旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【19】終章

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《前回のつづきから》

 

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 ED76形は交流電機であるので、車体の塗装色は一貫して赤2号を身にまとい続けています。これは、国鉄が制定した塗色で、交流電機はこの色一色に塗装することになっていました。ところが、分割民営化直後は新会社に変わったことと、国鉄とは違う企業であることをアピールするため、旧来からの制定色にとらわれない様々な塗装が試されたのでした。その中で、ED76形はJR貨物のコーポレートカラーである通称「コンテナブルー」と呼ばれる青22号を基調にした青色系の試験塗装を纏った車両が登場し、ひときわ目を引いたものでした。

 

分割民営化後、JR各社は国鉄時代のイメージを払拭しようと、様々な試みをした。特に貨物会社は荷主からの信頼を取り戻そうと、新製したコンテナは青22号をベースに、クリーム色のストライプをあしらった斬新なデザインへ転換、容積も18㎥に拡大するなど、イメージと実用性を一新させていった。こうした中で、機関車もまた様々な塗装を施すことで、新会社になったことをアピールした。門司区所属のED76形とEF81形の一部には、コーポレートカラーである青をベースにした塗装を施し、交流機・爻直流機の赤系とは異なる塗装となった。筆者も門司区勤務時代に留置されているこの塗装を施した車両を何度も見かけたが、直流機ではないという先入観から違和感を抱いていたのを思い出す。それでも、手間と費用をかけてまでこのような装いをしたのは、職員たちの「熱意」からだったこと思い起こす。今となってはとても懐かしくさえ思える。(写真AC)

 

 実際、筆者が門司機関区構内を歩いていると、この塗装を施されたED76形やEF81形を近くで見ることがありましたが、とにかく目立っていたことは確かでした。しかし、両者は電源方式が違うにも関わらず同じ色だったため、いったいどの形式なのか判別が難しったのを覚えています。悪いことに、ED76形とEF81形はともに非貫通の前面スタイルのため、遠目には屋根上の高圧機器で、近くではナンバープレートを確認しなければならない不便さもあることや、やはり交流電機は赤2号、交直流機は赤13号の方がそれらしいと感じる筆者の感性もあってか、今ひとつ良い印象をもっていなかったものでした。

 このように、長く九州地区の主力電機としての座を保ち続けたED76形も、2010年代に入る頃になると老朽化には抗えず、さらに関門間用に新型交直流機であるEH500門司区に配置されると、それまで関門用電機として活躍してきたEF81形の運用を置き換え、余剰となったEF81形の中でも状態のよい車両や経年の浅い車両がED76形の運用に充てられ、老朽化の激しい経年機を中心に淘汰が始まりました。製造から40年以上が経ち、更新工事を受けたとはいえ老朽化には抗えなくなったことや、VVVFインバータ制御が主流になった時代の中にあって、旧来の制御方式に対応した機器の交換用部品の入手が困難になってきたことなどから、致し方のないことだといえるでしょう。

 そして2021年になり、長らく九州用の交流電機であるED76形の後継となる新型電機の新製と配置がJR貨物から発表されますが、新たな交流専用機ではなく、日本海縦貫線などで活躍して実績のある交直流F級電機であるEF510形を九州地区向けに仕様を変更した300番台の1号機が落成、2年近くに渡る試験運用を経て2024年1月に量産機となる302号機が落成しました。今後、EF510形300番代は数年をかけて増備することから、最も古いもので新製から既に50年、半世紀に渡って貨物輸送を支え続けてきたED76形も、いよいよその歴史に幕を閉じることが決まりました。

 このブログでも、何度を取り上げてきた国鉄形車両は基本設計が堅牢であり、長く活躍する傾向になります。よくも悪くも「標準設計」であることから今日の鉄道車両と比べて変化に乏しい反面、実績と信頼のある機器を採用したことで、工業製品としては非常に長寿となりました。

 しかし、過酷な運用を強いられる貨物用の電機は、日常の保守が低いレベルであれば、こうした長きに渡る運用は不可能であることは言うまでもありません。その点で、ED76形を日常的に保守管理をする門司機関区の検修陣、全般検査など大規模な検査修繕を担当する小倉車両所の技術者たちのレベルが非常に高いことの現れであり、鉄道車両としては稀に見る半世紀に渡る活躍を可能にしたといえるでしょう。

 筆者も小倉車両所、そして門司機関区に勤務したことがありますが、先輩方の仕事ぶりは無駄なく洗練され、しかも高い技術レベルを維持向上するための研鑽を惜しまない方たちばかりでした。創意工夫にも溢れ、ひとたび車両が入場すると、目にも止まらぬ速さで必要な作業をこなし、そして新米である筆者のような若い職員に丁寧に仕事を教えてくれました。そうした人たちによって、九州最後の交流電機であるED76形は維持され、このような長期に渡る運用を可能にしたことは特筆に値することでしょう。また、これを運転する機関士も、その運転技術もレベルの高いものでした。添乗したときに見た、マスコンの進段ノッチの入れ方や連結作業も丁寧であり、粗雑な運転を許さないという高い意識をもった方たちばかりでした。それだけ、ED76形は大切に扱われてきたことの証左であるといえます。

 そうした意味でも、ED76形は非常に幸運な電機の一つであることは間違いなく、鉄道車両史にその実績と栄光は長く刻まれ続けると思います。

 

 今回は筆者の思い入れの強い九州の交流電機を話題として取り上げたため、非常な長文になってしまいました。長きに渡ってお読みいただき、ありがとうございました。

 

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