ごとの積み下ろせばいいので、これに関わる人でも大幅に削減することができたのです。

 こうした手小荷物のパレット化に対応するために、従来の荷物車とは異なる床構造にした車両として、マニ37が登場しました。しかし、マニ37はパレット輸送に対応した設備をもっていたとはいえ、そもそも旧式化・陳腐化して余剰となった60系やオハ32系を改造してつくられたため、遅かれ早かれ老朽化により運用ができなくなることや、マニ37は新聞輸送用のパレットであるA形パレット用だったので、手小荷物用のB形パレットに対応した車両が必要であり、これに対応した車両としてスニ40がつくられたのでした。

 このスニ40は、車掌室を備えたスニ41や郵政省の予算で制作された郵便車のスユ44と派生型がつくられましたが、その外観たるや高速貨車であるワキ10000とほぼ同じで、これが客車なのかとその目を疑いたくなる外観と構造でした。

 さらに、構造が同じならば荷物車と貨車を共用させて合理化を進めようという発想で登場したのがワキ8000でした。基本的な構造はワキ10000と同じで、高速貨車用として開発された枕ばねに空気ばねを備えたTR203を装着し、しかも側扉はパレットに荷役に大応した総開き戸で、外板も厚さを薄くしプレス構造にすることで強度をもたせるなど、もはや貨車としか言いようがないものでした。

 こうしてパレット荷役対応の荷物車は、手小荷物輸送の合理化の推進に大きく貢献することになります。

 一方、マニ37をはじめ、旧式化し余剰となった旧型客車から改造された多くの荷物者の車齢は上がっていき、老朽化も進んでいたことからこれに代わる荷物車の登場が望まれました。既にパレット輸送も定着してきていたので、これをさらに推し進めながらも旧型の荷物車を取り替える目的で登場したのがマニ44でした。

 

《次回へつづく》

 

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