旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらば「ムーンライトながら」 〜大垣夜行345Mの思い出〜【2】

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 《前回のつづきから》

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 当時の列車番号は345M で、165系で組成された列車でした。

 深夜の川崎駅に滑り込んできた165系の345Mには、すでに大勢の人が乗っていて、とてもではないが座席に座ってくつろいで乗るような列車ではなかったのです。はて、一体この混雑した列車に乗って、どこまでいくのだろうか?などと考える暇もなく列車に乗ると、既に座席は満席、通路にも人が溢れていて客室の中へと入るのほぼ困難を極め、仕方なくデッキの空いているところへと陣取ったのでした。

 筆者が435Mに乗ったこの頃、国鉄青春18切符を販売していました。普通列車であれば全国乗り放題という奇抜なアイディアの切符はまたたく間に人気となり、多くの人が購入し、いまなお販売されている企画乗車券です。

 普通列車という切符の制約から、大垣夜行こと435Mは夜間に長距離を移動できる格好の列車で、東京から湘南へと帰宅するビジネスパーソンだけでなく、この青春18切符を利用して旅する人々で混雑する人気列車だったので、筆者のような小学生が乗るには少々ハードルの高い列車だったのかもしれません。

 列車は多くのビジネスパーソンや、どこか遠くへ出かけるであろう人達でごった返していましたが、それも、西へ進んで停車駅を重ねていくうちに徐々に減ってはいったものの、それでも座席が空くことはなく、小学生だった筆者はデッキに陣取ってドアの窓から暗闇の街を眺め、そして、3月とはいえまだまだ夜は寒く隙間からの冷気にも耐えながら、長時間睡魔とも闘いつつもこの345Mの旅を続けたものでした。

 

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出典:ウィキメディア・コモンズ ©まも, Public domain

 

 途中の停車駅では、確か静岡県のどこかの駅(当時の時刻表では浜松と推測)では1時間近くも停車したときには、その寒さにはほとほと参ってしまいました。デッキが自分の指定席かのようだったのですが、長時間停車ともなると当然ですがドアは開きっぱなしになるので、いよいよ夜の冷たい空気は筆者の体を冷やすのには十分すぎるほどでした。それでも眠いときは眠く、小学生の体力では睡魔にも打ち勝つことは叶わず、デッキに座り込んではコックリコックリとうたた寝までしたものです。

 翌朝に名古屋に着いたときには、既に24時間戦っているのもあって、もはや「ナチュラルハイ」状態にまでなり、寝不足で充血した目はギラギラとなり、少しでも気を抜くとまぶた同士がくっついてしまったのですが、それでも345Mの旅は後年になってとても印象深いものになったのです。

 この頃の345Mは、東京発大垣行きの普通列車で、深夜帯になると途中、乗降が見込めない駅は通過していました。また、既にお話したように一部の駅では時間調整のために長時間停車することもあり、まさに国鉄が伝統的に脈々と受け継いできた真の普通列車だったといえます。

 いずれにしても、幼い筆者にとっての「大垣夜行」は、寒さと眠さとの闘いを強いられた列車であり、ただただ停車していく駅を数えては、早く暖かい車内に入り座席に座れることを、車輪がレールの継ぎ目を通過するときのリズミカルな音と、時折、車輪に生じた「フラット」と呼ばれる面から生じる「カタカタカタカタ」という音だけを聞きながら待ち望んだ「苦行」の列車という印象しかありませんでした。

 この経験以降、夜行列車を座席で過ごす「過酷さ」を知ってからか、よほどのことがない限り、このような列車で移動をすることはしませんでした。ですから、高校の修学旅行で急行「はまなす」の座席車で一晩を過ごしながら北海道と本州を往復することを知ったとき、本気で「欠席」しようかと考えたものです。(結局は、行ったのですが)

 さて、その後はというと、6時過ぎに名古屋に到着してここからは新幹線へと乗り換え、あとは目的地であった広島まで一気に向かうという行程でした。もっとも、出かけるときから目的地も知らされず、しかも有無も言わさず夜行列車である345Mに乗せられ、一晩まともに寝ることすらままならない状態では、生まれてはじめての新幹線なんか楽しめるはずもなく、広島に着いたところでただただ「眠い」ばかりのミステリーツアーではありましたが、「ムーンライトながら」が廃止となってしまった今となっては、そんな苦行の旅も良い思い出なのかもしれません。

 

 「ムーンライトながら」の廃止は、新型コロナウイルスの影響もあったとはいえ、時代の流れとともに鉄道を利用する人やその旅のスタイル、さらには列車を取り巻く社会の状況が大きく変化したことの証左だといえるでしょう。

 

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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