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夏の繁忙期になりますと、多くの乗客を運ぶためにありとあらゆる列車が運転されます。予め運転する月が設定されている季節列車や、特定の日だけに運転をする臨時列車など様々です。
ことレジャー客が多く訪れるスポットを沿線にもつ路線では、まさに百花繚乱、いろいろな列車が運転されていました。
伊豆半島はそうした条件にピッタリとあてはまっていると思います。半島の東岸を走る国鉄伊東線と伊豆急行線は、ほぼ一体的な輸送形態をしており、首都圏からも近い場所柄もあって、夏には多くの人が訪れていました。
ですから、夏の臨時列車には、本来なら昼間の運用がない113系はもちろん、波動輸送用の167系なども宛がわれて、連日多くのお客さんを運んでいたのです。
中でも、こちらの写真はとても目立った存在だったでしょう。
電気機関車が牽く、客車列車の特急「踊り子」です。
東京駅を発着する客車列車は、1984年当時は既に寝台特急のみが設定されているだけでした。ですから、昼間に東京駅を発車する客車列車は、とても珍しい存在になっていたと思います。
当時の国鉄にとって、こうした運用は当たり前といえば当たり前。客車は電車や気動車のように製造コストが高くないので、繁忙期以外は車庫で留置しておいてもそれほどコストがかかりません。それに、機関車に牽いてもらえばどこでも走ることはできるのもメリットの一つでした。
だから、当然と言えばそうなのかも知れませんが、それにしても定期で、それも列車本数を多く設定されている「L特急」の臨時列車が、電機の牽く客車列車という例は「踊り子」しか見あたりません。
ヘッドマークも普段見慣れた電車のデザインのまま、機関車に似合うように円盤にあしらったのですが、まあ、これはこれで「ありかも」なんて当時は思いもしたものです。
ただし、そこまで拘るか?と思ったのは、「L特急」を表すLマーク。しっかりと、ヘッドマークの左下についていました。
さて、この写真の臨時列車「踊り子」。EF58の61号機が先頭に立っていました。
61号機はお召し指定機で、一般のEF58とは異なり「ため色」と呼ばれる茶色い塗色で、銀色の帯を巻き、手摺りなども銀色など特別仕様の機関車です。お召し列車にだけ使われていたのかと言えばそうではなく、このように臨時列車を牽く仕事もあったようです。
まあ、考えてみれば61号機も「機械」なので、じっと機関庫の中で動かさずにいれば、あちこちに不具合が出てきてしまいます。ある程度の「ウォーミングアップ」は必要ですし、繁忙期となれば機関車であっても暇を持て余しておくような余裕はなく、ありとあらゆる機関車が動員されたと思います。
ところでこの写真は、先日執筆した記事の続きです。熱海で167系を撮影した後、伊東駅まで出向いてこの写真を撮り、この臨時「踊り子」に乗って帰路についたのでした。
61号機に牽かれていた客車は14系座席車。さすがに臨時列車を走らせるだけあって、大混雑をしていたので座席に座ることは叶わず、横浜までずっとデッキに立ったままでした。
当時は臨時列車に14系座席車や12系なんて当たり前でしたが、今では貴重な存在になっています。
ちなみに、定期の「踊り子」と異なり、客レの臨時「踊り子」は停車駅も限定されていました。理由は機関車牽引のため、電車に比べて加速度が劣るため、他の定期列車への影響を最小限にするために停車駅を絞り込んだとのこと。これは、後年、貨物会社に入ってから知ったことですが、臨時列車を走らせるにもいろいろと気を遣っていたのかも知れません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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