旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【2】

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《前回からのつづき》

 

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■ガソリンカーの悲劇から生み出されたDMH17

 ガソリンエンジンであるGMH17を搭載したキハ42000は、1935年から62両が製作されました。車体は空気抵抗の軽減と、当時の流行を取り入れた流線型の前面をもちましたが、工程数の削減のため半円柱状の独特な意匠になりました。19m級の車体は、当時の気動車としても比較的大型のもので、乗車定員を大幅に増加させました。

 一方、変速機構は機械式でした。これは、自動車で言うところのマニュアルミッション(MT)と同じ原理で、クラッチと変速ギアをもつものであるため、総括制御はできない構造でした。そのため、キハ42000は1両単位で運用することを想定していましたが、大都市近郊の非電化路線では、気動車による輸送力の向上が期待され、ラッシュ時などでは2両編成や3両編成で運転されることもあり、それぞれの車両に運転士が乗務することもあったようです。

 鉄道車両に揮発性が高く、引火点が低いガソリンを燃料とすることの危険性を最も呈したのは、1940年に西成線(現在の桜島線)で起きた列車火災事故でした。安治川口駅で通過中にもかかわらず、駅の信号掛が分岐器を操作して転換させたことで、キハ42000が脱線転覆し、燃料タンクから漏れたガソリンに引火したことで、死者189名を出すという大惨事を起こします。

 車両そのものの欠陥では何せよ、こうした事故が起きたときに、ガソリンを鉄道車両に使うことの危険性が露呈し、発火性が低い軽油を燃料とするディーゼルエンジンの開発が急務となりました。

 

1940年1月29日に鉄道省西成線(現在のJR西日本ゆめ咲線)で起きた列車脱線転覆火災事故は、死者189名、重軽傷者69名を出す大惨事になった。事故の原因は、駅の信号掛による転轍機不正操作であったが、事故車両であるキハ42000に搭載されていたエンジンはGMH17であり、燃料にガソリンを使っていた。ガソリンは揮発性が高く引火しやすい性質を持っていたため、漏れ出した燃料に引火し瞬く間に火に包まれたという。この事故を契機に、より引火しにくい軽油を使うディーゼルエンジンを開発することになった。(パブリックドメイン 出典:Wikimedia

 

 GMH17を代替えするべく、鉄道省は新たなディーゼルエンジンの開発を急ぎますが、この際に大元としたのがこのエンジンだったのです。1941年には試作も終えて試験運転も行われていたものの、第二次世界大戦によって燃料事情が悪化したことを受けて、量産と実用化試験は中止となり、結局は「お蔵入り」となってしまったのでした。

 このように、国鉄ディーゼルエンジンの開発は、戦争の影響によって一時は中止されてしまったものの、第二次世界大戦が終わると再びその気運が高まります。戦後の燃料事情、特に主力である蒸気機関車に使う石炭の質の悪化や、煤煙による沿線絵の影響、投炭のために機関助士の乗務を必要とすることなど、コスト面でも不利になり高速運転でも限界にきていたため、国鉄では無煙化と動力近代化を進めるにあたって、電気機関車への置き換えや電車への転換、非電化区間では蒸機に代わる新たな動力を必要としたのでした。

 そこで、国鉄は戦前に基本設計が終わっていて、試験運転も終えていたGMH17のディーゼル化したエンジンに目をつけました。すでに開発も終わり、試験運転も済ませているのであれば、実用化量産に移すこともそう難しい話ではありません。1950年から改良設計と量産化に向けた準備を進めた結果、国産初の実用可能な鉄道車両ディーゼルエンジンであるDMH17を完成させました。

 国鉄期待の新型ディーゼルエンジンであるDMH17は、さっそく製造が始められました。この新型エンジンを搭載したのは、皮肉にもガソリンエンジンであるGMH17を搭載し、多くの犠牲者を出した惨事の「当事者」でもあるキハ42000でした。戦時中の燃料事情とガソリンエンジンの危険性から、長期にわたって運用から外され、一部は千葉県で算出される天然ガスを燃料としてはいたものの、本格的なディーゼルエンジンがないため、ほとんどが「戦力外」になっていたキハ42000のエンジンを換装させることにしました。

 こうして、GMH17を搭載していたキハ42000は、DMH17に換装してキハ42500となりました。また、戦前製の車両に加えて、戦後も19両が増備されて100番代に区分されました。しかし、エンジンこそ国鉄期待のディーゼルエンジンであるDMH17に載せ替えたものの、変速機構は変わらず機械式のままでした。これでは効率的な運用は難しいため、後に液体変速機へと替え、称号規程の改定に伴いキハ07と名乗るようになります。

 液体変速機へ替えられたのは戦後製の100番代のみで、これらは総括制御が可能になったものの、戦前製は機械式のまま残されました。こうして、国鉄初の量産実用ディーゼルエンジンであるDMH17は、キハ42000に搭載され実用化の目処をつけ、後に本格的な量産型気動車の開発・製造へとつながっていきました。

 

《次回へつづく》

 

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