旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 白羽根は北の大地を駆け抜けた【前編】

広告

 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 北海道の鉄道といえば、そのほとんどが非電化なので昔から気動車が跳梁跋扈していました。それは時代が変わっても同じで、一部を除いて国鉄から引き継いだキハ40系が今も主役です。

 しかし例外というのはどこの世界でもあるもので、札幌を中心として、函館本線小樽ー旭川間と、千歳線室蘭本線の一部が国鉄時代に電化されました。電化されたとは言っても、本州の幹線とは異なり建設コストを抑えることができる交流電化が選択されたのは多くの方がご存知のことと思います。

 通常なら、交流電化区間がある場合、そこには直流区間との間を直通で運転できる交直流両用の車両が宛がわれます。例えば山陽本線は、神戸から下関までは直流電化ですが、下関と門司の間で交流電化に変わるので、ここを走る列車は415系やEF81、さらにはEH500と交直流両用車が宛がわれています。

 ところが北海道に限っては例外で、電化区間の両端は非電化区間です。言い換えれば、電化区間は孤島のような存在になっているので、両者を行き来するのは気動車で十分。本州以南のように、高価な交直流両用車を投じる必要がありませんでした。

 一方、電化されたからには、スピードで劣る気動車列車ではなく、電車による運転でスピードアップするのが常です。そうした中で、特急列車の運転も計画されるようになります。

 こうしたことを背景に登場したのが781系でした。

 

f:id:norichika583:20201103181949j:plain

 

 781系は多くの面で、従来の国鉄特急形電車と異なるものでした。何より形式名が示すように、百の位は7、つまり交流専用なのです。当時、国鉄が運行していた多くの特急列車は、大都市間や大都市と地方の主要都市を結ぶ役目を担うため、自ずと長距離列車が多くなっていました。そのため、列車の運転本数も限られるので、需要を満たすためには長大編成を組んでそれに応えていました。また、長距離を走破するのが常で、中には12時間近くをかけて走り続ける列車もあったので、乗客のお腹を満たすために食堂車の連結も当たり前でした。

 しかし、北海道の電化区間はそれとは異なって非常に短く、長大編成も食堂車も必要ありません。必要だったのは、北海道の厳しい冬の気候に耐えられる性能だったのです。

 実際に、781系が登場する前に、本州向けの485系を耐雪強化仕様にした1500番代を宛がいました。しかし、北海道の雪は本州のそれと比べてさらさらとしたものたったので、電気系統の様々な部分に入り込んでしまい、ついには故障を頻発させるなど散々たるものでした。

 781系は北海道の厳しい気候に特化した装備をもち、文字通り「北海道専用」の特急形電車として活躍しました。電装品の無接点化で粉雪が舞い込んでも正常に動作する機器類を採用。無接点化をすることで機械的な動作をする機器がなくなり、接触器や動作部に雪が入り込むこともなくなくなるので、故障を大幅に減らすことができました。

 一方では、外観は485系と比べてもそう大きく変化はしていません。先頭車であるクハ781は、一見するとクハ481と大きく変わらないように見えます。短いボンネット部はクハ481が角張ったスタイルであるのに対し、クハ781は丸みを帯びたデザインです。これは、走行中に付着する雪が落ちやすいようにしたもので、同じ国鉄形の特急用電車でも、どことなく柔和な印象を与えています。

 前灯も前面腰部を左右に振り分けた2灯に加え、運転室上部の屋根には中央部にシールドビーム灯を2灯備えられ、降雪時の走行中に前方視界を確保しようとしているのがわかります。また、後天的な改造によって、運転室の天井には走行中の気流によって屋根に積もった雪を吹き飛ばすための空気ダクトも設けられました。このため、丸みを帯びた前頭部に、こうしたあたりも北海道向けの特別な仕様であることがわかります。

【後編へ続く】

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info