旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道の進化と安全性向上: 実験と研究の成果 職用車「ヤ」をつけた有蓋車【4】

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《前回からのつづき》

 

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 1964年の東海道新幹線の開業によって、マロネ40形が充てられていた多くの優等列車が削減、あるいは廃止になると、旧型客車の優等寝台車は老朽化が進んでいたことや、より近代化された10系客車や20系客車が増備されたこと、さらに区分室(個室)の利用客が新幹線へ転移したことで需要が急速に減ったとこなどから、1960年代なかばまでに営業列車から退いていきました。

 余剰となったマロネ40形は、一部が事業用車へ改造されていきます。その一つが、走行実験のデータ収集用の試験車であるマヤ40形でした。そして、これら4両の試験車は狩勝実験線での実験を繰り返し、多くの犠牲者を出した鶴見事故の原因とされた競合脱線のメカニズムを解明するに至ることができたのです。

 この特殊な試験車たちを人為的に脱線させるという類まれな実験を通して、車両や軌道には欠陥がないものの、速度や車両重量、積載荷重や貨車の場合は貨物の積載状態による重量偏移など、多くの要因が重なり合って引き起こされる事象であることがわかり、脱線防止用の護輪軌条の設置や、二段リンク式走行装置の改良、レール塗油器の使用など、あらゆる対策が施されるようになり、これらは今日に至るまで脱線事故対策の基本となりました。

 しかし、2000年3月に営団地下鉄(当時)日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故では、軽量ボルスタレス台車の特性に由来する事故が起きてしまいました。この事故では死者5名、負傷者63名を出すという惨事になり、鶴見事故の原因となった競合脱線に類似する事象によって引き起こされたと考えられます。ボルスタレス台車は軽量かつ構造が簡便な反面、厳密な輪重管理が求められるといえます。この輪重は、簡単にいえば線路中心から車輪と車軸を含んだ重量のことで、1軸につき左右二か所の輪重があります。そして、この左右の輪重の差が大きくなると、輪重が軽いほうの車輪が浮き上がってしまい、最悪の場合は脱線事故に至ります。

 1986年に東急電鉄東横線横浜駅構内で発生した脱線事故は、ボルスタレス台車を装着した9000系の輪重バランスが悪くなっていたために車輪が浮き上がったことで起きたことが分かり、以後、東急電鉄ではボルスタレス台車の輪重比を10%以内に収める輪重管理を実施し、車輪の浮き上がりによる脱線を防ぐために護輪軌条、すなわちガードレールを半径450m以下の曲線部全てに設置するなど、ほかの鉄道事業者と比べて厳しい基準を設けて対策を施していました。しかし、営団地下鉄では同様の事故が半蔵門線鷺沼検車区構内で起きていたにも関わらず、抜本的な対策を施さなかったために中目黒駅構内での大事故に至ってしまいました。台車の輪重バランスが悪化したことで、車輪が浮き上がるという現象は、鶴見事故の事故原因とは異なりますが、重量の偏位や走行状態など類似する点もあるといえます。そのことはヤ80形とヤ81形、そしてヤ82形試験用貨車とマヤ40形が狩勝実験線で行われた前代未聞の脱線試験によって得られた競合脱線の原因救命があったからこそ、後年、類似事故の検証やその対策が速やかに行われるようになり、まさに「体を張った」これらの車両たちの功績だといえます。

 

鶴見事故を受けて国鉄が行った狩勝実験線での脱線試験を経て、競合脱線に至るメカニズムが解明されると、その結果を受けて国鉄は様々な対策を講じた。二段リンク式走行装置の改良や脱線ガードレール(護綸軌条)の追加、レール塗油器の設置などあらゆる方法で対策を施した。これ以降、国鉄は100人規模の死傷者を出す重大事故を1987年の分割民営化まで起こしていない。しかし、同様の対策は私鉄には波及していなかった面もあり、鉄道事業者ごとに基準も異なるなどしていた。また、車体の軽量化やピッチングが問題になりがちなボルスタレス台車が数多く採用された結果、ワラ1形に類似する特性をもつ車両も潜在的に存在するようになったと考えられる。2000年3月に発生した営団地下鉄(当時)日比谷線中目黒駅列車脱線衝突事故では、鶴見事故の原因となった「競合脱線」に゙類似する現象で事故が引き起こされたと考えられる。(営団03系第39編成 新越谷駅 2018年 筆者撮影)

 

 1963年に起きた鶴見事故から、今年(2023年)で60年が経ちました。我が国の鉄道は、世界でも稀に見る正確性と安全性を兼ね備えた交通機関であることは誰もが認めるところでしょう。今日、当たり前になっている安全輸送は、かつて起きた大事故と、そして多くの犠牲を出してしまったことから、鉄道技術者たちがその原因を追求し、さらに多くの鉄道職員が不断の努力によって成り立っています。その影で、こうした目立つことなく体を張って実験に臨んだ車両もまた、その実現に貢献したのです。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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