いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
仕事も再開し、徐々に基の日常に近い状態に戻ってきてはいます。とはいえ、完全にもとには戻らないことや、これまでとは違うことも多々あります。その一つに、放課後は必ず消毒をしなければならなくなったことです。
アルコールなら机や椅子に吹きかけて拭けば終わりなのですが、ご存知のようにアルコールは品不足の状態でなかなか手に入りません。代わりに使っているのが次亜塩素酸ナトリウム水溶液。食器用漂白剤の「アレ」ですが、これがまた扱いにくい消毒剤で、スプレーで噴霧はダメ、消毒後は必ず水拭きしなければダメ。さらには手袋をしないと化学火傷を負ってしまうという代物です。
まあ、やらなければならないので仕方ありませんが、当面はこの作業が続くので、少し余裕をなくしてしまっています。ブログの更新も定期的にとはいかなくなってきておりますが、やはり「鉄分」にしっかり触れたいと思いますので、引き続きご愛読のほどお願い申し上げます。
筆者が鉄道マンになって、電気区勤務を始めると地元の新鶴見にはよく行きました。もちろん仕事なのですが、たまに休日には同期から誘われて一緒に写真を撮りに行くこともあり、こうした写真が何枚か残っています。
新鶴見での仕事の最中には、いろいろな機関車を見ることができましたが、そのどれもが幼少の頃に本などでよく目にしたもの。とはいっても変に興奮することなどなく、「ああ、今日はアレがいるんだ」といった程度にしか見ていませんでした。
もっとも、EF65の500番代やPFなどがいれば、かつてブルトレ牽引にも使われた形式だ、というぐらい走ってはいましたが、そのPFのナンバープレートが赤色に塗られているのを見て、これはいったい何なんだろうか?というささやかな疑問は持ちました。
さすがに先輩に訊いたところで、みなさんは鉄道マンといってもいろいろ。彼らは信号通信や電力のエキスパートなので、車両についてはほとんど知らないというのが実際でした。まあ、線路の中に出て仕事する身になると、機関車のことを知るような余裕などなく、同じ国鉄→会社といっても専門性が異なれば素人同然になってしまうというのは当たり前のこと。
たまたま同じ電気区に配属された同期の職員がファンだったので、あれこれと教えてくれたものです。
国鉄時代に貨物列車の合理化により、拠点間輸送を行うコンテナ貨物列車が主流になり、さらに牽引定数や運転速度の向上を目的に、当時の主力コンテナ貨車であったコキ50000形のブレーキを改造してブレーキ力を高めました。この改造で100km/h運転もしくは1,200トン運転を可能にしました。
しかし、これには貨車だけではなく、機関車にもそれに対応した改造が必要でした。そこで、東海道・山陽本線の主力であったPFに、「常用減圧促進改造」と呼ばれる工事が施工されます。これは、自動空気ブレーキを作動させるときに、空気管のなかの圧力を下げる作用を迅速にするためのもので、ツリアイ空気溜めを小さくし、必要となる弁などを追加したものでした。
とはいっても、それは機関車の中身のことで、外観からは分かるはずもありません。そこで、コキ50000の改造車(250000番代)がとび色から緑色に塗り替えて識別しやすくしたように、改造を受けたPFもナンバープレートの色を変えました。
当初はコキ50000と同じ緑色にしたのですが、これが夜には特に見にくいと現場から不評だったので、当時試験塗装機に使われていた赤色に変えました。それ以来、常用減圧促進改造を受けたPFは、国鉄色・更新色問わずにナンバープレートは正面、側面ともに赤色になりました。
写真の1057号機も改造を受けたので、ナンバープレートは赤色になっていました。全検出場間もなかったので、車体も艶やかに光っていて、後方に並ぶEF66 100番代の姿を反射させていました。
この後、1057号機は更新工事を施工され、21世紀に入っても活躍を続けます。さらには走行記録装置を未装備とした貨物のPFは、すべて原番号に+1000の改番を受けて2057号機になりました。
あわせてお読みいただきたい