8.1両だけの改造に終わったED76 550番代 8-1 余剰車を活用するということは世の常 世の中には貧乏性であるが故に、ということが多々あると思います。かくいう筆者の場合、一つのものをやたらと長く使ったり、いまは不要でもいつかきっと役立つだろうと溜…
7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-4 JR貨物初の交流機 ED79 50番代の新製 1980年代の後半は、バブル経済による好景気に見舞われました。不動産売買が極端に盛んになり、地価は高騰を続けるという異常な中、国内の物流もまた好景気で異変…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて、日本の貨物列車には必ず連結されていた車両がありました。それは、最後尾に赤い尾灯を灯して、古い車両なら白熱電球の薄暗い明かりが車内を照らし、その中には鉄道マンがたった一人でポ…
7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-3 ED79の配置と運用 こうして、比較的車齢の浅い交流機・ED75 700番代を改造して登場した、海峡線専用機ともいえるED79は、本務機である0番代21両(後期形からの改造)と貨物列車牽引時に連結される補機…
7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-2 ED79という機関車 青函トンネル専用機として計画されたED79は、既に述べたように新型機として開発・新製するのではなく、既存の車両を改造することによって賄うことになりました。その種車として選ば…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先日投稿した記事では、異色の経歴の持ち主ともいえる、大井川鐵道のナロ80についてお話をさせていただきました。こうした履歴をもつ鉄道車両は他にも例がありますが、今回はこちらのEF66 20号…
7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-1 ED79登場の背景 1961年の着工以来、幾度の難工事を乗り越えながらも建設工事が進められ、1984年には青函トンネルの開業は1987年と発表されました。既にこの頃には国鉄が抱える膨大な債務が問題になっ…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 東京急行電鉄から社名を東急へと変え、同時に鉄軌道事業を分社化して東急電鉄へと変わってからもうすぐ1年が経とうとしています。分社化され、東急の子会社となっても、利用者のも、筆者の勤め…
6.青函トンネル前史 6-5 青函トンネルの建設 一隻の犠牲者としては、国内で今なお最大である1155名の犠牲者を出した、洞爺丸事故は国鉄だけではなく、日本中を震撼させるとともに、あのタイタニック号に次ぐ惨事に世界中も衝撃を受けました。 天候で運航…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 世の中には「変わった経歴の持ち主」というのがあります。あまり人のことはいえませんが、筆者も今の世界では「かなり変わった経歴の持ち主」と言われます。まあ、小さい頃からこの仕事を目指す…