いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
つい最近、民営化後につくられたEF66 100番代に廃車が出たというニュースを耳にしました。製造から30年と少し。リピートオーダーでつくられたので、0番代のように更新工事も受けていませんが、先輩格のEF65が現役バリバリなのを考えると、少し早い気もします。
もっとも、貨物機としての運用は、機関車にとっては想像以上に過酷なようで、車両によっては不具合を抱え込みやすいともいわれます。備品調達の都合や、多種多様な車種を抱えることによる運用面やコスト面での効率性を考えると、やむを得ないのかも知れません。
一方、EF65 1000番代(以下、PF)の一部は、2020年になったいまなお元気に活躍を続けています。PFの製造初年は1969年で、さすがに初期車は既に淘汰されてしまっていますが、後期車は1976年以降の製造なのでどんなに古くても車齢は44年ほど。更新工事の有無を考えても、やはりPFは重宝されているのがわかります。
さて、今回の写真はEF65 1064です。一見すると、何の変わりもないPFです。撮影したのは1991年か92年頃で、この頃は写真を撮影に時折新鶴見にでかけていたもんです。もちろん、仕事の時ではなくオフの時です。
この当時の1064号機はご覧の通り、ナンバープレートが青色です。
多くの方がご存知かとは思いますが、民営化後にPFのナンバープレートは旅客会社に所属する車両と識別しやすいように側面と前面のプレートを入れ替えました。
また、国鉄末期にコンテナ貨物列車のスピードアップと牽引定数を増やすために、コキ50000のブレーキを改造した200000番代に対応するため、「常用減圧促進改造」が施された車両は赤色(改造当初は緑色)のナンバープレートでした。
1992年頃、後期車に対してはこの「常用減圧促進改造」の施工が進んでいましたが、1064号機は未施工だったのか、前面青プレートで側面白プレートという姿でした。写真に写る1064号機は、ちょうど全検出場直後だったので、車体も足回りも塗装がきれいな状態でしたが、どうやら改造は行われないまま出場してきたようです。
全検上がりたてのピカピカだった1064号機。青色のナンバープレートもまた、赤プレートが多くなる中で新鮮な印象をもったもので、なおかつあまり手が加えられていないPFだったのでシャッターを押したのでした。
1064号機は1976年に川崎重工と富士電機のジョイントで製造され、新鶴見機関区に新製配置となりました。以来、貨物用機として首都圏発着の貨物列車を牽き続け、1987の分割民営化に際しても異動はせず、貨物会社に継承されました。
写真を撮影した1992年当時は「常用減圧促進改造」受けていませんでしたが、その後この改造を施工されたことで、ナンバープレートも赤色に変わっていきます。しかし僚機が、特に同期ともいえる「昭和50年度第3次債務車」たちが更新工事を受けていく中、1064号機はこれを受けることはありませんでした。
そのため、更新機は塗装を「更新色」に塗り替えられていく中、1064号機は国鉄色を身に纏ったまま走り続けました。
更新工事を受けた同期たちは今なお残っていますが、1064号機は未施工車だったため、2011年の終わりに廃車となってします。車齢44年は過酷な運用を続けてきた中では長い方で、未施工車の中でも長寿だったのではないでしょうか。
過日紹介したEF64 1012と同じく、更新機が多くなる中で、1064号機も保安装置などの改造を受けているものの、2010年代に至るまで比較的製造当初のままの姿を維持し続けてきたのは特筆に値するでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
あわせてお読みいただきたい